中嶋山住吉寺 【真言宗】 正(しょう)観世音菩薩
ご詠歌「中嶋へ まいりて沖をながむれば いつもたえせぬ波のあらさよ」
観音堂は左手急な石段を登ったところにあり、本尊は行基作と伝えられている。お堂の外陣(げじん)には江戸末期の百観音巡礼奉納額が掲げられている。この高台は古くは海中の岩上にあり、船で参拝したという。海中にあったころは中嶋と称し、その名が残って中嶋観音とよばれている。観音堂の裏側を流れている川までがかつては海岸線だったといわれ、今でも観音堂の下に船を係留(けいりゅう)したといわれる岩がある。境内には土佐與市(よいち)の記念碑がある。紀州印南(和歌山県印南(いなみ)町(ちょう))出身の「土佐與市」が、文化10(1813)年頃に南朝夷へ鰹節の製法を伝えたことで、千倉町が「安房(あわ)節(ぶし)」の発祥となった。本堂左手の洞窟の中に二十三夜尊(勢至菩薩)がある。これは明治の頃漁師が沖で漁をしていた時に網にかかり奉納したものである。観音堂の向拝(ごはい)には「後藤利兵衛橘義光70歳」の時の彫刻があり、南房総市の指定文化財になっている。