神戸地区 洲宮

地域の自慢

 洲宮地区は市内から国道410号線の切割を少し過ぎた辺りから、国道を挟み、洲宮川が平砂浦に注ぐ辺り迄の細長い地域です。以前は、砂地を生かした「洲宮の西瓜」がブランドとして多く生産されていましたが、今は花栽培農家に変わってきました。
 毎年一月一日に行われる「御田植祭」、八月の例大祭、九月の安房国司祭への出祭、風雨の災いが少ない事への感謝する「風祝い」、十一月の新嘗祭や御狩祭など毎月なにかしらの行事が多く行われています。
 現社地や南方の山「魚尾山(兎尾山とも)」からは、古代祭祀遺跡と伺える土器が発掘され、その歴史の深さを物語っています。祭礼時に「御浜出神事」が挙行される明神山あたりは、大昔は山麓まで海が迫っていて、今もこのあたりの畑から貝殻などが出土されています。
 古代からの生活が育まれてきた歴史を感じる、100世帯ほどの人達が営む長閑な自慢の地域です。

自慢の神輿

黒の漆の屋根に輝く五七の桐紋
 洲宮区自慢の神輿は八月初旬の洲宮神社例大祭、九月中旬の安房国司祭(やわたんまち)に出祭しています。
 昭和五十年と平成十一年には、室町時代に創業してから十六代五百年続いたと言われる行徳の浅子神輿店にて大修理が行われました。
 神輿の屋根には五七の桐紋が輝き、美しい黒の漆で塗られた神輿本体と、垂木、斗組、彫刻にはられた金箔、鳥居、囲垣などは朱で彩られていて、木肌が全く見えないのが特徴のひとつです。
金箔と朱で彩られた鳥居や囲垣
 担ぎ棒はやや短めにして、小回りがきくように、また安全性も考慮しています。屋根の勾配がやや深く膨らみのある丸びを帯びていて、胴部分はしまった形で、スマートかつバランスの取れた美しい意匠となっている自慢の神輿です。

●屋根:延べ屋根 ●蕨手:普及型 ●造:漆塗り
●露盤:桝型 ●垂木:扇形 ●胴の造:二重勾欄
●舛組:五行三手 ●扉:四方扉 ●鳥居:明神鳥居
●台輪:普及型 ●台輪寸法:3尺4寸
●制作者/制作年:不明

洲宮神社

洲宮神社
館山市洲宮字茶畑九二一
●祭神 天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)
●宮司 朝倉良次
安房神社祭神の后神で、元の名は「洲ノ神(すさきのかみ)」。
例祭 八月十一日、九月十四日(鶴谷八幡宮に出祭)

明治15年に作られた、洲宮神社の祭神「后神天比理乃咩命」と書かれた神名の額。書いたのは当時の内務省内務大書記官の桜井能監。関東大震災の時に半分破損した。

◎由緒
 安房開拓神話にまつわる神社で、安房神社の祭神天太玉命の后神天比理乃咩命を祀っています。平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」に記載された格式高い式内大社。「式内大社」については、当社と同神である西岬の洲崎神社との間で長らく論争となっています。また、祭神が西岬の洲崎神社と同神であることから洲崎神社が拝所、当社が奥宮である二殿一社であるとも言われています。
 もとは県道をはさんで反対側の魚尾(トオ)山に鎮座していましたが、文永十年(一二七三年)の火災で焼失したため、現在地に移転したと言われています。
 社領は里見氏の時代に洲宮村に三石、洲崎村に4石を寄進され、江戸時代も幕府から洲宮村で七石を寄進されていました。
 境内出土の祭祀用土製模造品と洲宮神社縁起、南北朝時代の木造天部立像が市の文化財に指定されているほか、毎年一月一日に農耕神事として行われる御田植神事も市の無形文化財に指定されています。

自慢の祭

安房国司祭で鶴谷八幡宮に入祭する洲宮神社
 洲宮の神輿が出祭するのは、八月の洲宮神社例祭と九月に行われる安房地域最大の祭礼「やわたんまち」です。
 「やわたんまち」初日の出発は午前八時ごろ。安房神社の神輿を追い越してはならない習わしのため、神社前を通り過ぎるのを待ってから渡御します。その昔は、鶴谷八幡神社まで全て担いで行きましたが、現在は館山病院周辺までトラックで運び、そこから市内各所を回って鶴谷八幡神社へ向かいます。天狗を先頭にした安房神社が鶴谷八幡神社へ入ると、いよいよ洲宮の鶴谷八幡神社入祭です。二の鳥居から本殿まで一気に走り抜ける姿は観客を大いに盛り上げます。
 境内でもみさしを繰り返したのち、御仮屋に神輿を鎮座させ、その後は決められた御旅所である山崎勝平さん宅で休憩します。区の役員たちは宿泊し、「宮番」と呼ばれる神輿の見張りを行います。かつては「八手(やて)」と呼ばれる八人が神輿の管理や道中の休憩所の世話、そして宮番時の炊事などを全て担当していましたが、現在は役員自ら分担しています。
 二日目はすべての神事が終わった後、午後五時に安房神社の還御が始まり、二番目に洲宮神社が還御します。一晩休んだ担ぎ手は力を取り戻し、境内でのもみさしは祭り全体のクライマックスを導きます。その際、安房神社の担ぎ手数名が残り洲宮神社を手助けするという慣習が今も残っていて、洲宮神社の祭神と安房神社の祭神が夫婦であるということでこのような場面が見られるのも「やわたんまち 」の醍醐味です。
 八月に行われる洲宮神社例大祭では、神社を出発した神輿は、その昔の神社跡地と言われる「明神山」という小高い山に登って、浜降神事(お浜入り)を行います。「浜降神事だけは必ず行わなければならない」と古くから伝えられてきた大切な神事です。
 
明神山で行われる「浜降神事」


元旦に執り行われる「御田植え神事」
 洲宮神社の伝統的な神事として、昭和四十四年に館山市無形文化財に指定され、毎年一月一日に執り行われる「御田植え神事」があります。氏子の古老を「作男(さうでえ)」と定め、耕作の「牛」として地区内の新婚や既婚の男子を一人決め、拝殿前の広場で餅や籾、苗などを供え、竹製の鍬を置いて、 「月もよし 日もよし神の御田うない申す」 と作男が三回唱えると、子どもたちが竹製の鍬でうなう所作をするなど、千葉県内でも有数の神事です。
 伝統と仕来りに守られた神輿祭や御田植え神事は、洲宮に暮らす人々の心に生きる自慢の祭です。

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館山市神戸 洲宮(表面) 館山市神戸 洲宮(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。