神戸地区 大神宮

たてやま おらがんまっち 館山市神戸地区 大神宮

地域の紹介

館山市神戸地区 大神宮の御神輿 館山市の南端に位置する大神宮は南房総国定公園内にあり、野鳥の森をはじめ豊かな自然と歴史あふれる地域です。
 また、その昔、四国の阿波の国から忌部氏が一族を率いてこの地に上陸し、開発をはじめた所だと伝えられる、安房国開拓にまつわる神話の里でもあります。大神宮とは「大いなる神の居ります処」という意味で、この地名は式内社であり安房の国一之宮である安房神社が鎮座することに由来しています。
 忌部一族の上陸地と言われる「布良」から、巴川を挟み「吾谷山」の麓に鎮座する安房国一之宮「安房神社」、巴川中流域には県指定の縄文・古墳時代の洞窟遺跡ほか多くの遺跡が分布し、弘法大師を本尊とする関東厄除三大師のひとつとされている「小塚大師」、木造如来坐像(県指定)や南北朝時代の地蔵菩薩像が祀られている「千祥寺」、平成二十三年に三百三十回忌大法要が挙行された「大神宮義民七人様供養碑」など、壮大な歴史に包まれています。
安房神社の4本方式の注連縄 また、この地域には、天の岩戸神話からの「しりくめなわ」としての「しめ縄」を、通年家々の門に飾る風習が残っています。「しめ縄」はあらゆる災を避け悪疫を除くための象徴とされています。また、忌部後裔の家には、四本方式の注連縄を掛ける風習など、今もって神々と祖先を崇拝した暮らしが営まれている地域でもあります。

自慢の神輿

菊紋と片喰紋であしらった瓔珞
●屋根 述屋根
●蕨手 普及型
●造り 漆塗り
●露盤 桝形
●棰 扇棰
●胴の作 平屋台
●桝組 四行二手
●扉 四方扉
●鳥居 明神鳥居
●台輪 普及型
●台輪寸法 四尺 
●制作者 地元大工
●制作年 明治時代
神輿の屋根で燦々と光る16葉菊紋 安房神社の神輿についての最も古い史料は江戸時代中期の延享元年(一七四五)の記録があります。現在の神輿は明治時代に地元大工によって製作されたと言われています。黒と朱に塗られた神輿は、彫刻にも金箔を施し、屋根には燦々と輝く官幣大社の印である自慢の十六葉菊紋が大きく飾られています。
 この神輿の大きな特徴として、担ぎ棒を差し入れる台座が低いことです。そのため担ぎ棒は差し入れるのではなく、下から当てて止め、襷でしっかりと締めるという仕組みです。
 これはその昔、安房神社の神輿はとにかく「駆ける神輿」で、「もみ」「さし」よりも、走り続けていくためにできるだけ重量を減らす工夫がされていたとも言われています。安房国司祭出祭時の鶴谷八幡宮まで、当時は担ぎ手八人で駆けて渡御したと言い伝えられています。
 また、今では担がれていませんが、「ほうれん」と呼ばれる白木の子供神輿があります。これは子供神輿というにはちょっと大きすぎますが、子供達に担ぎ方を覚えてもらうためにも大切な神輿です。

旧官幣大社・安房國一之宮(通称・大神宮様)
安房神社 館山市大宮字宮ノ谷五八九

安房神社安房神社祭神:上の宮
天太玉命「あめのふとだまのみこと」日本産業総祖神
天比理刀咩命「あめのひりとめのみこと」相殿、后神

下の宮
天富命「あめのとみのみこと」房総開拓神
天忍日命「あめのおしひのみこと」日本武道祖神

●例祭日:八月十日
●鳥居:神明鳥居
●本殿:神明造
●社紋:十六葉菊花紋
●宮司:岡嶋千暁
●氏子数:百七十戸
●境内坪数:一万六千四百十四坪
●社号碑:元帥東郷平八郎書なる石碑「昭和八年建立」

