館山地区 沼区天満神社

たてやま おらがんまっち 館山市館山地区 沼区天満神社

地域の紹介

館山市館山地区 沼区天満神社の神輿 沼地区は館山地区の海沿いに位置する海と共に歩んだ深い歴史を秘めた岡沼、西の浜、西原の三地区からなる、七二〇世帯程の地域です。
 「沼」の地名は、沼沢地が広がっていたことに由来すると言い、明治時代には、沼地区周辺が豊津村と名付けられ、豊かな港になろうと言う意味合いがあったそうです。近隣には海上自衛隊第二十一航空群館山航空基地があります。丘陵部には遺跡が数多く、六世紀代の土製模造品に象徴される「沼つとるば祭祀遺跡」、沼の大寺の名で親しまれる総持院裏山の「大寺山岩窟墓及び出土品」等が有名です。また、江戸時代後期に活躍した地元沼の絵師・勝山調が描いた「スサノオの図」がある薬師堂や、石塚のヤグラ等があります。
 その他にも名所として、県指定天然記念物の「沼サンゴ層」や、県内最大と言われる「沼のびゃくしん」、洞穴に生息し黄金色に輝く「ヒカリモ」等があります。また、「十二天様」と崇拝されている十二天神社周辺の景観や風情は、未来へ遺したい「心の風景遺産」にしたくなるようなエリアです。

天満神社から見た沼地区の風景。真正面に城山が見える。●地区名 沼区
●神社名 天満神社
●屋根 述屋根一直線型
●屋根葺 黒漆
●蕨手 普及型
●露盤 桝型
●棰 棰
●造り 塗神輿
●胴の造り 前後階段二重勾欄
●桝組 五行二手
●扉 前後扉 
●鳥居 明神鳥居
●台輪 普及型
●台輪寸法 四尺
●彫刻師  三代後藤義光
●制作年代 大正八年

自慢の神輿

三代後藤義光による踊るような龍の彫刻 沼地区天満神社の「大神輿(おおでん)」は大正八年に製作され、館山地区では一番大きく重いと言われています。背の高い者が前に、低い者が後ろに入り、太い四本棒を白丁と浅葱色の鉢巻をした三〇人からの担ぎ手が埋めます。
 彫刻は房州後藤流三代目後藤義光の手によるもので、一木彫りの「鳥居に絡みつく龍」をはじめ様々な彫刻が施されています。また、前後四枚の扉にちりばめられた美しい螺鈿細工の「梅鉢」も自慢の一つで、この地域の歴史と伝統を後世に伝えるシンボル的な存在となっています。
 近年では平成二十三年に、準備期間を含め五か年の歳月を費やし、二十二年振りとなる大修繕を行い、さらに絢爛豪華な神輿の姿に蘇りました。その年の五月二十九日には「神輿修復記念祭」で地区内を渡御し地域の方々にお披露目をしています。
 「岡沼、西の浜、西原」の三地区により維持・継承された、沼地区自慢の神輿です。

鳥居に絡みつく三頭の龍の彫刻は一木彫りでの秀作 台座にはめ込まれた獅子と牡丹 螺鈿細工が施された扉

天満神社 旧所在地:館山市沼字前山一一六〇

天満神社天満神社祭神:道真公(学問の神様)
社格:旧村社
例祭日:8月1日
宮司:加茂信昭
本殿:瓦葺入母屋造
鳥居:神明鳥居
神紋:星梅鉢
境内坪数:64坪
氏子数:約720世帯(岡沼370、西の浜210、西原140)

菅原道真公の逸話に登場する牛由緒: 安房国の国司である源親元卿(柏崎國司神社に祀られている)が嘉保三(一〇九六)年に、京都北野天満宮より勧請し創始したと伝えられ、祭神は学問の神様である菅原道真公です。境内には地元館山藩の絵師・川名楽山の記念碑(明治三十三年)や枇杷山開拓者・法木翁の碑(昭和四十四年)、書家・小野鵞堂が揮毫した明治三十五年の菅公一千年祭記念碑と菅原道真公の歌を書いた植樹記念碑、北条にいた伯爵・万里小路通房が題額を書いた拝殿改築記念碑(大正八年)等があります。
拝殿に飾られている龍の彫刻 神社には重く変わった形の桶胴太鼓と思われる大太鼓が残され、御面もある事などから、かつては「羯鼓舞」等の舞が奉納されていたと思われます。

拝殿の片隅に眠る古い太鼓

地域の自慢

 かつて十七年間神輿を担ぐ事が途絶えていた祭礼を、三地区の青年会を結束して、新たに「天神会」(祭礼実行委員会)を組織し、三地区の氏子による「崇敬会」(十二天神社氏子の会)等、地域の人々の団結により、昭和五十五年に復活させ、現在は活気溢れる祭礼を行っています。「天神会」は他地区の賛同者や女性も在籍する一〇〇人を超える会へと成長し、南総里見まつり等のイベントにも積極的に参加する等、地域全体が一致協力し合い、しっかりとした運営のもと、十一月二十三日の新嘗祭等、一年を通して多彩な行事が執り行われています。
十二天神社の初代後藤義光の彫刻 その中でも、毎年大晦日の夜十時から天満神社にて開催している「除夜祭」は、ライトアップされた神輿が展示され、学問の神様、菅原道真公を参拝する受験生をはじめ、多くの人で賑わいを見せる自慢の行事です。午前〇時には太鼓の音を合図に、「崇敬会」会長の音頭で一斉にお参りをしています。この除夜祭から新年にかけては、ここ数年神輿を担ぎ、参拝者に「さし」た状態の神輿の下をくぐる「胎内くぐり」をして頂く催しも行っており、皆様に大変喜ばれています。
 また、天満神社の「大神輿(おおでん)」に施された三代後藤義光の彫刻だけでなく、十二天神社社殿、正面向拝の虹梁の上の、「三本爪で後ろを振り向いた姿の龍」の初代後藤義光の手による彫刻も、自慢の一つと言えるでしょう。

自慢の祭

 館山のまつり(たてやまんまち)の出祭では、神輿渡御コースには幣束の付いた縄が張られ、西の浜集会所前の広場にはお浜出こそしませんが、天満神社の「大神輿(おおでん)」と十二天神社の拝殿に納められている「小神輿(こでん)」(子ども神輿)のお仮屋が建てられます。大神輿、小神輿二基による大人から子どもまで一体となった〝こいしょい〞〝よいよい〞の威勢の良い掛け声が町に木霊し、広い地区の一日がかりの祭りを盛り上げます。

館山神社への入祭 自慢の神輿が高く舞う

8/1・2 館山のまつり

館山神社境内に集まった神輿祭りの起源:
 大正三年、旧館山町(現在の青柳、上真倉、新井、下町、仲町、上町、楠見、上須賀地区)と、旧豊津村(現在の沼、柏崎、宮城、笠名、大賀地区)が合併し館山町になったのをきっかけに、大正七年より毎年十三地区十一社が八月一日・二日の祭礼を合同で執り行うようになりました。その後、大正十二年の関東大震災により、諏訪神社(下社)、諏訪神社(上社)、厳島神社、八坂神社の四社倒壊のため、協議により四社の合祀を決め、昭和七年館山神社として創建されました。
 現在は館山十三地区八社として、神輿七基、曳舟二基、山車四基がそれぞれの地区から出祭しています。愛称「たてやまんまち」として、城下の人々によって伝え続けられてきた〝心のまつり〞です。

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館山市館山地区 沼区天満神社(表面) 館山市館山地区 沼区天満神社(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。