なぜ館山の富士山は大きいの?

朝焼けの富士山(北条海岸より)

館山市北条海岸。
「鏡ケ浦」とも呼ばれる館山湾に面したこの海岸は、
日本の夕陽百選にも選ばれている夕陽の名所でもあります。
絶景の理由の1つが海の向こうに雄々しくそびえる富士山。
意外なほどに大きく見えるその訳を、
館山の富士見スポットを巡りながら考えてみましょう。

(2011/11掲載:K)

富士山まで110km。それでもこんなに大きく見える!

世界に誇る名峰富士。標高3776mのこの山は日本のシンボルでもあり、われわれ日本人の心の拠り所でもあります。この富士山、館山からも見えるということは意外に知られていないようです。しかもかなりの大きさで。今回は1度見た人の心をわしづかみにする「館山、富士のある風景」に迫ります。
富士山から館山までは直線距離で110kmあまり。富士山から東京駅までがちょうど100kmですからそれよりほんの少しだけ遠いことになります。首都圏近郊にお住まいの方なら富士山を見る機会はかなりあるはずですが、ビルの谷間に、あるいは隣家の屋根越しにほんの少し小さく見えるだけという印象が強いと思います。ところが、ここ館山から見る富士山はちょっと驚いてしまうほどに大きい。写真だとうまく伝わらないかも知れませんが、「感覚的に」かなり大きく見えるのです。もちろん富士の裾野から見る迫力には及びませんが、なかなかの絶景なのです。

夕陽が大きく見えるのと同じ理由?

ところで、夕陽はなぜ大きく見えるのでしょう? この理由を説明できる方はいらっしゃいますか? 天頂の太陽よりも水平線近くの太陽のほうが大きく見えるという、あの不思議な現象についてです。これまでもさんざん議論がなされているものの、いまだに解決されていないミステリーの1つ。「大気中の水蒸気がレンズの役割を果たすから」「空には対象物がないから小さく見える」「赤い色が夕陽を大きく見せている」など、さまざまな説が飛び交っています。目の錯覚であることだけは間違いないようですが、万人を納得させるだけの説明ができる人はまだいません。

富士山周辺地図

では館山の富士山はなぜ大きく見えるのでしょう?これも難問の様相を呈していますが、正解を導く鍵は「海の上に見える」ということでしょうか。そうなのです、館山は富士山を太平洋越しに見ることができる数少ないポイントの1つなのです!
日本地図が頭に入っている人以外はピンとこないかもしれませんが、地図で確認すると一目瞭然! どうです? 他の富士見スポットとはひと味違うことがはっきりとお分かりいただけたでしょう?

コラム「東京湾と太平洋の境はどこ?」

文中で「太平洋越しに富士山が見える」と表現しましたが、太平洋と東京湾の関係について少々補足しておきましょう。まずは右の地図をご覧ください。一般的には三浦半島の観音崎と房総半島の富津岬を結んだ線の北側、つまり赤く示した部分が東京湾と呼ばれます。その南側の青い部分、館山市洲崎と三浦市剱崎を結ぶラインの北側は浦賀水道と呼ばれます。広い意味では両者をひっくるめて東京湾と呼ぶこともあります。
館山のほとんどの海岸線から富士山を望むことができますが、洲崎より北側から見る富士山は厳密にいえば「浦賀水道越しの富士山」あるいは「東京湾越しの富士山」と表現するのが適切なようです。洲崎から布良(めら)にかけての海岸線から見る富士山は正真正銘の「太平洋越しの富士山」ということになります。

「富士の似合う街」で絶景を訪ね歩く

鏡ケ浦図(江戸末期)

