館山観音堂旧址跡

かつて安房三十四観音第三十一番札所の観音堂がありましたが、1964(昭和39)年に仲町の長福寺に遷座され、今は碑と墓地だけが残っています。敷地入口には、沼出身の江戸時代絵師・勝山調が1814(文化11)年に描いた句碑があります。裏面に狂歌を描いた狂歌師・絵具皿丸とは同一人物といわれています。1886(明治19)年に療養できた山口県士族の金近虎之丞は、北下台に屋敷を構えました。当時、国内外の医師により海水浴療法が提唱されたのを受け、金近は海水と真水による「汐湯」という浴室つきの下宿「金虎亭」をつくり、一般にも開放しました。この頃から、避暑避寒や転地療養の適地として、鏡ケ浦は注目されていきます。