豊房地区 大戸

たてやま おらがんまっち 館山市豊房地区 大戸

地域の紹介

大戸の屋台 館山市の面積の約四分の一を占める豊房地区は多くの谷から成り、その谷の出口に開けた五十戸ほどの小さな集落が大戸地区です。縄文遺跡や古代祭祀遺跡もある古い地域で、平安時代にあった安房国太田郷の地名「太田」が「大戸」へと転化したという説もあります。
 江戸時代には南条村の枝村でしたが、明治八年に大戸村として分離独立しました。その後明治二十二年に大戸村を含む十二か村が合併し豊房村が成立、十余(トヨ)の房(フサ)の村が集まり五穀豊穣を願ったことから、村名を「トヨフサ」としたとも言われています。中でも大戸地区は、村役場をはじめ、小・中学校、郵便局、駐在所、農協などが集まり、豊房地区の中核を担うようになりました。昭和二十九年五月三日に館山市と合併し、現在に至っています。

自慢の屋台・神楽櫃

後藤喜三郎橘義信による神楽櫃の彫刻●神社:白幡神社
●製作:昭和二十八年
●半纏:背に祭、襟に大若
●棟梁: 地元の大工・渡辺芳蔵 
●全長:約四・四m、全高:約三・五m 全幅:約二・八五m
●人形:平成五年より神楽櫃
●泥幕:波に千鳥
●提灯:笹竜胆(まゆ型)


修復後屋台に乗る神楽櫃 当地区の祭礼は、明治十九年(一八八六)に白幡神社本殿造営を記念し、若衆によって初めて神楽が奉納されたことから始まります。神楽櫃は館山町仲町の大工の作で、国分の彫刻師・後藤喜三郎橘義信の装飾彫刻が施されています。それ以降、毎年十月十七日の祭礼には村民繁栄・五穀豊穣を願い、各戸をめぐり神楽が奉納されてきました。しかし、継承者が少なくなり大正十年を最後に中止され、昭和十三年、地区の若衆の発起により、地車(大八車)に武者人形などをしつらえ、曳きまわしが始まりました。昭和十五年には二台目となる組み立て式の屋台が作られ、昭和二十八年、区民の寄進により地元大工によって現在の屋台が完成しています。
 人形は昭和の終わりまでは若衆によって手作りされていましたが、若衆の減少により平群より借りるようになりました。その後、平成四年の神楽櫃修復をきっかけに、平成五年より人形の代わりに神楽櫃を屋台に乗せるようになりました。なお、二台目の組み立て式屋台は長須賀地区へ貸したこともあ
り、その際、両地区の若衆の間で太鼓を通じて交流があったと伝えられています。

白幡神社 館山市大戸字白幡二〇二

白幡神社白幡神社拝殿(上)と拝殿向拝彫刻(下)祭神:
譽田別命(ほんだわけのみこと)
由緒: 鳥居をくぐり五十段ほどの階段を上ると、彫りの深い端正な顔立ちの狛犬が出迎えます。山裾の傾斜地に、大戸集落を見渡すように小さな社殿が鎮座し、晴れた日には鏡ヶ浦や遠く富士山などの眺望を楽しむ事ができます。
 創建は元和四年(一六一八)頃と伝えられ、当時は仮の宮に祭神譽田別命を祭祀し、武神開拓の神として村人たちは御威徳を仰ぎ信仰を集めました。白幡神社というのは、鎌倉鶴岡八幡宮の末社で源頼朝を祀る白旗社を勧請したもので、祭神は本来ならば頼朝なのですが、鶴岡八幡宮の祭神である応神天皇(譽田別命)を白幡神社の祭神にしていることが多く、この地域の鎌倉御家人が鎌倉から分けてきたものと思われます。
豊房のまつり 創建以来、二百六十有余年、仮の宮も再度に渡り改築が行われてきましたが、明治十七年(一八八四)本殿を造営、明治十九年には、住民から向拝の龍、牡丹、唐獅子、千鳥の彫物が献納され、現在の容姿を伝えています。龍神は胴は蛇、目は鬼、角は鹿、耳は牛にそれぞれ類似した爬虫類を象徴し、雲や雨を支配する神として、瑞祥のしるしとされています。この向拝の龍は、房州後藤流初代義光の弟子である、北条の後藤正三郎忠明の作です。
豊房のまつり:祭礼日 十月第二土曜日
大正3年製作の大幟 豊房地区のお祭りは農村地帯らしく豊年満作
を祝う秋祭りです。当地区大戸の白幡神社はもとより、山荻地区の山荻神社、出野尾地区の十二社神社、南条地区の八幡神社、古茂口地区の日枝神社の祭礼は、ともに「豊房のまつり」とよばれています。この五社の中で年番を中心に毎年祭礼の取り決めを行い、例年十月十七日に開催されてきました。近年は、少子高齢化の影響から十月第2土曜日へと移行し、屋台の曳き廻しや神輿の出祭等が行われています。
 豊房小学校の運動会では昔から学区内の地区を白・黄・青・赤・緑の五つの組に分けて競っています。これに倣い、祭礼の間、大戸地区は辻々に立つ万燈とともに、地域全体の繁栄を願い、この五色の花飾りで彩られます。また、祭礼前日の宵宮には、曳き廻しこそしませんが屋台に灯りを灯し、夜に境内にて賑やかにお囃子が行われています。大戸の半纏この宵宮も含め祭礼の二日間、神社の左右に位置する山裾に大きな幟幡が揚がります。大正3年に奉納されたこの幟幡には神紋の笹竜胆が染め抜かれており、秋風に泳ぐさまはのどかな風情を感じさせます。
 自慢の屋台は、稲刈りの終わったコスモスが咲くゆったりとした里山の中をお囃子の太鼓の音を響かせ、大戸、南条、作名、山荻、古茂口、飯沼、東長田、西長田、出野尾、岡田の計十集落、十四キロメートル余りの順路を十二時間かけて曳き廻されます。
途中、山荻神社などで休憩した後、午後三時には大戸地区のJA安房豊房支店の駐車場に、大戸・南条・古茂口の屋台、出野尾の神輿が勢ぞろいし、祭りは佳境を迎えます。年番渡しが執り行われ、各地区そろって祭りの喜びを分かち合います。
豊房のまつり 左から古茂口、大戸、南条の屋台、出野尾の神輿 大戸地区は小学生の女の子を中心にした穏やかな屋台ですが、その子ども達が夏休み、秋練習を重ねた「ぴっとこ」・「平群」・「しっちょめ」からなるお囃子は、祭りにいっそう花を添えてくれます。子どもから老人までが一体となっている大戸地区

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館山市豊房地区 大戸(表面) 館山市豊房地区 大戸(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。