そんな訳で館山は富士山が似合う街だということがお分かりいただけたかと思います。たとえば、鏡ケ浦を描いた古い絵がいくつも残されていますが、どの絵にもしっかりと富士山が描きこまれています。富士のある風景は今と変わらず、昔の館山の人にとっても自慢の1つだったに違いありません。
では富士山はどこから見るのがいいのでしょう? 実際のところ、館山のほとんどの海岸線から見ることができますし、少々内陸に入ったところにも絶景スポットは存在します。ここで代表的な富士見スポットを、写真とともにいくつか紹介していきましょう。
まずは冒頭で挙げた北条海岸。ここは海岸線が長く、駅からも至近。海沿いには駐車場もあるのでアクセスのよさからもイチ押しスポットといえます。「関東の富士見百景」の1つでもあり、その景観には定評があります。

次におすすめなのは、同じく富士見百景の城山公園。館山の街や鏡ケ浦全体を一望できる高台の展望台で、近景から遠景までを立体的に楽しめます。

3つめは同じく富士見百景の伊戸下芝。太平洋の荒磯越しに富士の姿を見ることができるポイントの1つです。正面には伊豆大島を筆頭に伊豆七島の姿もくっきりと見ることができます。

ちょっと変わったところでは洲崎神社はいかがでしょう? この神社は洲崎灯台近くの山の中腹にありますが、鳥居にすっぽりと収まるように富士山が見えます。鳥居は2つあり、海側の「一の鳥居」からが絶景です。神社そのものも由緒ある場所ですので参拝もお忘れなきよう。

同じように鳥居越しに富士山が見える神社としては布良崎神社があります。こちらは残念ながら電線と電柱がちょっと邪魔をしているため、絶景とまではいかないようです。

雪化粧の富士と夕陽の富士。冬こそが絶好の観賞シーズン

相浜からの富士

さて、館山から見る富士山のすばらしさや絶景スポットはよくお分かりいただけたと思います。ここでは、もう一歩踏み込んで「いつ行けばいいの?」という問いにもお答えしちゃいましょう。
まず季節的には空気が乾燥する冬がベストシーズンです。もちろん夏でも見えることもありますが、確率はうんと低くなります。しかも館山から見えるのは富士山の南東側ですので、雪が融ける6月から12月ごろまでは見えたとしてもほとんど真っ黒な姿しか拝むことができません。時間帯としては、順光になる午前中と夕陽に染まる夕方が狙い目です。特に午前中なら早い時間ほど空気が澄んでいることが多いようです。
一般的には風景の撮影は雨上がりが絶好のチャンスとされていますが、これは雨によって大気中の塵などが洗い流されるため。空気がきれいな館山でもこの法則は当てはまりますが、雨上がり直後は湿度が高いために風景がにじんでしまうことがあります。

ではいつがいいのかというと、ずばり、低気圧が通過した後の西高東低の冬型気圧配置の日です。大陸から北西の風が吹き込むと空気が乾燥しますので、空はくっきり、海もくっきり、絶好の撮影日和になります。
冬の館山は「大西」と呼ばれる強い西風が吹き荒れることもしばしばですが、こんな日はちょっと条件が悪いようです。波の飛沫の影響もあってか風そのものが湿気を含んでおり、すっきりした視界は得られません。
冬の海岸は冷たい風にさらされていますので、撮影の際には万全の防寒対策でお出かけください。また、強風時に望遠レンズで夕景を狙うなら、風に負けない頑丈な三脚もあったほうがよさそうです。

で、謎の答えは??

さて、そろそろ謎の答えを考えていきましょう。
まず1つ考えられるのは、館山から見た富士山は手前に余計な障害物がないため裾野から山頂までがくっきりと見えているのではないかということ。都心から見る富士山は下の方がビルなどで隠れているため小さく感じるのではないでしょうか。
もう1つは、目のズーム機能が影響しているのではないかと思います。人間の目はかなり優秀なレンズで、一瞬のうちに対象物にピントを合わせると同時に視野角を調節します。手前に何かがあると、それを見ようとするため視野は広角気味になり、遠くの富士山は小さく感じます。逆に手前に何もないと富士山だけを見ようとするので、視野角が狭くなり、いわゆる望遠レンズで見たような感じになります。つまり大きく見えるということですね。

さて、こんな風にいろいろと考えを巡らせてきましたが、かなり有力な手がかりにたどり着きました。
まずは下の写真をご覧ください。これは以前撮影した船橋市からの富士山です。12月、クリスマス前の寒い朝でした。上から下まで真っ白に雪化粧していますね。なかなかの迫力だとは思いませんか?

