長須賀 長須賀地区

たてやま おらがんまっち 館山市長須賀 長須賀地区

地域の紹介

江戸への陸路「房総往還」沿いにある長須賀の古刹・来福寺「富士うつる鏡が浦を打ち見れば 潮干に遠き長須賀の里」
 その昔、建久年間に西行法師がこの地に訪れたとき詠まれたといわれています。
 境川と汐入川にはさまれ、地名の由来「長渚」とされる砂州に形成された町場で、江戸時代には宿場町として栄え、江戸へ向かう陸路「房総往還」に沿って、数々の歴史的建造物をはじめ、古い街並みの面影が今も見られます。県無形文化財の唐桟織や金切鋏、錺工芸などの伝統工芸も盛んに育んできた町であり、さらに電話局や東京電力、館山の天気予報が発信される「館山測候所」(二〇〇六年から、「館山特別地域気象観測所」となる)等の市の重要機能が集中していることも長く館山の中心地であった裏付けといえるでしょう。現在は、八つの町内で構成され、総世帯数実に千三百世帯を誇る市内でも指折りの地区です。

自慢の屋台

長須賀地区の屋台●神社名:熊野神社
●棟梁:石井五郎
●彫刻:後藤義孝 
●錺:滝川正郎
●制作年:昭和三十年
●提灯:獅子に牡丹
●彫り物:前方破風の鳳凰、柱に獅子に牡丹
●仕組み:舞台繰り出し方式

 長須賀の屋台は子供たちにもお祭りを楽しませようと昭和三十年、町内の熱い思いと多額の浄財によって製作されました。市内でも一、二を競う大きさと、前方破風に据えられた迫力ある鳳凰がまず目を引きます。長須賀屋台の祭半纏さらに舞台が前方へとせり出す方式は新しく、当初は芸者が踊り、祭りに華を添えていましたが、その後館山・仲町から伝授された「ぴっとこ踊り」が定着し、今やすっかり長須賀の文化となり子供たちへと伝えられています。
 青柳日枝神社の御神木を材料に、石井五郎棟梁、彫師後藤義孝、錺職滝川正郎による匠の技を極めた屋台は、平成十七年の改修を経て現在に至ります。また青柳日枝神社の御神木は改修後も提灯の短冊として今も屋台を守り続けており、神輿の襷、屋台の内幕には唐桟織が使われているなど、過去か
ら現在へその技と心意気が神輿、屋台を通じて伝えられています。
房州後藤流彫工後藤義孝によるみごとな屋台彫刻

旧長須賀村 村社
熊野神社 館山市長須賀字裏町四〇六

熊野神社熊野神社祭神:
伊弉册命「いざなみのみこと」
事解男命 「ことさかのおのみこと」
速玉男命 「はやたまのおみこと」
由緒:創建は不明。熊野速玉大神を主神とした社で、家内安全、五穀豊穣、商売繁盛、学業成就の神として崇められています。

新築された神輿蔵●例祭日:七月十四日過ぎの直近の土日 
●鳥居:明神鳥居
●本殿:銅版葺神明造り 
●神紋:左三つ巴
●宮司:酒井昌義 
●氏子数:千三百戸
●境内坪数:一三〇・三坪
龍が施された手水舎

自慢の祭

 二日間行われる長須賀祭礼は、一日目は神輿の渡御で、数年前から復活させた夕方のお浜入りから夜の来福寺境内での餅投げが見どころです。往時、大勢の担ぎ衆の尽きない祭りへのエネルギーから「暴れ神輿」とも言われた片鱗が今も神輿に勲章として刻まれています。屋台の踊り舞台で踊る女の子
 二日目は屋台の引き回しで、「ひっぱり手が主役」と考える長須賀は、大きな屋台にも関わらず広大な町内の狭い路地の隅まで引き回し、ひっぱり手の威勢のいい掛け声と太鼓の音を響かせます。平群囃子用の大太鼓、江戸系囃子用の中太鼓を使い分け、多彩なお囃子で祭りを盛り上げます。
 一番の見どころは夜に行う「ぴっとこ踊り」ではないでしょうか。
お酒の力か、はたまた本性なのか、大人たちが代わる代わるアドリブを加えユーモアたっぷりにぴっとこ踊りを舞います。大人も子供も観衆もひとつになり、笑い声とともに楽しい宴が続きます。
 このように盛大に神輿、屋台の祭礼を同時に執り行うことができるのは、ひとえに連合町内会、氏子総代会、奉賛会、世話人、商業会、壮年会および地域住民の多くの御苦労、ご協力あっての賜物です。
屋台引き回し 威儀を正してのお練り、昔から伝わる祝唄「とうがね」などの伝統を持ちながらも、「屋台の祭りの歴史はまだ浅い」 という謙遜、 「一地域だけのお祭りだからこそ、変化を加えることができる」という言葉のとおり、旦那衆の粋が漂う長須賀の祭りは、誇りと伝統を大切にしながらも、未来に向かって今後も進化していくでしょう。

自慢の神輿

長須賀地区の神輿●神社名:熊野神社
●屋根:方形屋根普及一直線型 
●蕨手:普及型
●造り:漆塗り
●露盤:桝型 
●棰:扇棰
●胴の作り:平屋台
●桝組:五行二手
●扉:前後扉
●鳥居:明神鳥居
●台輪:普及型
●台輪寸法:三尺七寸
●彫刻:後藤利兵衛橘義光
●制作年代:明治二十六年

 長須賀地区の神輿は、館山市内でも数少ない房州後藤流初代義光による彫刻が施された、歴史的価値の高い神輿です。その「素戔嗚命と櫛名田比売の八岐大蛇退治場面」の彫刻は初代義光の傑作と言われています。
 房州後藤流初代義光による神輿胴羽目彫刻その当時の長須賀は「商業の街」として発展しており、多くの丁稚が働きに来ており、「彼らにも神輿を担がせてあげたい」という旦那衆の思いから、「小殿」と言われる小神輿も同時に製作されていることも驚きです。
 平成四年には神輿の大改修、昨年平成二十四年には神輿蔵も新築されました。

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館山市長須賀 長須賀地区(表面) 館山市長須賀 長須賀地区(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。