19番 普門寺(ふもんじ)

補陀洛山普門寺(正文寺しょうぶんじ) 【日蓮宗】 聖観世音菩薩
ご詠歌「ふもん寺へ ひばらまつばら分けゆけば めぐみも深き岩やなりけり」
観音像は天平(てんぴょう)19(747)年行基の作と伝え、古くは字寺谷(てらやつ)の山中にあって岩戸観音と呼ばれた。岡本兵庫が寄進した懸造(かけづくり)の観音堂があったといい、天保15(1844)年に改築され、飛騨の石工仁兵衛が9年をかけて堂を巡る参道を整備し信仰を集めたが、江戸時代末に無住となって盗賊赤忠(あかちゅう)の一味が根城にしたことがあり、観音像は大正6(1917)年に正文寺(しょうぶんじ)祖師堂へ移された。普門寺への旧入口に宝暦4(1754)年の「壱拾九番普門 三原」の石柱がある。正文寺の本尊は日蓮聖人奠定(てんてい)大曼荼羅(だいまんだら)。当地の豪族真田氏の菩提寺として創建された禅宗の寺だったが、天正(てんしょう)2(1574)年に勝浦城主正木頼忠が父時忠の菩提寺として日蓮宗に改めた。境内には市指定史跡の中世のやぐら内の磨崖(まがい)五輪塔、正木氏由縁(ゆかり)の供養塔などがある。