神戸地区 中里

地域の自慢

 太平洋を望む平砂浦に注ぐ巴川の河岸段丘に展開する地区です。
 里見氏以前の有力武士がいたとされる室町時代作の「天田やぐら」と言われる4基のやぐらや、五輪塔などが残されており、八坂神社の別当寺である「金蓮院」のまわりの小字名には、寺にまつわる字名「塔の下」「塔〆」などがつけられています。
 農業を営むなか、田畑が少ないため、漁師の手伝いをするなどの「半農半漁」や、外へ勤める人が多く、昭和六十二年に安房地域で初めて開設された知的障害者施設「中里の家」を区民で温かく見守っています。
 毎年八月九日に行われる祭礼に向けて、一月二日の青年団が主となる「歌い初め」、十三日の「十三日こもり」、二月十四日の区民総出の「おびしゃ」、十一月二日の「日待ち」などのたくさんの行事を、四十二世帯ほどの人々で継承している自慢の地域です。

自慢の神輿

 中里区の神輿本体の近年の調査の折に、神輿胴体内に明治三十年の墨書きがあることがわかりました。
 そこには当時の役員面々の名前と一緒に
「神戸村中里区
 八坂神社
 神輿改造
 明治丗年
 八月八日
  祓式執行

神輿内面の墨書き
 北条町北条
   大工 羽山権之助
 彫刻師   後藤利平義光
 北条町長須賀
   金物師 滝川嘉吉
 冨崎村相濱 
   塗 師 中村清次郎」
と書かれています。
 この墨書きには「神輿改造」の文字が見えることから、中里区では明治三十年以前から神輿を持っていて、その神輿を明治三十年八月に大工、彫刻師、金物師、塗師が関わっての大幅な修理あるいは改装が行われ、今に伝わっていると思われます。
 神輿本体は小ぶりながら、塗りや金物も美しく仕上がられていて、それぞれの場所に後藤利兵衛橘義光の彫刻がきっちりと納まっているバランスのとれた風格のある自慢の神輿です。

●屋根:延屋根方形一直線型 ●蕨手:普及型 
●造:塗神輿 ●露盤:桝形 ●胴の造:平屋台 
●舛組:五行三手 ●扉:四方扉 ●鳥居:明神鳥居 
●台輪:普及型 ●台輪寸法:3尺6寸6分
●神輿製作:明治30年(1897)
●彫刻師:後藤利兵衛橘義光(83歳) 
●大工:北条町北条・羽山権之助
●金物師:北条町長須賀・滝川嘉吉 
●塗師:冨崎村相濱・中村清次郎

きっちりと納められた後藤利兵衛橘義光による彫刻

八坂神社

千葉県館山市中里字下台一一七
●祭神 建速須佐之男尊(たけはやすさのうのみこと)
●宮司 浅倉良次
●例祭日 八月九日
●境内神社 稲荷神社
●境内坪数 252坪

●由緒
 昔は祭神は「牛頭天皇」ともいわれ、中里八坂神社は天王様とも呼ばれています。
 境内には、石棒や元文元年(一七三六)の棟札、安永二年(一七七三)の手水石や力石三個などが残されており、創建は不詳ながら、江戸時代中期からの史跡が多く残っています。
 社殿裏には、青面金剛像を刻んだ庚申塔や牛頭天皇の石宮、浅間様の小さな祠があり、氏子たちの信仰心の篤さが伺えます。

自慢の祭

安房神社一の鳥居前での勇壮な“もみ”
 およそ四十戸あまりの子どもからお年寄りまで区民総出で行われる中里の神輿祭は、毎年八月九日に神輿御魂入れを行い、十日には安房神社を目指して渡御が行われる。中里の神輿は、前を低くして走るのが特徴ですが、近年に担ぎ棒を檜の長いものに替えてさらに担ぎやすくなりました。
 その昔は、 八月九日に八坂神社を出発して安房神社へ向かい、その日は安房神社の御仮屋へ泊まり、翌日に安房神社と中里の二社の神輿で相濱の海岸へ御濱出へ行ったそうです。
安房神社へ入祭
 安房神社一の鳥居から二ノ鳥居までのおよそ参道が松の木だった頃は、その参道を一気に駆け抜けて、本殿につけたということです。
 現在では、十日だけの渡御になっており、区内廻りでは中里の家子ども神輿をお借りして大神輿と一緒に区内を回ります。そして安房神社へ参拝した後、区内に戻ってからは全部の家の前で神輿を高々とさしながら区内をくまなく回ります。
 そして八坂神社へ戻ってきてからは、最後の盛り上がりで、集会場の前のおよそ200メートルの道を、多いときには十往復以上も走り、祭の余韻を楽しみます。
 子どもからお年寄りまでの地区民が一体となった、温かい自慢の祭りです。

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館山市神戸 中里(表面) 館山市神戸 中里(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。