順天丸殉難碑

関澤明清が設立した関澤水産製造所は、関澤の弟・鈴木余三男らによって房総遠洋漁業株式会社(後の東海漁業株式会社)として引き継がれていきます。房総遠洋漁業は、1901(明治34)年に東京市(当時)の帝国水産会社より、漁船・順天丸を購入し操業しましたが、1903(明治36)年に朝鮮海域で遭難沈没しました。殉難者22名を悼み建てられた遭難記念碑は、楠見の石工・俵光石によって刻まれました。