正木燈

正木貞蔵は海運業の発展に尽力し、晩年は北下台に暮らしました。水産業に貢献した長男・正木清一郎(船形町長)は、航海事業に生涯を賭けた父を思い、1917(大正6)年、隠宅の地に航路標識灯と公園内の照明を兼ねて燈台を建てました。花崗岩2枚の基台に柱を挿入した高さ7間の柱頭には、百蜀のアーク燈が輝き、正面には書家・小野鵞堂の揮毫により「正木燈」ときざまれています。管理は館山町に委託したと言われていますが、灯火は1951(昭和26)年に廃止されました。戦後の港湾法では、この正木燈を基点として半径3kmの範囲が館山港と指定されています。