豊房地区 出野尾

たてやま おらがんまっち 豊房地区 出野尾

地域の紹介

のどかな風景が広がる出野尾地区 豊房地区大戸交差点過ぎ、県道86号線右側一体に位置し、かつては海が近く迄せまっており、市内の他の洞穴遺跡とほぼ同じ位の高さに貝塚遺跡があります。
 鎌倉文化と強く結びついた中世の密教道場であった小網寺を中心とした集落で、鎮守の十二社神社から坂を下ると、弘法大師が修行したとの伝説がある、弘法谷また法華谷とも呼ばれている処に地元の人々が奉納した弘法大師像が祀られており、地蔵さんの脇に「山百合」が咲き、水田が映えるのどかな風景が広がります。
 里見氏の館山落城にまつわる伝説が残る「十三騎塚」、お大日と呼ばれる石碑群信仰の篤い集落の息吹が感じられる地区です。

自慢の神輿
●地区名:出野尾 
●神社名:十二社神社 
●屋根:述屋根方形一直線型 
●蕨手:普及型 
●造り:白木造り 
●露盤:桝型 
●棰:棰型 
●胴の造り:平屋台 
●桝組:五行三手 
●扉:前後扉
●鳥居:明神鳥居 
●台輪:普及型 
●台輪寸法:三尺四寸 
●彫刻師:初代後藤義光
●先代神輿は昭和二十九年に藤原地区に売却。先代神輿の彫物の一部を残し昭和四十九年に修理羽目板の彫り物「天照大神」、狛犬は前後で違う。

後藤利兵衛橘義光の彫刻

自慢の祭: 昔は十月十七日が例祭日でした。当時の神輿渡御においては、氏子一軒ずつを回り、狭い軒先まで入れるように担ぎ棒が今のより短かったそうです。各家で挨拶、接待を受け、渡御の終わりは明け方近くまでになったそうです。
 当時は屋台も出祭し、接待してくれる家の前で高張提灯のまわりを、相撲甚句、高砂などの唄を歌い、踊りを披露していました。人参、蓮、椎茸等の具をのせた手前の鮨、煮しめ、からナマス、お赤飯、茹でた落花生、湯で渋抜きした渋柿など、各家の自慢の料理が振る舞われました。神輿渡御がはじまる
その後、接待などを順番にするようになりました。
 現在は十月第二土曜日に挙行される例祭では古茂口、南条、大戸の各屋台とともに、豊房地区合同祭として出祭しています。
 神輿が小網坂を登る頃には、近隣から多勢の助っ人で、賑合う神輿ぶり。
 出野尾地区十二社神社の神輿は、美しい素木に大きな金の桐紋を誇らしげにつけ、房州後藤流彫刻の祖である後藤利兵衛橘義光による力強い彫刻が施されている自慢の神輿です。
 四月中旬には「春日待(ひやり)」と呼ばれる親睦会、年に数回行う草薙、少ない氏子の人達の結束が強く感じられる谷津田のお祭りです。
地区の皆で神輿の準備

十二社神社

十二社神社十二社神社
●鎮座地 館山市出野尾宮ノ下四七五
●祭 神 
天御中主尊 「あめのみなかぬしのみこと」
国常立尊  「くにのこたちのみこと」
国狭槌尊  「くにさつちのみこと」
面足尊   「おもだるのみこと」
天忍穂耳尊 「あめのおしほみみのみこと」
他七柱
神社額
●例祭日 十月十七日(現在は十月第二土曜日)
●鳥 居 神明鳥居
●本 殿 銅板葺屋根
●境内坪数 百七十七坪
●神事    例祭日に、神輿渡御
●神紋    五三の桐
●宮司    富浦 瀧淵神社 代田健一(正木 諏訪神社 加茂信昭)
●氏子数   二十八世帯
●由緒: 出野尾地区の中心部に鎮座する熊野系の神社。創建不明。かつては十二社権現と呼ばれたが、明治の神仏分離で十二社大神に改められた。鳥居と石段は大正六年(一九一七)、手洗石は明治五年( 一八七二)の奉納。境内には青面金剛像を刻んだ庚申塔がある。念仏修行仲間十五人によって延享四年(一七四七)に建てられたもの。また一山講中によって明治時代に建てられた石宮もある。

金剛山小網寺
●金剛山小網寺: 小網坂と呼ばれる急坂を登ると、和銅三年(七一〇)行基が創建したと伝えられる真言宗金剛山小網寺(古称では金剛山大荘厳寺)本堂の大きな銅板瓦屋根が見えてきます。密教道場として隆盛を極め「安房の高野山」と言われるほど栄えていました。県有形文化財の鋳銅密教法具が、市博物館に寄託されています。
木鼻の獅子彫刻 里見義実は師壇の契り厚く寺領を寄進し、徳川家光からは朱印地二十五石を与えられ、西岬、神戸地区中心に三十三の末寺を抱えていたとのことです。参道より、朱色の仁王門をくぐると苔むした急な石段の上に、館山市有形文化財の「聖観音立像」が祀られている、明治初期に建てられた観音堂「安房国札第三十二番札所」があります。本堂の前にかかる梵鐘は、鎌倉の名工物部国光作の「国重要文化財」です。
手挟み鳳凰彫刻 「はるばると のぼりてみれば 小あみ山 かねのひびきにあくるまつかぜ」
 と、ご詠歌にも詠まれている名鐘の響きが聞こえます。
 本堂向拝には、親を見つめる子どもを抱く躍動感溢れる龍の彫刻、肘木には籠彫の亀、鯉。巻毛の流れが精細な木鼻の獅子、獏、桁隠に飛龍、手鋏に羽を広げた鳳凰、麒麟が両側から見られ、欄間に鳥、獅子に牡丹と必見の価値ある、初代後藤義光作なる彫刻がすばらしいです。
物部国光作の梵鐘 国重要文化財
本堂向拝を飾る見事な彫刻

豊房のまつり

祭礼日 十月第二土曜日
豊房地区合同祭 豊房地区のお祭りは農村地帯らしく豊年満作を祝う秋祭りです。出野尾地区の十二社神社、大戸の白幡神社、南条地区の八幡神社、古茂口地区の日枝神社の祭礼は、ともに「豊房のまつり」と呼ばれています。この四社の中で年番を中心に毎年祭礼の取り決めを行い、例年十月十七日に開催されてきました。近年は、少子高齢化の影響から十月第2土曜日へと移行し、神輿の出祭と屋台の曳き廻しが行われています。
 午後三時頃にはJA安房豊房支店の駐車場に、大戸・南条・古茂口の屋台、そして出野尾の神輿が勢ぞろいし、祭りは佳境を迎えます。年番渡しが執り行われ、各地区そろって祭りの喜びを分かち合います。

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豊房地区 出野尾(表面) 豊房地区 出野尾(裏面)

このパンフレットは、地域の方々からの聞き取りを中心に、さまざまな文献・史料からの情報を加えて編集しています。内容等につきましてご指摘やご意見等ございましたら、ぜひご連絡いただき、ご教示賜りたくお願いいたします。