西岬地区 洲崎

館山市西岬地区洲崎 みのこ踊りと御浜出陣事

地域の紹介

南の太平洋、北の浦賀水道と館山湾の入口を扼し、この岬を境に海の姿は一変します。晴れた日には、相模灘を隔てて正面に富士をおき、伊豆大島から、伊豆箱根の連山、丹沢の山々、三浦半島までが一望のもとにおさめられます。さらに、目前の海路には、さまざまな船が行き交う、洲「スサキ」の神の鎮座地にふさわしい雄大な景観であります。祭り前から始まる冬のストック栽培にむけての種まき、年間通じての釣り客用の仕立て船、夏場の潜り漁、働き者が多い半農半漁の地域です。

地域の自慢

 いにしえの昔、忌部の人達が執行してたのかのような、御浜出の行列、神事。「祭りの原点を見ているかのようです」。
 八月の例祭日と二月の初午に奉納される県指定無形民俗文化財のみのこ踊り、市指定有形文化財の神社本殿、県指定天然記念物とされる「御手洗山」、安房國一宮としての神社の維持、管理。
 脈々と続く富士講、正月のしめ縄飾りから、七月には各戸がおまんじゅうを作って奉納する祭事など、総勢四十名からなる、祭りごとを支える青年団の結束力。
 百戸に満たない小さい地区での、大小三基からの神輿の維持、今だに続けられる祭り当日の芸能祭、心の絆の深さが感じとれる集落です。

みのこ踊り

みのこ踊り 毎年初午と八月二十日~二十二日の神社例祭に奉納されます。「みろく踊り」と「かしま踊り」の二種類からなり、地元ではこれらを「みのこ踊り」と呼んでいます。
 踊り手は、基本的には小学生から中学生までの女の子が中心ですが、近年は児童の減少から成人の女性がまじっています。オンドトリと呼ばれる一名の太鼓役と二名の歌役が中央に座り、その周りを踊り手たちが円形に取り巻き、太鼓と歌にあわせて踊ります。
 「みろく踊り」は、左にオンべ「長柄の御幣」を肩に担ぎ、右に扇を持つ。初午の時のオンべは、青竹に榊と五色の幣束、例祭の時のオンべは、白い幣束と鏡、世直しを願う念仏踊りの系譜にあたり、弥勒が遠い海の彼方から訪れ、富や豊作をもたらすという内容。
 「かしま踊り」は、扇のみを使う。鹿島の神人が一年の豊凶を告げ歩く「事触れ」に由来するもので、悪霊払いを目的としています。

現在のみのこ踊り 昔のみのこ踊りの様子

安房國 一宮 洲崎神社(千葉県館山市洲崎字神官免一三四四)

洲崎神社祭神:天比理刀咩命(あまのひりとめのみこと)
由緒:神武天皇の御代、勅命により天富命が四国の阿波の忌部族を率いて房総半島を開拓され、関東大震災(大正12年)以前の洲﨑神社忌部の総祖天太玉命を祀ったのが安房神社で、后神天比理刀咩命の奉持された御神鏡を神霊として祀られたのが洲﨑神社といわれます。
 治承四年(一一八〇)には、源頼朝が参籠して源氏の再興を祈念し、室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守として明神の分霊を勧請したと伝えられています。
 里見七代義弘は神領五石を寄進し、徳川将軍もこれにならって朱印状を下しました。文化九年(一八一二)には老中松平定信が筆を振るった「安房國一宮洲﨑大明神」の扁額が奉納されています。
現在の洲崎神社 また東京・品川神社は、文治三年(一一八七年)源頼朝が安房国の洲﨑神社から天比理刀咩命を勧請して祀ったのに始まると伝えられています。
 本殿は、延宝年間(一六七三~八一)の造営とされ、軒先の組物を唐様三手先としている珍しい神社建築として市指定有形文化財になっています。

例祭

厄除坂を「神と降りる」洲﨑神社例祭は、例年八月二十日から二十二日までこのパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。
安房神社で、后神天比理刀咩命の奉持された御神鏡を神霊として祀られたのが洲﨑神社といわれます。
 治承四年(一一八〇)には、源頼朝が参籠して源氏の再興を祈念し、室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守として明神の分霊を勧請したと伝えられています。
 里見七代義弘は神領五石を寄進し、徳川将軍もこれにならって朱印状を下しました。文化九年(一八一二)には老例祭の三日間行われます。みのこ踊り、神輿渡御、芸能祭と伝統をしっかりと引き継いで執り行われています。
神輿渡御は、御手洗山中腹の洲﨑神社から斜度三十度にもなる「厄払坂」の階段百四十八段を、「もみ」「さし」を繰り返しながら降りる勇壮な祭が行われます。
 まさに「神と降りる」その姿は、見ている人たちをも熱くさせる神々しさに満ちています。
 その後、三基の神輿は猿田彦神の行列とともに浜に降り、御浜出神事が厳粛に執り行われます。
 三日目には、地域ぐるみの「芸能祭」が行われます。
 大きな神事を無事行ったあとの、みんなの楽しみのひとときです。あたたかい地域ならではの伝統芸能祭です。

御浜出神事 御浜出神事に向かう猿田彦神の行列

洲崎神社御輿地区名……洲崎
神社名……洲﨑神社
屋根………述屋根(白木)
蕨手………普及型
造り………白木
露盤………桝型
棰…………扇型
胴の造り…二重勾欄
桝組………五行三手
扉…………四方扉
鳥居………明神鳥居
台輪………普及型
台輪寸法…四尺
制作者……不詳
制作年代…昭和初期
修復………平成18年8月


PDFファイルをダウンロード(サイズ:934KB/716KB)

洲崎地区(表面) 洲崎地区(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。