
地域の自慢
大賀区は、館山祭礼地区西の端で、西岬との境に位置します。かつては、沖ノ島、鷹の島を望む名勝地と知られ、人家もまばらで「原」と呼ばれた農耕地が広がっていました。原の中ほどの小高い丘に「天王様」と呼ばれた社があり、丘の下には古墳時代の横穴墓が残されています。昭和の時代、洲の崎海軍航空隊が開設された事で、辺りの景色が一変され、今は県道より山側は、昭和三十七年に開設された「国立海上技術学校」があり、その回りは碁盤目のように整備された土地に住宅が立ち並び、旧海軍の砲台跡地には、昭和四十年に深津牧師の尽力で開設された「かにた婦人の村」があります。
海側には、古くから崇拝され続けている真言宗智山派の寺院「積蔵院」があり、江戸時代後期には寺子屋が開かれていました。現在では浜近くに、ホテルや大学の研修施設が立ち並んでいます。
江戸時代初期に創建された地区の鎮守様の「御瀧神社」を柱として、三百八十五世帯ほどが暮らすのどかな海辺の地区です。
自慢の神輿
大賀には昭和三十二年に地元大賀の「孫平」という大工によって作られた「中神輿(ちゅうでん)」がありましたが、地区の方々の篤い思いにより、 平成二十年に浦安市行徳の神輿制作会社「中台」の制作により現在の白木の大神輿が新調されました。その屋根には、三つの左三つ巴が光り、重厚な台輪に腰組作り、白木の神々しさと美しさには目を見張るものがあります。
御瀧神社の祭神である水波能売命(みずはのめのみこと)に因んで、見事な龍の彫刻が数多く施されているのも特徴のひとつです。また、ふんだんに施された飾り金具の一つ一つにも神輿職人のこだわりが光り、大賀区の人々の熱意と情熱が作り上げた自慢の神輿です。
- 神社名:御瀧神社
- 屋根:延方形普及一直線型
- 蕨手:普及型
- 造:白木
- 露盤:桝型
- 棰:棰
- 胴:二重勾欄前後階段
- 桝組:五行三手
- 扉:前後扉
- 鳥居:明神鳥居
- 台輪:普及型
- 台輪寸法:三尺八寸
- 制作者:中台祐信
- 制作年:平成二十年五月
- 地区名:大賀



御瀧神社

鎮座地 : 館山市大賀字曽根三八九
祭神:水波能売命(みずはのめのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮司:酒井昌義
例祭日:八月一日
境内神社:稲荷神社
境内坪数:266坪

【由緒】
御瀧神社の創建は、昭和三十五年まで境内にあった黒松の巨木が樹齢二百数十年といわれていたことから、江戸時代初期に創建されたと思われます。境内には、江戸時代初期の山王大権現の石碑や、庚申講青面金剛石像が今も残され、歴史の深さを物語っており、昔から農業や漁業を営んできた村人たちの篤い信仰心が根付く歴史ある神社です。

万治二年(1659)

亨保十二年(1727)
自慢の祭
大賀区の祭礼は氏子役員を頭に青年会を中心として、区、常盤木会(六〇歳以上)、中高生など百人からなる区民と、南房総市千倉町から応援にきてくれる谷津青年会や自衛隊の方々などの多くの参加者で毎年盛大に執り行われています。
祭礼が近づくと子供から大人までが一緒になり、三つの「木遣り」と二〇程からなる「神輿唄」の練習が行われます。最近は女性も唄うようになり、この「神輿唄」で足並みを揃えることが伝統になっています。
例年七月三十一日の祭典で神輿御霊入れの儀式を行い、八月一日の「館山のまつり」に出祭します。

一日の午前中には子供神輿である「小神輿(こでん)」が近隣の里見区や地元を渡御し、子供同士の交流の場と共に元気な声が響き渡ります。大人の神輿は昭和三十二年に地元大賀の「孫平」という大工によって作られた「中神輿(ちゅうでん)」でしたが、現在は区民の熱い願いを込めて平成二十年に竣工した三尺八寸の自慢の「大神輿(おおでん)」が担がれています。
合同祭礼では出祭する十三地区の中で、昔から一番初めに館山神社入祭をしています。担ぎ方は前を高くするのが特徴で、近年では女性の担ぎ手も交え「神輿唄」で足並みを揃えての威勢のいい渡御を行います。

八月二日には青年会主体で平成二十五年に修復された「中神輿(ちゅうでん)」を出祭し、柏崎、笠名との三地区による「懇親祭」を行っています。大賀の御瀧神社に集合した後、笠名の神明神社でゆっくりと親睦を深め、柏崎を送る際には宮城の坂で、大賀、笠名の仲間も一緒に綱を握りお舟を引きます。名残惜しさを噛み締めながら友情を確かめ合う二十年も続く大切な行事となっています。
今の時代に区民の力で立派な神輿を新調できたという地域の絆を重んじながら、皆が一体となって伝統を守り継ごうという熱き心意気の溢れる自慢の祭りです。

館山のまつり

●祭りの起源 大正三年、旧館山町(現在の青柳、上真倉、新井、下町、仲町、上町、楠見、上須賀地区)と、旧豊津村(現在の沼、柏崎、宮城、笠名、大賀地区)が合併し館山町になったのをきっかけに、大正七年より毎年十三地区十一社が八月一日・二日の祭礼を合同で執り行うようになりました。その後、大正十二年の関東大震災により、諏訪神社(下社)、諏訪神社(上社)、厳島神社、八坂神社の四社が倒壊したため、協議により各社の合祀を決め、昭和七年に館山神社として創建されました。
現在は館山十三地区八社として、神輿七基、曳舟二基、山車四基がそれぞれの地区から出祭しています。愛称「たてやまんまち」として、城下の人々によって伝え続けられてきた〝心のまつり〟です。


