番外 震災観音堂(しんさいかんのんどう)

震災観音堂 【曹洞宗】慈恩院境外仏堂 聖観世音菩薩
ご詠歌「あわやとて たつまなきまにきゆるみは おなじはちす(蓮)の花のうてな(台)に」
関東大震災で未曽有(みぞう)の被害を受けた安房郡内では1206人の犠牲者を出した。死者の霊を慰めるために延命寺の佐々木珍龍(ちんりゅう)禅師が北条六軒町に創建した堂で、戦後現在地に移された。本尊は佐渡の仏師親松(ちかまつ)佛巌(ぶつがん)翁作。ご詠歌は震災で外孫を亡くした北条在住の万里小路(までのこうじ)通房(みちふさ)伯爵が詠み揮毫(きごう)した。境内の石灯籠は北条の富士浅間(仙元)講中の百余名が慶応2(1866)年に寄進したもの。海運事業の発展に寄与した小原謹一郎の顕彰碑もある。謹一郎は私財を投じて館山の近代化に寄与した人物で、その父善兵衛は幕末から明治の初めまでに汐入川を改修し、右岸の沼地を埋め立てて水田とし「小原新田」と呼ばれていた。