長楽山智光寺 【真言宗】 千手観世音菩薩
ご詠歌「光明寺 のぼりのどけきはるの日に 山名のはなのちるぞおしさよ」
本尊:不動明王 火災にあい由緒は不明だが行基の開基と伝えられる。石段を登ると正面に観音堂、右手に庫裏(くり)、左手に阿弥陀堂がある。口伝(くでん)によると千手観音はその昔三郡山(みごおりやま)と称する山中にあった無量寿山光明寺の本尊だったが、江戸初期の元和(げんな)の頃に堀の内観音山に再興され、元禄7(1694)年の住職智説(ちせつ)の時に智光寺境内へ移転、現在のお堂は宝暦13(1763)年に再建されたという。阿弥陀堂は安永4(1775)年に建築されたといい、参道入口には江戸中期頃と思われる仁王門がある。境内の手水(ちょうず)石は明治18(1885)年のものだが、水受けがひょうたん型なのがおもしろい。観音堂の裏には寺子屋師匠だった宥界(ゆうかい)大法師の墓があり、安政5(1858)年に山名や館山などの弟子たちによって建てられた筆子塚(ふでこづか)である。寺宝として市指定文化財の木造不動明王立像・木造阿弥陀如来坐像・木造金剛力士立像などがある。