地域の紹介
「高さ5メートルもあろう大岩に垂直に走る一閃の切れ目」。見物地区に鎮座する海南刀神社の本殿裏にある二つに割れた巨岩には、その昔神様が手斧で切り開いたという伝説が残ります。
東京湾に突き出た西岬地区の中心地である見物地区には、明治二十二年の西岬村誕生から昭和二十九年館山市との合併までの村制時代にはモダンな庁舎であった西岬村役場が置かれていました。その他にも明治十三年創設の郵便局や農協があり、沿道にはパチンコ屋や団子屋が並び賑わいを見せ、また地区内にはたばこの乾燥工場もあり、たばこの生産が行われていた時代もありました。
「見物」の地名の由来は、その昔刀切大神が三浦半島より上陸した際に、村人総出で見物し出迎えという説他ありますが、それらの由来どおり岬の灯台へとつながる海岸からの眺めは抜群で、農業、漁業に加え、南房総国定公園区域の指定から観光にさらなる力を入れ、新たな発展を目指しています。
●神社名:海南刀切神社
●屋根:延屋根方形普及一直線型
●蕨手:普及型
●造り:漆塗り
●露盤:桝型
●棰:棰
●胴の造り:二重勾欄
●桝組:五行三手
●扉:四方扉
●鳥居:明神鳥居
●台輪:普及型
●台輪寸法:3尺5寸
●制作年:不明(昭和初期に他地区と交換したと伝えられる)
自慢の神輿
見物地区は、大殿、中殿、小殿と三基もの神輿を擁し、神社の境内にその三基の神輿が並ぶ姿は圧巻です。大殿の神輿は朱色と黒に染められ、全体が無数の金色の飾り細工に覆われており、屋根の四隅には鳳凰が配され、中央には五七の桐紋が光ります。神輿の
威容と担ぎの機動性に配慮された大きさの神輿には、地区外からも毎年多くの担ぎ手が駆けつけます。
白木作りの中殿には、柱や軒面をはじめ数多くの彫刻が所狭しと並んでおり、長い時代を経た趣が漂っています。
小殿は、金、赤、黒の配色で珍しい唐破風造りの屋根になっており、最近では地元の小学校の生徒に声をかけ皆で担がれる人気の神輿です。
海南刀切神社(かいなんなたぎりじんじゃ) 館山市見物字刀切七八八
●祭神:刀切大神「元は豊玉姫命」
●社格:旧村社
●例祭日:7月15日
●本殿:銅板葺
●鳥居:明神鳥居
●境内坪数:183坪
●神紋:五七の桐
●宮司:石井三千美
●世帯数:105世帯
由緒: 刀切大神が祭神であり、もともとは浜田の由緒船越鉈切神社と一神で豊玉姫命を祀っていました。彫刻で彩られた立派な拝殿には、東には天照大神の天岩戸開、西には素戔嗚尊の大蛇退治の彫刻がはめられ、向拝下正面には絵に描いたような龍が、南東西には十頭もの獅子と十四の孝子の図等の彫刻が刻まれており、これらは房州後藤流彫工の後藤庄三郎忠明(北條産)の傑作で、明治十六年ごろのものと推定されています。 拝殿内部には岩崎芭人作の絵も描かれており 、その他にも境内にある石灯籠は天保七年(一八三六)長須賀村の石工鈴木伊三郎の作、狛犬は天保十年(一八三九)楠見村の石工田原長左衛門が江戸京橋の彫工兼吉とともに彫った力作で、台座に彫りこまれた白虎、朱雀、青龍、玄武の四神も大変珍しく必見です。
昭和四十五年ごろの海岸道路の新規開通に伴い神社の敷地が四分の一程度接収
されており、以前は拝殿からまっすぐ伸びた参道に鳥居が三つ並び、そのうちの一つは御影石でできた立派なものであったといわれています。また鎮守の森には刀切大神を護っていたとされる「巌屋小七」というキツネが明治の中頃まで住みついていたといわれる大変神秘的で厳かな神社です。
地域の祭: 見物地区の例祭は七月十五日とされており、現在でもその伝統を守り続け祭典、神輿渡御を行っています。(子供神輿は直前の日曜日に実施している。)平成十八年までは、市指定無形民俗文化財である鞨鼓舞が奉納されており、踊りと神輿を合わせた華やかなお祭りでした。
鞨鼓舞とは、例祭で奉納される獅子舞で、雨乞いのための儀式とされています。見物地区に限らず安房地方は地形上、川がすぐ海に注ぎ込んでしまうため水源に乏しく、溜池を作る場所もないところでは、農業用水を天水に頼らざるを得ない状況にありました。
鞨鼓舞は、人々の願いを映し出す素朴な農耕儀礼であったといわれています。奉納はまず、庚申信仰の「身代り猿」を上部左右に掲げた大きな日の丸の幟旗、海南刀切神社の幟旗を建て、金銀の幟棒に牛頭天皇(すなわち素戔嗚尊)と記して、神社の別当寺であった東傳寺から始まります。明治の初め頃までは、東傳寺から刀切神社まで奴さんが毛槍を放り投げ大名行列の先頭で練り歩き、鞨鼓舞は東傳寺、旧八幡様で踊ったあと、海南刀切神社へと向かい奉納されました。
その後は地区内を回り、また戦前には水不足に悩む近隣の村へも踊りに出かけていたといわれています。
踊りは、鞨鼓3人、ササラ4人、注連縄持ち、太鼓笛数人によって行われるもので、獅子が腰につけた鞨鼓を打ちながら踊ります。花笠をかぶった少女が笛に合わせてすり鳴らすササラは、
雨の音を、花笠から垂れる七色の紙は雨を表すといわれます。大勢の子供がいた昔は、鞨鼓に選ばれ踊ることが大きな憧れであり、例祭の二週間ほど前からは練習が行われ、笛の音が聞こえてくるとワクワクしたという古老の声もお聞きしています。
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このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。