おらがんまっち

館山地区 上町

地域の紹介

 上町は、里見氏時代から城下町として商人が多く住む町方集落として栄えてきました。江戸時代からは、商人、職人、漁師、海運業者などが町内ごとに自立された町として活気が維持されてきました。
 現在では城山下から浜へと延びる小さな地区に、百五十世帯ほどの人々が暮らしています。他の地域同様、子ども達が少なくなっていますが、祭りに向けお囃子の稽古などに余念がなく、町内に佇むお地蔵さんに見守らているような、和やかな地区です。

自慢の山車

特異な意匠の囃子座正面の龍彫刻
 上町の山車は明治中頃に製作されたと伝えられており、彫刻は安房の名工初代後藤義光の高弟「後藤義雄」の作です。後藤義雄による山車彫刻は珍しく貴重な作品です。
 山車を見上げると、まず目に飛び込んでくるのが囃子座上を覆い尽くさんばかりの巨大な龍です。潔く扁額も排し、
囃子座側面の竹に虎の両面彫
顎を開いた龍の姿は勇壮で今にも飛び出してきそうな迫力で、さらに囃子座上側面には龍にも引けを取らない勇猛な虎が竹林とともに彫り出されています。また一切の妥協を許さない彫刻の技は裏側までも施され、そこに刻まれた鶴の彫刻は、囃子座で太鼓を叩く地区の人間以外はなかなか目にすることのできない代物となっています。
囃子座正面の龍彫刻は両面彫の丁寧な仕上げ。 「龍」の裏には「波に鶴」が彫られている
そしてこれら三面の彫刻はすべて巨木の塊から彫りだされているゆえに、重厚で見るものを圧倒させます。
 さらに、勾欄一段目の四隅には、真鍮製の擬宝珠に代わる一木彫の龍の彫刻が巻きついており、上町の山車の大きな特長となっています。この他にも四本の柱には「波と岩」、勾欄周りは「鯛や鰹」をはじめとした豊かな海が表現された無数の彫刻が所狭しと山車全体を彩っています。
擬宝珠の代わりの一木の龍彫刻
 上段幕は白の生地に鳳凰が、下段は波と千鳥の刺繍が施され、その上にそびえる人形は「国常立尊(クニトコタチノミコト)」であり、その御姿は勇壮な中にも優しを秘めた顔立ちが印象的です。
 昭和五十三年に山車小屋ができるまでは、祭礼の度に山車を解体して倉庫に納め、地区の人々の協力で組み立てていました。昭和五十四年に山車の大修理、幕の新調を行い、平成十一年には土呂幕の新調、平成二十六年には提灯および梶棒の新調が行われた上町の山車は、今も昔も地域の人々に愛される自慢の山車として脈々と受け継がれています。

●制作年:明治中期
●彫刻師:後藤義雄、後藤喜三郎橘義信
●人形:国常立神
●上幕:鳳凰
●大幕:波と千鳥
●提灯:上町の牡丹文字
●半纏:上町の牡丹文字

諏訪神社

関東大震災前の諏訪神社の扁額
旧鎮座地:館山市館山(現 上仲公園)
現在は館山神社に合祀されている

●祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)旧別当 長福寺(仲町)
●由緒 大正十二年八月までは現在の上仲公園地に上町と仲町の産土神としての諏訪神社が鎮座していました。しかし大正十二年(一九二三)九月一日に起きた関東大震災により諏訪神社が倒壊し、その後は、城山を背景とした館山町の中央たる清浄の土地に新築された、館山神社へ合祀されました。

旧諏訪神社にあった武志伊八郎信美(三代伊八)の彫刻
上町集会所には当時の諏訪神社に施されていた安房の名工・武志流三代目武志伊八郎信美作の龍の彫刻が残されています。

自慢の祭

昭和21年撮影 上町協進會
 上町の祭礼は例年八月一日、二日に行われる「館山のまつり」に山車を出祭します。古くは「上町協進會」という組織が祭礼の運営をしていた時代もあり、残されている昭和二十一年八月の写真にその面影を見ることができます。現在は区、壮年会、青年会等の各組織の協力のもと上町区が一体となって様々な運営を行っています。
 また山車の飾り付けや花折り、太鼓・笛の練習も含めた段階から応援に来てくれる〝祭り好きで熱い〞三十人を超える若衆達に支えられています。
五月に行われる試験曳き
また、祭前の五月には「試験曳き」が行われ、準備に余念がありません。
 上町のお囃子は、ぴっとこ・やたい・しちょうめ・へぐり・さんぎり、昔はお囃子によって「バチを変えて叩く」といったこだわりがありました。また以前にはしゃかん・ぴっとこの踊りも披露されていました。
山車にのせる前に 人形台に飾られる山車人形
太鼓の練習はお祭りの3週間前から行われ、集会所は入りきれないほどの多くのこども達で溢れます。さらに一年を通して毎週金曜日の夜に笛の練習会が集会所で行われ、十人ほどの笛吹きが日頃より腕を磨き合っています。
「上若」の大紋

 昭和五十年代前半に統一された半纏の大紋「上若」の牡丹文字は今も変わらず受け継がれ、伝承と伝統を重んじる深い心意気を感じさせます。
 二日間の山車曳廻しの中でも特に盛り上がりを見せるのは、八月二日の本祭で、夕方に館山神社前へ向かう前の海岸通りからの上り坂です。ここでは高揚感に溢れたまさに上町らしい祭りの場面に出会うことができます。
 上町の山車は、下段幕の傷みを防ぐなどの意味もあり、
館山神社へ入祭する上町山車
大幕下回り三方の床板が抜かれていて、子どもは乗れないようになっていますが、その分子ども達は大人に交じって綱を持ち曳き廻しに参加します。山車に乗れない分、どんな場面でも綱を持つこども達を排除しないという温かい志があります。
 大人から子どもまでが一体となり作り上げる、皆が楽しみ合える自慢の祭りです。
大人から子どもまでが一体となって盛り上がる曳き廻し

8/1・2 館山のまつり

●祭りの起源 大正三年、旧館山町(現在の青柳、上真倉、新井、下町、仲町、上町、楠見、上須賀地区)と、旧豊津村(現在の沼、柏崎、宮城、 笠名、大賀地区)が合併し館山町になったのをきっかけに、大正七年より毎年十三地区十一社が八月一日・二日の祭礼を合同で執り行うようになりました。その後、大正十二年の関東大震災により、諏訪神社(下社)、諏訪神社(上社)、厳島神社、八坂神社の四社が倒壊したため、協議により各社の合祀を決め、昭和七年に館山神社として創建されました。
 現在は館山十三地区八社として、神輿七基、曳舟二基、山車四基がそれぞれの地区から出祭しています。愛称「たてやまんまち」として、城下の人々によって伝え続けられてきた〝心のまつり〞です。

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館山市館山地区 上町(表面) 館山市館山地区 上町(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。