おらがんまっち

館山地区 青柳(あおやぎ)

地域の紹介

 「青柳」は、上真倉と下真倉にまたがった地域で、江戸時代の書物には上真倉村と下真倉村の小字としての記載が残されています。館山地区を流れる汐入川の東側に位置し、東は日枝神社、南は館山バイパスの下真倉南交差点、北は下真倉交差点とJR内房線との中間地点までで、七一八世帯、四区四十五班で構成された広い地域です。
 青柳区民館の近くには江戸時代の稲葉藩館山城の外郭としての役割もあった法連寺と長泉寺があり、幕末には長泉寺で寺子屋が開かれていました。また明治時代、安房郡の老篤農家五人を顕彰した「安房五郎」と言われる人の一人「秋山九右エ門」がこの地に住んでおり、養蚕の普及や道徳教育に尽力しました。
 青柳区には長寿会、壮年会、青年団の各組織があり、夏なぎや大晦日のおたきあげ、祭礼時の子どもたちへの指導などをそれぞれの協力のもと行っています。また青年団の役員交代は「ひやり」と呼ばれ、例年三月第一土曜日に行われるという仕来りが守られています。

自慢の神輿

 青柳区日枝神社の神輿は八月一、二日に行われる館山地区祭礼に出祭します。大神輿と小神輿があり、ともに朱と黒の漆に染められた本体に見事な装飾が施されています。

【初代後藤利兵衛橘義の彫刻】
胴羽目(右)「楠木正成 桜井の別れ」
 大神輿の彫刻は、安房の名工・初代後藤利兵衛橘義光八十四歳作で、義光次男の後藤福太郎と門人後藤定吉と共に制作されたものです。錺師は北條町の新三郎と長渚の嘉吉、大工は館山町の吉田竹治郎で、現青柳の「石井材木店」 前あたりを仕事場にしていたと伝えられています。
【初代後藤利兵衛橘義の彫刻】
胴羽目(左)「大田道灌と山吹の里」
 大神輿胴羽目右は、楠木正成・正行父子の「桜井の驛の別れ」の場面、胴羽目左には大田道灌「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」の和歌にちなんだ名場面が彫られており、特に力強い雨の表現は圧倒的迫力を感じさせます。木鼻も四方、四対の籠彫りを抱えた力の入った彫刻となっています。また、神輿屋根裏には「扇垂木」と呼ばれる木地師の技倆の見せ場でもある扇形を成す垂木が施され、前後扉は色鮮やかな漆塗りに輝く金の錺金具と螺鈿細工が輝く、じっくりと見とれてしまうような美しい神輿です。
 屋根紋には、十五葉の菊紋が三つ施されており、旧山王社の威厳を伝えている自慢の神輿です。

神輿屋根裏の「扇垂木」
●地区名:青柳
●神社名:日枝神社
●屋根:延屋根方形一直線型
●屋根葺:黒漆
●蕨手:普及型
●造:漆塗り
金の錺金具と螺鈿細工
●露盤:桝型
●棰:扇棰
●胴の造:平屋台
●舛組:五行三手
●扉:前後扉
●鳥居:明神鳥居
●台輪:普及型
●台輪寸法:三尺七寸
●彫師:初代後藤義光(補助/後藤福太郎、後藤定吉)
●錺師:北条町 新三郎、長渚 嘉吉
●制作年代:明治三十一年

日枝神社

青柳 日枝神社
旧下真倉村村社
館山市下真倉一番地
●祭神:大己貴神(おおなむち)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
●宮司:酒井昌義
絵馬:「鏡ヶ浦図」 大正4年
●由緒: 日枝神社は、拝殿から城山とその裏に広がる鏡ヶ浦を望むことのできる高台に位置します。江戸時代には日枝神社の前身である山王社として下真倉に鎮座しており、明治の神仏分離令にともない山王社は日枝神社に改組され、大正三年に現在地に遷座されました。
日枝神社社号額(明治30年)
万里小路通房 揮毫
 「本宮」と書かれた日枝神社社号額は、初代義光の緻密な彫り物に囲まれ、その文字は明治天皇に仕えた伯爵・万里小路通房により明治三十年に揮毫されたものです。また、拝殿内には大きな「鏡ケ浦図絵馬」が大正四年に地元・道橋梅吉氏により奉納されています。

自慢の祭

たてやまんまち唯一の羯鼓舞
 青柳地区のお祭りは一日目の大神輿(おおでん)と小神輿(こでん)の渡御に、たてやまんまち唯一の羯鼓舞があります。羯鼓舞は子ども達を中心に行われ、雄、雌、中と呼ばれる三匹の獅子についた太鼓と十人程で合奏される笛とで囃し、お浜入りと呼ばれる館山桟橋、館山神社神輿入祭の前に奉納され、青柳地区祭礼の見せ場のひとつです。
館山神社境内での渡御
 大神輿は、城山から鏡ヶ浦までが一望できる高台に鎮座する日枝神社拝殿脇の神輿庫から、二本棒にて狭い石畳の階段を担いで降り、鳥居前の境内にて脇棒を締め、四本棒にて氏子内への渡御が始まります。
初代義光の彫物が入った昼間用露盤
 館山神社入祭後には、四方に躍動感ある龍が彫られている昼間用露盤を夜用の露盤に取り替える「ますがえ」が幹事役によって行われる仕来りがあります。

 二日目の地回りでは地区内を隅から隅まで回り、神輿歌や神輿に威勢をつける時に歌われる木遣り歌、また甚句などの見せ場があります。

たてやまんまち御濱出渡御
 二日目夜に訪れる団長宅ではご馳走とお酒が振舞われ、高張提灯の周りを回りながら歌い踊る甚句の掛け声「どすこい、どすこい」が響き渡たり、青柳のお祭りは最高潮に達します。
 子どもから年配の方までがひとつになった自慢の神輿祭りです。

8/1・2 館山のまつり

館山神社境内に勢揃いした神輿
●祭りの起源 大正三年、旧館山町(現在の青柳、上真倉、新井、下町、仲町、上町、楠見、上須賀地区)と、旧豊津村(現在の沼、柏崎、宮城、 笠名、大賀地区)が合併し館山町になったのをきっかけに、大正七年より毎年十三地区十一社が八月一日・二日の祭礼を合同で執り行うようになりました。その後、大正十二年の関東大震災により、諏訪神社(下社)、諏訪神社(上社)、厳島神社、八坂神社の四社が倒壊したため、協議により各社の合祀を決め、昭和七年に館山神社として創建されました。
 現在は館山十三地区八社として、神輿七基、曳舟二基、山車四基がそれぞれの地区から出祭しています。愛称「たてやまんまち」として、城下の人々によって伝え続けられてきた〝心のまつり〞です。

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館山市館山地区 青柳(表面) 館山市館山地区 青柳(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。