乾坤山日本寺 【曹洞宗】 十一面千手観世音菩薩
ご詠歌「はるばると のぼればにほんの山おろし まつのひびきもみのり(御法)なるらん」
本尊:薬師瑠璃光(るりこう)如来 薬師堂は平成19年に再建。日本寺は神亀(じんき)2(725)年聖武天皇勅願により行基(ぎょうき)が開き、七堂十二院百坊を持つ大寺であったという。昭和14(1939)年の火災で諸堂を焼失したが、観音堂と仁王門は火災を免れた。鋸山の景観は県の名勝に指定され、広大な境域には釈迦・薬師・大日の諸仏をはじめ大小の石像が数多く祀られている。特に千五百羅漢(らかん)群像は安永9(1780)年に高雅(こうが)愚伝(ぐでん)和尚が発願したもので、上総桜井(木更津市)の石工大野甚五郎が刻んだ。十一面千手観音菩薩像は慈覚大師の作とされ、観音堂は元禄13(1700)年の造営。正面の扁額(へんがく)「円通閣」は天保頃の旗本曽根懶斎(らいさい)の書である。元は南麓の岩殿(いわぶ)山にあって、岩戸観音と呼ばれていた。日本寺は古くから文人墨客が訪れて詩碑・句碑が多く、大蘇鉄も見所。また鎌倉時代の元亨(げんこう)元(1321)年銘の梵鐘は国の重要文化財である。