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船形山大福寺(通称:崖観音)【真言宗】 十一面観世音菩薩
ご詠歌「ふなかたへ 参りて見ればがけづくり 磯うつ波はちよのかずかず」
「崖の観音」で有名な大福寺は船形山の中腹にある。断崖の途中に張りついて見える赤い舞台造りの観音堂の中に「崖の観音様」が刻まれている。寺の由緒では崖観音は養老元(717)年に行基(ぎょうき)がこの地へ来て崖に刻んだと伝えている。その後慈覚(じかく)大師により堂宇が建立されたが、承応(じょうおう)2(1653)年の火災により朱印状・寺宝等すべて焼失、正徳(しょうとく)5(1715)年に諸堂を再建したが大正12(1923)年の関東大震災によってまたも倒壊、同14(1925)年現在の堂宇を建立した。崖観音は平安時代の中頃に造られたと考えられる磨崖(まがい)仏(ぶつ)として市の指定文化財である。船をふせた船底の形をしている船形山の観音様は、漁師などから海上安全の守護仏として信仰されてきた。船形では江戸時代から魚を江戸へ送っていたので、境内の灯籠などは魚河岸(うおがし)の魚問屋が奉納している。隣には船形の鎮守諏訪神社が鎮座しており、江戸時代までは大福寺が諏訪神社の別当を務めていた。堂の桁(けた)下には左甚五郎作といわれる十二支の彫刻があったが震災により損壊、現在は四支だけとなっている。堂の欄干(らんかん)越しの眺望はまさに絶景といえる。
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