地域の紹介
高井地区は館山市の北部に位置し、北条地区では一番古く、古墳時代から生活がされている地域と言われています。明治時代の初めに「高井村」「桑原村」「古川新田村」が合併し「高井村」となり、明治二十二年には北条町と高井村が合併されました。現在では北条地区内の高井区として近年、新興住宅も増え五百五十戸を超える広い地域です。
北端部宮作、宿内には土師器の散布する古墳時代の遺跡があり、八世紀ころ「行基」が、館山に仏教を普及に来られた時の同行人が、高井に居を構えました。
神社は高皇産霊神社があり、桑原村にあった天神社を合祀している村社。寺院は善浄寺があり、鎌倉時代の終わり頃に作られたとされる木造地蔵菩薩立像を本尊にしており、他に薬師堂があり、境内には幕末の医師高木抑斎の墓があります。
自慢の神輿
高皇産霊神社(たかみむすびじんじゃ)の神輿は、安房国司祭(やわたんまち)に出祭します。滑るような黒の漆に金の装飾と彫刻が相まったとても美しい神輿です。曲線が優美な延屋根には金箔に施された五七の桐紋が輝いています。胴部正面欄間には朱に塗られた日章の彫刻がつけられ、龍の彫刻が巻きつく居垣は、細部に渡る繊細な彫刻により迫力がさらに増しています。横の唐戸部にも七福神と高皇産霊神社の鳥居の彫刻が見事に取りつけられております。「高井」の衣装はこの彫刻の日章マークが手甲と鉢巻きにデザインされ、高井のシンボルマークとなっています。
平成二十三年には神輿の大改修を行い、両側の唐戸に彫刻が取り付けられ、胴部も高くなり更に重みと高さが増してより大きくなりました。
黒と朱の漆と金の輝きがとても美しい、高井地区自慢の神輿です。
●屋根:延屋根方形、普及一直線型、黒漆
●蕨手:普及型
●造り:塗神輿
●露盤:桝型
●棰:棰
●桝組:四行二手
●胴の造り:二重勾欄 前後階段
●扉:前後扉
●鳥居:明神鳥居
●台輪:普及型
●台輪寸法:四尺
●制作者:明治二十五年、丸山町の神輿職人
●彫刻:三代後藤義光(階段部分の「波に兎」は後藤義光か)
●見処:階段部分の波に兎の彫り物
高皇産霊神社(たかみむすび) 館山市高井字下宮作一七五
●宮司:酒井昌義
●例祭日:九月十四日
●神事:九月十五日(安房国司祭に出祭)
●本殿:瓦葺神明造
●鳥居:明神鳥居
●境内坪数:二百四十六坪
●氏子数 五百三十四戸
祭神: 高皇産霊尊「高御産巣日神」とも「高木神」「産霊(むすび)」の文字に示すように天地万物を生成する力を神格化した神。昭和初期に「菅原道真公」を合祀。
由緒: 創建は不詳。鶴谷八幡宮は鎌倉時代に府中から八幡に遷座し、国司祭に於いて莫越山神社の神輿が高井神社で休憩されていた事や、善浄寺の本尊「地蔵菩薩立像(鎌倉時代末から南北朝期のものとされる)」から鎌倉末から南北朝期あるいは江戸時代後期ごろまでには、現地に遷座したと推察される。石灯籠には、嘉永二年楠見浦石工田原長佐衛門作の銘有り。
地域の自慢: 江戸期よりの倣いで、莫越山神社の神輿と二基、社旗、五色旗、高張提灯、真榊、猿田彦、奉楽、辛櫃、宮司、役員等と行列を組み、八幡宮へと入祭する祭事を今も続けてきた事が、なによりの自慢です。明治二十五年、二代目の神輿を作って以来、何度となく修理修復し、その都度地区の人達の篤い思いが随所に見られる、重く、彫り物が冴える神輿になりました。
毎年夏の八月の第一土曜日には高井地区盆踊り大会が行われています。高井地区の盆踊りは昼から青年部三十名程で準備を行い、夕方から徐々に地区の方が集まります。焼きそば、イカ焼き、かき氷や金魚すくい、くじ引きなど十種類以上の模擬店には毎年行列が出来き、青年部のメンバーは大忙しになります。子供たちとの交わりがあり青年部のメンバーも忙しいのを忘れながら頑張っています。
また、踊り子たちによる踊りとカラオケ大会など神社の境内には地区の人達を含め、延べ五、六百人程が集まる盛大な盆踊り大会が開催され、区民の良き想い出となる一コマでもあります。
他にも、四月には花見、六月のボーリング大会、七月の高井子供会祭礼、十月と二月にはソフトボール大会などと多彩な行事が行われ、手甲、鉢巻にデザインされている旭日のように、輝きが増す地区でもあります。
安房国司祭出祭: 高井地区は白張や鯉口シャツに白い足袋、黒字に黄色い高井の字と赤の旭日模様の手甲に白とあずき色の旭日模様の鉢巻を巻いた統一されている衣装になります。近年では神輿大改修した際に四本柱を交換し、交換前の四本柱を木札にして焼印された木札を首から下げるのも衣装の一つとなり皆同じ衣裳に身を包み祭礼が始まります。
やわたんまち安房国司祭へ神輿渡御する際には莫越山神社と二基で出祭するのですが、渡御の際に、天狗とお練り演奏を行いながらの渡御が現在でも伝統行事として行われています。
八月下旬ごろより青年部の演奏者達が神社集会場に集まり、笛・鼓・大太鼓の練習に励み、祭礼当日早朝に奏楽(笛・鼓・大太鼓)をしながらの御霊遷を行い発輿祭が行われています。神輿渡御の際のお練りは笛・大太鼓を演奏しながら天狗と一緒に歩いて入祭します。
渡御の際は鳥居から境内を走りながら八幡神社前まで行き「さし」ます。次に「さし」たまま安房神社へ向かい更に「さし」、最後に高皇産霊神社御借屋に行き「さし」、それから競うような「もみ」がはじまります。境内では莫越山神輿と高井神輿が神輿歌に合わせて神輿が真横になる程にもみを繰り返します。高井若衆の力強く担ぐ姿は観客を魅了します。
二日目の神輿還御は古来の順に還御していき、高皇産霊神社は最後から二番目の九社目に出発します。八幡宮から太鼓の合図と同時に境内へ出て「もみさし」を繰り返し、時間と共に八幡宮を後にして地元高井まで帰ります。高皇産霊神社についてからは来年まで担げないという思いとともに最後の「もみさし」が行われ、高井の神輿「安房国司祭出祭」の終わりを迎えます。
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このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。