地域の紹介
館山市の内陸部に位置する国分地区は、古来より内房と外房をつなぐ街道に面しており、その歴史は奈良時代までさかのぼり、聖武天皇の御世発せられた国分寺造営の詔によって、安房国の国分寺が置かれた地区です。平安時代に朝廷から親孝行を表彰された伴直家主を祀る「孝子塚」があり、この記念碑は安房の三名工と言われた石工の武田石翁が刻んだものです。また江戸中期には、江戸幕府をも騒然とさせた万石騒動の舞台ともなっています。領主の過分な取り立てに対し領民は老中への直訴を行い、三名の名主の犠牲を払いながらも農民たちの勝訴となった万石騒動は、有名な農民一揆であると同時に、地域においては末永く「三義民」の功績を称えるため国分寺に供養塔が建立されました。平成二十二年には三百回忌が挙行されています。
こうした歴史は、「孝子のいでしところなり、義人のいでしところなり」と、館野小学校校歌にも歌われ地域の子ども達に伝えられています。
●棟梁:不明
●彫刻師:後藤喜一
●人形:建御名方命
●扁額:國華
●上幕:鷹
●下幕:龍虎
●制作年:明治四十五年に購入と伝わる
●半纏:國分
●提灯:國分
●お囃子:四丁目、ぴっとこ、馬鹿囃子、砂切、早馬鹿
自慢の山車
明治四十五年に他地区より購入したとされる国分地区の山車は、勾欄三段式の江戸型山車です。囃子座の柱には珍しい植物の彫刻、欄間上にも欄干が見られる特長を有しています。しかし譲り受けてから一世紀を迎えようとしていた山車の老朽化は著しく、平成十二年より青年が中心となって各部の修理、補修が始まりました。泥幕、提灯の新調を皮切りに、平成二十三年には区全体での取り組みとなり大掛かりな山車本体の改修が行われています。
これにより、台座部四周に施されていた彫刻を生かし、後方は台座部と下勾欄の二段となり、金物も新調され、全長が五十センチ長くなりました。 また改修によって彫刻師「後藤喜一」の名が明らかになりました。そして平成二十五年には上下胴幕、人形が新調され、その姿はまったく新たなものになり、区民の誇りとなって甦りました。幕には龍虎、鷹の刺繍が施され、人形は諏訪神社の御祭神「建御名方命」となりました。
区、神社、青年団が一体となった結束が具現化された国分地区の山車は、着実に次世代に引き継がれています。
諏訪神社 鎮座地:館山市国分字天神前九六五
祭神 建御名方神
宮司 黒川 彰
●例祭日 十月十日(現在は体育の日の前日の日曜日)
●本殿 神明造り
●鳥居 明神鳥居
●境内坪数 百七十坪
●神事
一月:初詣祭
二月:御奉謝祭(おびしゃさい))
七月:(夏季例大祭)
十月:秋季例大祭
●氏子数 二三五世帯
由緒: 古くは天明七年の村鏡明細帳に「諏訪大明神」と記されており、諏訪神社は古来、国分村の氏神様(鎮守)で、明治四十一年には字荒戸にありましたが、その後昭和二年に近隣十一社(十二社か)の合祀により現在地に遷社されています。この時に建立された花崗岩造りの大鳥居は、姿、大きさともに近在にも稀な美麗なものでした。諏訪神社は氏子総代長をはじめとする責任三役等、氏子総代によってしっかりと管理運営されており、一七〇坪を誇る境内は、高張提灯、幟旗、大鳥居の社号額の新調、参道入口の看板等、近年年を追うごとに整備され区民の憩いの場となっています。
地域の自慢・青年団: 国分地区の青年団は平成十二年頃までは、団員が少なく団員確保・増員が課題でした。そのため、何とか青年団を発展させ地域を盛り上げたいと、青年団の中心行事であるお祭りに団員一同一致団結して、衣装の作製、山車の整備、子ども達への温かい指導等、若い力を精一杯注いできました。現在では、二十人足らずだった団員も倍以上に増え、多くの学生や子ども達で溢れています。
「お祭りを通してこの地域を盛り上げたい」という熱い思いが正に原点であり、その情熱は若い団員や地元の子ども達に、伝統としてしっかりと受け継がれています。館野地区の芸能祭にお囃子で参加したり、最近では区の行事以外にも南総里見まつり等、市のイベント等にも積極的に参加したいと息を弾ませています。区や神社、子ども会ほか地域の多くの組織の理解協力の下、人と人との結びつきと助け合いで一丸となって逞しく目標に向かい進んで行く心意気は、孝子や義人の精神が現在も息づく自慢の仲間、そして地域です。
自慢の祭: 国分地区のお祭りは、古くは地元国分村生まれの彫刻師、後藤喜三郎橘義信(行貝福松)の彫物からなる明治二十年前後に制作された大天王(大神輿)でした。その後、明治四十五年に他地区より購入したとされる現在の山車のお祭りが始まっています。祭礼日は例年十月十日(十日まち)に開催されてきましたが、平成十二年からのハッピーマンデー制度の適用により、体育の日が十月第二月曜日になった事や近年の社会状況の変化に伴い、平成十三年からは秋季例大祭として、体育の日の前日の日曜日に祭典や山車の曳き廻しを行っています。
一時、数年間山車の曳き廻しのない時代がありましたが、昭和四十年代頃より復活し青年団が中心となって山車の運行等を行ってきました。近年、三年間の話し合いを経て、区、神社、青年団が理解協力し合い、平成二十五年の秋季例大祭より、地域が一つとなった区主催のお祭りになりました。
修理、補修、大改修や新調が行われた自慢の山車を中心に、祭礼衣装は以前は浴衣等毎年変わっていましたが、十数年前より襦袢や半纏を揃え、子どもから大人まで皆が一体となり、和やかで楽しい雰囲気に包み込まれます。
毎年三週間に亘る祭礼前のお囃子練習では、子ども達には優しくしっかりと太鼓を教え、誰もが参加しやすく努めています。青年団等の仲間の家の前では山車を着け、賑やかなお囃子が鳴り響きます。
PDFファイルをダウンロード(サイズ:827KB/443KB)
このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。