明治30年、千倉の千田で発生した大火事火事により家財を失った漁師の小谷仲治郎は、兄の源之助を誘いアワビ漁のため渡米します。漁師達は、最初は、寒流のカリフォルニア海流に手こずりますが、器械潜水夫の活用により、爆発的にアワビ漁の漁獲高を伸ばしていきます。源次郎と仲治郎は、アワビ缶詰会社を設立し、これが大きく成功しました。
第一次世界大戦が始まると販路が大きく拡大し、一時期は、カリフォルニア州のアワビ消費の75%を房州出身の漁師達が獲ったアワビで占めるようになりました。
しかし、太平洋戦争が始まると日系人12万人は、強制収容所に入れられてしまい、戦争が終わった時には、今まで築き上げてきた財産のほとんどを失ってしまいました。
戦後、長い間、沈黙を守ってきたアワビ漁師達ですが、大場俊雄氏の約40年に渡る調査研究などにより、当時の実態が明らかになりつつあります。
また1994年(平成6年)には、房州のアワビ漁師、小谷源之助と仲治郎の功績が認められ、日本人の名前がついた初めてのアメリカの州立公園が誕生しました。