番外 観音寺(かんのんじ)

福聚山観音寺 元は真言宗 聖(しょう)観世音菩薩
ご詠歌「ありがたや まことの道に手引して ふかきえにし(深き縁)をむすぶみほとけ」
縁起によれば、安房の太守(たいしゅ)里見義実(よしざね)が文明3(1471)年に祈願所として建立し、本尊として聖観音立像を安置したという。観音像は弘法大師の作と伝えられている。本寺であった真言宗円蔵院(南房総市千倉町)所蔵の文書に、「穂田(ほた)之観音寺分弐貫代」と記された天正18(1590)年の里見義康(よしやす)寺領安堵状(あんどじょう)がある。徳川氏からは元和(げんな)4(1618)年以来5石の寺領が与えられていた。後に保田の曹洞宗昌竜寺の境外(けいがい)仏堂になった。現在の堂宇は昭和30(1897)年に新築されたもの。番外札所となったことには観音霊場決定の集まりに遅れた「朝寝の観音」の伝説がある。堂内には初代武志(たけし)伊八郎の象鼻と獅子鼻の彫刻、境内には享保(きょうほう)年間の力士「雲の戸重右衛門」の墓や椎茸(しいたけ)栽培の指導者「鈴木初太郎」の碑などがある。