北条地区 南町

たてやま おらがんまっち 館山市北条地区 南町

地域の紹介

館山市北条地区 南町の山車 南町は、北条地区市役所通りと国道128号線が交わる「南町交差点」から長須賀方面へのびる道の両側に広がる地域です。この道は、江戸時代には「房総往還」と言われた街道で、江戸への陸路の街道でした。
この街道沿いには大店や寺社が軒を連ね、その裏には江戸神輿も手がけた安房飾師の草分の松屋をはじめ、文化三年(一八六三)の鶴谷八幡宮造営にあたって世話役を務め、北条組大工を束ねた羽山林兵衛や、あまりの切れ味に悪用されたため徳川幕府が製造を禁止するほどだったと伝えられる「房州鋸」の職人や塗師、大工などたくさんの職人たちが住んでいました。
それらのことがいまでも南町が「職人の街」と言われる所以です。 近年では住宅地が増え、五百戸にもなる大きな地域になりました。
町の中心的存在の蛭子神社では氏子達により毎月の神社掃除をはじめ、さまざまな催事が行われています。

自慢の山車

●制作年 : 明治二十九年
●人形 : 神武天皇
●扁額 : 南街
●上幕 : 龍
●大幕 : 獅子に牡丹
●泥幕 : 波に千鳥
●提灯 : 赤に白抜きの巴紋が三つ
●半天 : 煉瓦崩し
●彫刻 : 唐子、西王母、八岐大蛇、浦島、龍、兎、鶴、亀など
●彫刻師 : 後藤利兵衛橘義光(房州後藤流初代)

金箔で染められた山車額の「南街」の文字南町の自慢と言えば、なんといってもやわたんまち(安房国司祭)に出祭する「山車」です。この山車は明治二十九年に製作されました。その形は「江戸型山車」といわれる人形せりだし型の山車で、日本の初代天皇とされる「神武天皇」の人形を乗せています。山車正面扁額にある「南街」という金箔で染められた文字の「街」の字が、その昔の賑わいを伝えるように鮮やかに輝いています。
細部まで丁寧に仕上げられた彫刻 そして、所狭しとばかりにつけられた数々の彫刻は、房州後藤流初代橘義光の手によるもの。躍動感にあふれる龍、兎、鶴、亀をはじめ、「浦島」を題材とした生きいきとした表情の場面などが重厚に彫られています。その彫りの深さや厚さ、きめ細やかさは初代義光ならではの圧倒的な存在感のすばらしいものばかりです。
さらに町内の職人などにより数多くつけられた彫金類や房州地方では類をみない朱と黒の総漆塗で染められた車体など、赤を主にした美しい山車に仕上がっています。囃子座の四本の支柱は「几帳面」の語源ともなっている「几帳面彫」という細部まで丁寧に仕上げられたものです。

房州後藤流 初代橘義光の彫刻

細部まで丁寧に仕上げられた彫刻そして優美な形の電線除け、撚戻のついた提灯短冊など細かな部分にも気が配られています。また、近年ではあまりみられなくなった「梃子棒」を今でも積んでおり、鶴谷八幡宮入祭の時などに使用しています。
「職人の街」南町の人々の山車への熱い想いと誇りが感じられます。

蛭子神社 館山市北条字角ノ坪一〇〇一番地

蛭子神社南町蛭子神社●例祭日 九月十四日
●鳥居 神明鳥居
●社紋 丸に蔓柏
●宮司 酒井昌義(鶴谷八幡宮宮司兼務)
●氏子数 約五百戸
●境内坪数 七十一坪

祭神:蛭子大神(水蛭子)
事代主命(ことしろぬしのみこと)

由緒:新築になった山車格納庫 遠く神代の昔、伊邪那岐命、伊邪那美命の夫婦神が天の真柱を建て八尋殿にて新婚生活に入りました。最初に生まれたのが「水蛭子」。この子は不具にして「子」として認知されず、葦の葉舟に乗せられて海に流されてしまったのです。舟は黒潮に乗り漂着したのが「蛭ヶ島」。やがて中世に至り「蛭子」を「エビス」と読むところから、もう一つの系統の「エビス」事代主命と共に七福神の恵比寿としてこの「蛭ヶ島」に勧請されました。
万里小路通房伯爵による扁額 事代主命は大国主命(大黒様)の子で、エビスが豊漁即ち福をもたらすという漁業者の「エビス信仰」が七福神の「恵比寿信仰」へと発展し、更に商人達の絶大なる信仰も相まって商売繁盛、漁業大漁、五穀豊穣、交通安全、家内安全などに御利益あらたかな南町の鎮守として崇敬されてきました。

鶴谷八幡宮入祭やわたんまち出祭: 南町は例年九月十四・十五日(現在は土日)に執り行われる「やわたんまち(安房国司祭)」に出祭します。十四日の午前中には蛭子神社の例祭、夕刻には旧北条村社である北条神明神社例祭が行われます。北条神明神社へは北条の山車・御船が全て入祭して祭典が執り行われます。
南町の山車曳き廻しには、昔からの仕来りやこだわりなどがいまでも数多く生きています。祭礼初日に行われる蛭子神社祭典で使われた榊を、世話人が持ち小頭が先導して、山車正面左の柱にすえる仕来りがあります。お囃子では俗に砂切(車切)と呼ばれる朝一番に叩かれる「初めの太鼓」から一日の最後の締めに叩かれる「終わりの太鼓」まで絶対に「太鼓を止めない」という仕来り。太鼓と笛に必ず「鉦(ちゃんちき)」を交えた五人囃子、ゆっくりと叩くさんぎりにのせて野狐が化身したような南町独特の狐踊り、夜に町内に戻ってから叩く「かまくら」など、南町らしさがあふれています。
昭和7年の年版南町山車と金棒曳き また年番の年に仕立てる「手古舞」では、北条他町は小学生の女子が務めるのが一般的ですが、南町では「手古舞」というよりは金棒曳(露払い)として残り、基本的には三代在住の十五歳の長男の男子という仕来りが
生きています。
そして十五日の鶴谷八幡宮入祭の時、一の鳥居をくぐったところで皆で二升の酒を飲み干し、二の鳥居をくぐったところでさらに一升の酒を飲み干してから、山車を拝殿へつけるという伝統があります。また山車に乗っている子供たちへの配慮がされた山車の曳き方がされており、子供たちを山車から降ろさずに鶴谷八幡宮への入祭が行われているのも南町らしいこだわりです。
神宿る白狐の舞 祭礼前に行われる「花作り」では、和紙の四隅を朱に染め、日干し、二枚合わせで竹棒に貼り合わせます。その竹棒も自分たちで緑に染めたものという、多くの手間をかけた伝統の「花作り」が伝承されています。太鼓の練習では昔からの「囃子方制度」が残っており、さらに象徴的なものに、提灯、襦袢、半纏は絶対に変えないという空気があります。
鶴谷八幡宮で山車を迎える金棒曳き 南町は、昔からの様々な仕来りと伝統を守り継承している町内です。
たくさんの子どもたちと町内曳き回し昔から取り変えない半纏、提灯に火が灯る姿、夕日を浴びて八幡を後にする

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北条地区・南町(表面) 北条地区・南町(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきまして
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