那古地区 芝崎

地域の自慢

 那古山の南側に位置する地区で、江戸時代には那古寺の寺領であり寺赤、宿、芝崎として、内房随一の観光・商業地であり、また、那古寺の門前町としてもおおいに栄えていました。
 那古寺の境外仏堂で寺領区域内の「芝堂」と呼ばれる墓地には、全国各地から商人が集まってきたとみられる「大和屋」、「越後屋」などの墓碑銘が数多く見受けられます。
 毎年一月の第二日曜日に区内十一斑が持ち回りで「おびしゃ」が集会所で行われます。古式に則り、入口に「山王大権現」、「千手観音菩薩」と書かれた幟を立て、集会所の床の間を背に右から「千手観世音」「日吉山王宮」「千手観世音菩薩」と書かれた三幅の掛軸を前にして行われます。区所有の有文書には、江戸時代の貴重な「おびしゃ」の記録が多く残されており、また十五日講と呼ばれる昔からの行事も受け継がれています。
 昭和の頃までは、職人さんが多く住まわれていた地区で、明寿会、壮年会、青年団、さくら会、子供会などの組織をもとに、百十五世帯余りの人々が暮らす、古い仕来りが受け継がれている地区です。

自慢の山車

囃子座前柱の「高砂」
 芝崎自慢の山車は、那古町内の山車の中でも小ぶりながらもバランスの美しい山車で、明治三十年以前の山車と云われています。
 そもそも芝崎町内は狭い道が多く、町内の隅々までお祭りを届けようと山車全体が小ぶりになっています。昭和二十二年までは固定式一本棒の舵棒をつけていましたが、現在では狭い道を曳き廻すために舵棒を90度曲げることのできる仕組みに変わっています。
 山車彫刻は囃子座の上で翼を大きく広げた鳳凰が前方を見守り、前柱の相生の松、上に鶴、下に高砂の尉と姥が立つ姿、下高欄胴の亀など、おめでたい彫刻が主体となっており四隅の金剛力士の彫刻も豊かな表情で見る人たちを飽きさせない、芝崎自慢のひとつです。
初代後藤義光作の力士彫刻
 人形は天照皇大神でそのすらりとした気品あるたち姿と慈愛に満ちたまなざしは見る人を魅了します。
 また高欄を上げる際の人形と高欄が一緒に上がる仕組みは今も昔も変わらない仕組みになっています。
 平成二十八年に新調した桁の欅の扱いには、トクサで磨いて真綿で仕上げ蜜蝋(みつろう)をすり込むというこだわりをもち、平成二十九年には大幕とどろ幕を新調しました。また山車全体の骨組みも修復しましたが、山車の寸法を昔と変えないことにこだわった結果、美しいバランスのとれた自慢の山車は健在です。

こだわりの扱いをしている欅の桁
●地区名:芝崎
●神社名:日枝神社
●制作年:明治三十年以前
●彫刻師:初代後藤義光、後藤義房
●人形:天照皇大神 
●上幕:注連縄 ●大幕:雲に唐獅子牡丹図
●提灯:芝崎に桜花 ●半纏:芝崎の大紋

日枝神社

那古寺境内にある日枝神社
館山市那古六七一番地(那古寺観音堂境内)
●祭神 大山昨命(おおやまくいのみこと)
●宮  司 加茂信昭
●例祭日 四月十四日

「おびしゃ」に使われる三本の掛軸
●由緒
 那古観音堂の奥に日枝神社があります。神仏分離令(慶応四年)までは山王大権現といい、那古寺の裏鬼門を守護する境内鎮守堂でしたが、その後、社号を日枝神社と改称しました。現在は明治維新まで那古寺の寺領であった寺赤・宿・芝崎の三区が其々の氏神として管理しています。
安永四年六月の文字と寄進された方々十八名の名前が刻まれている灯籠
 境内には江戸時代に寄進された四角型灯籠一対とさらに昭和四十年十二月吉日の日付けが入った一対の狛犬があります。向かって右の狛犬、阿形像の台石表面には「奉納」、裏面には「那古芝崎 日の出屋」と刻まれています。
 現在、一月の第二日曜日には芝崎集会所の三本の掛け軸の前で「おびしゃ」が行われます。
 同じく、四月第二日曜日の日枝神社例祭日には「甘酒まつり」も行われて、子供神輿が町内を一巡します。

自慢の祭

那古祭礼での曳き廻し
 「那古観音祭礼」は那古寺の門前町を中心とした六町内の五台の山車と一台の屋台の引き廻わしにより行われます。寺院が取り仕切る祭礼は千葉県では成田山新勝寺と補陀洛山那古寺との二か所と伺います。全国的にも珍しいケースではないでしょうか。
 芝崎組は青年団より総代(祭礼の最高責任者)を二名選出し、十数名からなる団員の献身的な働きにより、準備から運営まで青年団が中心となって祭礼を執り行っています。
 また、交通、防犯、会計等の役割は壮年会も協力し、子供会のお母さん達は祭礼当日門口に飾る花を子供達と一緒に作ったり、祭礼終了後の後片付けにも積極的に参加します。町内会では山車の通り道の小枝払いを行う等町内が一体となって祭礼を盛り上げています。
 祭礼初日の宵祭では町内を隈なく山車の引き回しを行い、地域中に子どもたちの元気な声とお囃子の音色が賑やかに響き渡ります。町内には狭い道も多く、その為那古地区の中ではもともと小振りに作られている山車ですが更に太鼓や提灯までも一度はずして入って行く場所もあります。町内の隅々まで山車の姿やお囃子の音を届けたいという優しさと地域の絆を大切にする深い思いが伝わってきます。
 毎年祭礼前に行われる太鼓の練習会には、小さな子から小中学生まで多くの子ども達が集まり、子どもを会場まで送ってきた若いお母さんも興に乗って参加して一頻り太鼓を敲いたりと、和気藹々とした雰囲気の中で青年団の熱心な指導が連日行われています。また一方「太鼓はゆっくり叩くのが基本」など、子ども達にしっかり芝崎伝統の桴さばきを伝えたいと青年団自体の太鼓の練習会も毎月一回続けています。
 他にも木遣りの歌詞の保存をしたり、手持ちの扇子を作ったり、格調高い伝統のお祭りを心掛けています。更に、祭礼当日頂いたお祝いのお礼に青年が手造りの木札を配ったり、「からし色の襦袢」を揃えるなど感謝の念と連帯感を大切にする芝崎組です。
大人たちに見守られている芝崎の子どもたち
 町内会は平成二十六年に町内の皆様の絶大なるご支援ご協力を得て、芝崎山車修繕実行委員会を発足させました。山車が出来て以来凡そ百年振りの大修繕と聞いております。今年漸く五カ年計画終了の節目を迎えました。青年達が見守る中、今この山車に乗って大幕の周りでのんびりとお祭りを満喫している幼い子供達、綱を引く子、太鼓を敲く子、この子達の子、孫、ひ孫、玄孫の時代になってもこの子達の楽しかった故郷の祭りの思い出が代々語り継がれていくような、そんな穏やかな平和な時代がいつまでも続きますようにと今の芝崎の大人たちの祈りを込めて令和元(二〇一九)年七月の御披露目を迎えます。
 思いやりと地域の絆、伝統と芝崎らしさを尊重した活気と笑顔に溢れる自慢のお祭りです。

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館山市那古 芝崎(表面) 館山市那古 芝崎(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。