正木地区 川崎

たてやま おらがんまっち 館山市正木地区 川崎組

地域の紹介

川崎は、旧那古町の那古地区に属しますが、正式な地域名は正木です。那古地区大芝と湊川(平久里川とも呼ばれています)に挟まれた地域で、西は正木の浜方まで入ります。岡町、上町、中町、下町、希望ヶ丘、浜町の五集落からなり、現在は三百戸からなります。祭礼は那古と正木にありながら、那古、正木の祭礼には属さず、川崎独自の祭礼を執り行っている歴史豊かな地域です。

人形屋台

●人形屋台●製作:明治25年7月吉日新造●全長約4.8m、全高約4.2m、全巾約3.4m●彫刻:彫刻師 後藤喜三郎橘義信、柱彫刻・岩と桜花に瀧、昇龍降龍、欄干赤穂浪士「四十七士吉良邸討ち入り」、破風双竜、他多数●修復:平成23年5月吉日修復完了(棟梁・二代目 後藤義徳)●人形:佐久間の人形師による●提灯:胡瓜と葉に巴、岡万作浜大漁に巴●泥幕:八に雲の図柄、波に千鳥●向拝幕:赤地に金の鶴●半纏:背に八と雲の図柄、襟に川左紀「変体文字」


自慢の屋台

平成23年代修復前の川崎組屋台

川崎組には、明治二十五(一八九二)年七月に製作された屋台があります。安房の名工・後藤喜三郎橘義信により川崎地域の祭神や信仰、さらに歴史に因んだ題材の彫刻が屋台全面に余すことなく彫り込まれた自慢の屋台です。
 その中でも特に、宝永七(一七一〇)年より、再興された赤穂浅野家の財政をこの地域で支えたという地元の歴史に因んだ「赤穂浪士四十七士吉良邸討ち入り」の彫刻は、他に類をみない貴重なものです。
 そして平成二十三(二〇一一)年五月には、名工・二代目後藤義徳氏の手により大修復が行われ、見事な姿に生まれ変わった安房地域で最大級の屋台が自慢のひとつです。

人形屋台

赤穂浪士「四十七士吉良低討ち入り」の彫刻(部分)

八雲神社 千葉県館山市正木字川崎一三七八-一

八雲神社八雲神社祭神:素戔嗚尊(スサノオノミコト)
神紋は木瓜紋、一の鳥居は明神鳥、二の鳥居は神明鳥居。本殿・瓦葺神明造で境内坪数は五百二十一坪。例祭日は七月七日。
由緒:創建不詳。天文三(一五三四)年、疫病流行の際、村民が大神に祈誓したところ霊現があり、以来悪病に罹る者もなく崇敬されました。天和三(一六八二)年六月七日、再建。境内の狛犬は弘化四(一八四七)年、江戸京橋の石工藤兵衛の弟子包吉作の刻銘があります。また、石灯篭は文政八(一八二五)年に建てられたものです。拝殿には「天之岩戸図」の大絵馬があります。
子どもたちが持ち寄った砂の団子
例祭:毎年七月七日に八雲神社の例祭が執り行われます(現在では例祭日に近い土・日に行われている)。前日の夕方には地域の子供たちによる「潮垢離(しおごり)」が行われます。川崎の浜で砂団子を作り、八雲神社拝殿にお供えします。このように例祭を迎える前に身を清める神事が今も続けられています。さらに八雲神社から海岸まで(現在は県道まで)の参道の両 脇には、子供たちによって様々な願い事が描かれた「行灯 (あんどん)」が立てられます。
 この日には、大人から子供までのたくさんの人達によって自慢の屋台が町内を曳き廻されます。
 また、九月二十七日の正木諏訪神社例祭には川崎から神輿を出祭します。神輿は、まず川崎の浜で御濱出神事を執り行ってから諏訪神社へ向います。諏訪神社例祭を終え た後、正木地区屋台と合流し、そして川崎町内を練り歩きます。八に雲の祭半纏
 信心深い町内ならではの二回の 例祭が、その昔から連綿と続けられています。

地域の自慢:川崎地区では地域に息づくたくさんの神事を守り続けています。
 二月の男御備社、女御備社に始まり、七月の「??(ほうとう)祭」での屋台の曳き回し、夏には地域あげての盆踊り。
 九月の本祭では御浜出神事から始まる正木諏訪神社への神輿渡御。九月、十月の晦日の「おのぼり」「おくだり」と呼ばれる神事では、各町内から二人ずつ選ばれた「行司」と呼ばれる人達を先頭に執り行なわれています。「おむすび(「おにぎり」ではない。縁むすびにつながる言い方)」が振舞われ、子供たちの大きな楽しみとなっています。
 さらに毎年九月二十三日には、太平洋戦争での「川崎大空襲」に遭われて亡くなられた方への慰霊祭も執り行っています。
 多彩な祭事が行われている地区ならではの、人々の絆の深さも自慢のひとつです。
川崎 八雲神社の神輿
川崎の 「おのぼり」「おくだり」:川崎地区では昔から九月三十日を「おのぼり」と言い、八雲神社の神様が出雲の国へ旅立たれる日、また十月三十一日は「おくだり」と言い、神様が出雲の国からお帰りになる日と言い伝えられてきました。そして両日ともに神様にお供えしたおむすびを子供たちがいただいて帰ることになっています。
 神様が召し上がった物をそれぞれの家でいただくのは、神様との「つながり」を確認するという意味があります。また、子供たちに初めにおむすびが手渡されるところには、氏神様の恵をいただき、明るく健やかに育ちますようにという願いが無言のうちに込められています。
 「おのぼり「」おくだり」をこのように昔のままに伝えていることろは、安房地域では数少なくなってしまいましたが、そこには遠い昔から氏神様と共に生活を営んできた川崎地区の先人たちの温かい心が息づいているのです。
正木諏訪神社渡御
地区名………正木地区川崎組
神社名………八雲神社
屋根…………延屋根普及一直線型
蕨手…………普及型
造り…………白木造
露盤…………桝形
胴の作り……二重勾欄
桝組…………五行三手
扉……………四方扉
鳥居…………明神鳥居
台輪…………普及型
台輪寸法……三尺六寸
彫刻…………後藤滝司義光
制作年………昭和7年1月25日

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正木地区(表面) 正木地区(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。