6番 長谷寺(はせでら)

海光山長谷寺 【臨済宗】 十一面観世音菩薩
ご詠歌「長谷寺へ のぼりて沖をながむれば にはま(仁浜)の浦にたつは白波」
大黒山の麓に位置する法福寺横の急階段を登ると、通称「堂山の観音様」と呼ばれる長谷寺がある。寺の由緒によると、天平の時代、聖武(しょうむ)天皇が病気平癒を祈願して奈良長谷寺に十一面観音を祀り、鎌倉長谷寺にも行基が2体の観音像を彫り安置した。その内1体は足利尊氏が武運長久祈願のために帰依(きえ)し、当地が岩山であることから永遠不変と考えて、御朱印300石と敷地一町四方を寄進し堂宇を建て安置したという。その後、尊氏の意思を継いだ4代将軍足利義持が僧木鐸(もくたく)とともに応永13(1406)年に当寺を開創したとされている。その後不運にも3度も堂宇が倒壊したが、信仰と再興に励んで今に至っている。お堂の左には三猿を刻んだ山王社と、捕鯨の醍醐(だいご)出刃(でば)組(ぐみ)が大正3(1914)年に海上安全と大漁を祈願して鎌倉から移した半僧坊(はんぞうぼう)が祀られ、境内左手の外れには元禄大津波の死没者供養のための海難記念碑がある。