福聚山松野尾寺(自性院じしょういん)【真言宗】 聖観世音菩薩
ご詠歌「おもくとも つみにはのりの松のおじ 仏をたのむ身こそたのもし」
松野尾寺は、室町時代の豪族神余景貞(かなまりかげさだ)の三回忌に、里人が岩崎台に建てた念仏堂にはじまる。文安5(1448)年に福寿山満福寺と改め、のち福聚山松野尾寺と改称した。本尊は文殊菩薩。境内に観音堂があった。大正12年の関東大震災で倒壊したため、地区内の来迎(らいこう)寺・安楽院とともに自性(じしょう)院へ合併された。室町時代中頃に神余地蔵畑の岩屋で家臣山下定兼(さだかね)の反逆に遭った神余景貞が自殺したとされ、これを供養した自性房がこの岩屋に自性院を創建したといい、岩屋が元禄大地震で崩れると現在地に移った。本尊は不動明王。平安時代中頃の阿弥陀如来坐像は市指定文化財。阿弥陀如来立像の体内にあった鎌倉時代の水晶製六角五輪塔形舎利塔(しゃりとう)は、全国で数例しかなく市指定文化財。境内にある明治8(1875)年の出羽三山碑は、四国霊場88か所と西国・秩父・坂東100観音霊場の188か所巡礼をした記念碑になっている。