長安山東光院石堂寺 【天台宗】 十一面観世音菩薩
ご詠歌「ただたのめ 千手のちかい両だすけ 二世(にせ)あんらく(安楽)をかけてたのめよ」
1300年程前、奈良の僧恵命(えいみょう)・恵照(えいしょう)がインドの阿育(あしょか)王(おう)の仏舎利(ぶっしゃり)を携えて当地を訪れ草庵を結んだことに始まり、神亀(じんき)3(726)年に行基が自刻の十一面観音菩薩像を本尊とする堂宇を建立したという。仁(にん)寿(じゅ)元(851)年には慈覚大師が本尊前立を彫刻して百日間の護摩祈祷を行ったといい、以降信者が増え隆盛を極めた。文明19(1487)年に野盗の失火で全山焼失したが、当地の豪族丸氏や里見氏の援助で再建された。その時の本堂や多宝塔はじめ、本尊の十一面観音菩薩像と厨子(ずし)、薬師堂・庫裏(くり)及び旧尾形家住宅は国の重要文化財であり、他に県指定の山王宮、市指定の鐘楼(しょうろう)等が建ち並んでいる。多宝塔修復の際取り外した脇間彫刻は江戸後期の彫物師初代武志(たけし)伊八郎の作品で、現在は庫裏に保存展示してある。