語り「富田先生の『青い目の人形』」

昭和2年、アメリカの子供達から「アメリカと日本が、これから、ずっと仲良くしていくために、まず子供達同士が仲良くなりましょう」というメッセージを込めて、青い目の人形が贈られました。
これは、アメリカで排日移民法が議会で成立したことに伴って、日本人に対する差別や排斥運動が高まってきたことに心を痛めたアメリカ人・ギュリック博士と日本の実業家・渋沢栄一氏の尽力とアメリカのキリスト協会の人々の協力によって実現したものです。
人形は、1つずつ日本中の小学校や幼稚園に届けられました。南房総館山市の館山小学校にやってきたのは「メリーちゃん」。子供達から大歓迎されたメリーちゃんは、裁縫室に飾られました。
今度は、日本の女の子達が、いただいた人形のお礼に、振袖姿の日本人形をアメリカの子供達に贈りました。
こうして、アメリカと日本の二つの国の子供達は、友好を誓ったのでした。
しかし、昭和16年12月8日に日米開戦の火蓋が切られるとアメリカは敵国となりました。
当然、その火の粉は人形にも及び、日本中にあった青い目の人形は、次々に処分されてしまいました。そんな中、館山小学校の佐藤校長は、「メリーちゃん」を女学校を出て教師になったばかりの若い富田先生に託しました。やがて戦争が終わり、富田先生も結婚して、二人の娘を持つお母さんになりました。娘さんたちも成人し、終戦から28年も経ったある日、「人形使節