鹿峰山信福寺 【曹洞宗】 如意輪観世音菩薩
ご詠歌「しんぷく寺 のぼりて岸をながむれば ほたのかわせにたつは白波」
縁起によると平安時代の天安年間(857~859)に慈覚大師が草創したとされ、本尊の如意輪観音菩薩坐像は行基の作と伝えられる。戦国時代の弘治(こうじ)元(1555)年に野火の災いに遭い、寛文9(1669)年に村の名主高浜利(とし)盛(もり)や斉藤昌詮(まさあき)など村民の浄財で三間四面の観音堂を再興し、さらに上総国鮎川(君津市相川)の見性寺(けんしょうじ)から本清和尚を招いて中興開山とした。和尚は延宝元(1673)年に京仏師の大蔵卿康(やす)為(ゆき)を招いて如意輪観音菩薩坐像を再興している。この観音像は世間では「子授け観音」と呼ばれ信仰されている。堂内の格(ごう)天井には、県内でも珍しい易(えき)で使う算木(さんぎ)の絵が描かれている。これは必見。境内には正和(しょうわ)5(1316)年建立の弥陀(みだ)三尊種子(しゅじ)の武蔵式板碑(いたび)(町文化財)がある。安房地方では珍しいもの。なお、普段の納経所は元名(もとな)の存林寺である。