写真上:上の宮、写真下:下の宮由緒: 安房神社は安房国一之宮で、天太玉命を祭神としています。古語拾遺などによれば、安房神社の始まりは二千六百年あまり前に遡り、忌部一族による安房開拓神話に登場する安房忌部氏の祖・天富命が、その祖神を祀ったものとされています。
 境内地からは古墳時代の祭祀用土器が出土しており、古代祭祀の地に神社が建てられたことがわかります。また、境内にある海食洞窟遺跡からは人骨や土器が発掘され、県指定史跡になっています。
 文武天皇時代(六九七~七〇〇年頃)、朝廷の崇敬の篤い神社から特に名高い由緒ある神社のある郡だけを「神郡」として全国でわずか七郡だけが認められました。その一つが「安房神社」が鎮座する安房国安房郡です。
 平安時代の大同元年(八〇六年)にはすでに百戸の封戸を有しており、延長五年(九二七年)の「延喜式神名帳」には式内大社「安房坐(アワニマス)神社」と記されています。
 戦国時代には里見氏の崇敬をうけ、社殿の復興や社領の寄進も行なわれ、この社領は江戸時代にも引き続き幕府から寄進をうけました。
 明治四年の社格制度により官幣大社に列せられ、燦々と輝く十六葉菊花紋を社紋とされました。神社が所蔵している、日蓮上人本人が四十二才の厄除に彫ったといわれる木造狛犬や木椀・燧箱・高坏・古鏡などは市の指定文化財になっています。
 安房神社上の宮祭神・天太玉命は日本産業の総祖神として大変広く崇められ、安房国一之宮として安房全域はもとより、上総・下総・関東地方の信仰を広く深く集めています。

厳格に執り行われる神事祭事:安房神社では一月一日の歳旦祭から十二月三十一日の除夜祭まで年間で二十七もの神事が挙行されます。主なものは、一月の「神田祭」、「置炭神事」、「粥占神事」、五月に行われる「御田植祭」、六月と十二月の「大祓祭」、八月十日の例祭(浜降祭、磯出の神事とも呼ばれる)、九月の「安房国司祭」、十一月には「新穀感謝祭」、そして十二月の「神狩祭」などです。また、神社庁からの「幣帛供進使」など官幣大社ならではの神事も執り行われています。

写真上:例祭での神輿渡御、写真下:境内にある御旅所例祭:毎年八月十日の例祭は、古くは「浜降祭」とも「磯出の神事」とも呼ばれ、天富命の房総開拓がなると各地の忌部族が毎年相浜に会して当社に参拝した故事に由来するといわれています。
 この例祭には、かつては洲宮、布良崎、相浜、熊野(佐野)、犬石、八坂(中里)、日吉(神余)、下立松原、浅間、三島、神明(白浜)の各神社が入祭しました。
 御旅所への遷幸の行列は薙刀、鉄砲、台笠、立笠、草履取、挟箱、大鳥毛、鞨鼓、大榊、猿田彦、宮司、氏子総代、神輿という、氏子と十万石の大名の格式をもった壮大なもので、「夕日の祭典」とも称されていました。

安房国司祭出祭:安房国司祭出祭 例年九月十四・十五日(近年は敬老の日の前の土日)に鶴谷八幡宮での安房国司祭は、安房神社にとっても大きな神事です。この神事は、古史料によるとおよそ千年前の延久年間に始まったとされ、その名前を変えながらも連綿と現代まで続いています。
 安房国司祭出祭には近隣の佐野、犬石、中里、竜岡、松岡から担ぎ手が参加します。出発日の早朝「しゅく」と呼ばれる足馴しを二の鳥居から一の鳥居まで佐野、犬石、中里の順に3往復行う慣わしがあります。
 その後鶴谷八幡宮へ向け出発。途中の新宿神明神社に立ち寄り奉幣祭が執り行われます。これは、この辺がまだ入江だった昔、南三社(安房神社、洲宮神社、下立松原神社)の神輿が、新宿の御船に乗って渡御したという故事にならった神事です。
 鶴谷八幡宮入祭時には、夫婦神を祀っている洲宮神社と一緒に入祭し、その喜びを共にします。鶴谷八幡宮には「安房神社遥拝殿」という特別な「御旅所」が設けられており、安房国一之宮ならではの格式が保たれています。
 安房神社神輿の担ぎ手の衣装は、白以外の色物は使用しません。また、神輿を担ぐ時の掛け声は「おとーい、おとーい」ですが、これは「おー、尊い」が語源だとされています。その掛け声に併せて「きれいに揉む」ことが伝統となっています。

PDFファイルをダウンロード(サイズ:835KB/459KB)

館山市神戸地区大神宮・安房神社(表面) 館山市神戸地区大神宮・安房神社(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。