31番 長福寺(ちょうふくじ)

普門山長福寺 【真言宗】 千手観世音菩薩
ご詠歌「かんのんへ まいりて沖をながむれば 岸うつなみにふねぞうかぶる」
城山公園の北にある小丘「北下台(ぼっけだい)」に、神亀(じんき)2(725)年行基が千手観音菩薩像を安置したことに始まるという。元和・寛永・元禄の震災は免れたというが、関東大震災で倒壊し、再建されたものの昭和39年に館山仲町の長福寺へ移された。北下台の墓所中央には「館山観音御堂旧址」の碑が残されている。長福寺の本尊は不動明王。里見氏から慶長年間に真倉(さなぐら)村で6石の地を与えられた。寺伝では行基の創建で、中興開山は伝忠という。観音堂右の墓地には館山藩の御典医「宮川元斎(明治33年没)」の墓がある。観音堂裏の永代供養墓の中には「寄子(よりこ)萬霊塔(ばんれいとう)」がある。これは明治維新の戊辰戦争の際、箱根山崎の戦いに加わり異郷の地で亡くなった農兵たちの慰霊碑で、塔の裏には「鐘の音(ね)の落葉さみしき夕べかな」の句が詠まれている。