船橋からの富士
船橋からの富士

ところがこの富士山、裾野の方までくっきり見えているようにも思えますが、実はこれ、上の方のほんの一部だけなのです。
全体はというと…

船橋からの富士 全景

こちらです。富士山の手前に見える丹沢の山々がちょうど衝立てのように富士の裾野を、裾野どころか6合目ぐらいから下をすっぽりと隠してしまっていますね。これでは大きく見える訳がありません。ではもう1度館山の富士山を。

洲崎からの富士

ほら、全然違うでしょう? 大きく見えるというよりも、見えている部分そのものが大きかったのですね。整った円錐形をしている富士山だからこそ起こりうる目の錯覚とでもいいましょうか。さらに、館山から見た富士山は手前の山々さえも富士の一部のように見えなくもありません。しかも、手前の山々はもっとぼやけていることがほとんどですので、そうなるとさらに大きく見えてしまうという訳です。

いかがでしょう? 納得いただけたでしょうか?

ともあれ、ややこしい理屈は抜きにして、ぜひ一度館山の富士山を見に来てください。その迫力ある姿を前にすると「なぜ?」なんて疑問は吹き飛んでしまいますから。

館山の「富士見スポット」はこちら!

最後になりましたが、上で紹介した館山のおすすめ富士見スポットをもう少し詳しく紹介しておきます。館山においでの際には、富士山は要チェックですよ。

コラム「浅間神社が富士見スポット?」

他の地域同様、館山においても富士山は信仰の対象となり、江戸時代には富士講も広く伝わりました。富士山信仰の神社として有名なのは「浅間神社」。静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間大社を総本山とし、全国至るところにその名前が見られます。城山公園の山頂や香(こうやつ)地区、真倉浅間山山頂など、館山にもいくつかの浅間神社があり、いずれも富士山を神格化した浅間大神(あさまのおおかみ)や、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)などが祀られています。また、神社でなくても小さな石の祠などが「せんげんさま」として祀られている場所も数多くあります。
これら浅間神社や「せんげんさま」の共通点は、富士山が見える場所にあるということ。つまり浅間神社は富士見スポットでもあるのです。建物や林など、周囲の環境の変化によって現在では見えなくなってしまった場所も多くありますが、「浅間」という名前は富士見スポット探しの手掛かりとなる訳です。ドライブの途中に各地の「浅間さま」を訪ねてみるのも一興ですね。
(写真:城山公園の浅間神社)

北条海岸

鏡ヶ浦を望み「日本の夕陽百選」「関東の富士見百景」「東京湾100選」など名だたるタイトルを持っている絶景の海岸。ヨットやウインドサーフィンなどのマリンスポーツも盛んで、夏には海水浴場としても賑わいます。毎年8月8日に行われる館山湾花火大会のメイン会場となるほか、さまざまなイベントが開催されます。

城山公園

市内を見下ろす高台にある公園で頂上付近が絶好の展望台になっています。館山の街と鏡ヶ浦、さらには伊豆半島を遠望できる館山屈指の眺望スポット。山頂に立つ3層4階の天守閣様式の建物は里見氏の城をイメージして造られたもので、現在は『南総里見八犬伝』の資料館。

伊戸下芝

「白砂青松100選」にも選ばれている平砂浦海岸の富士見スポット。東に伊戸漁港を望み、正面には大島をはじめ伊豆七島の姿もくっきり。海の駅「伊戸だいぼ工房」の駐車場から磯にアクセスできます。

洲崎神社

太平洋と東京湾とを分ける洲崎の山の中腹にあり祭神は比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)。江戸時代に安房国一宮になった由緒ある神社です。戦に負けて伊豆から落ち延びた源頼朝がここで再起を図り必勝を祈願したことから「リベンジの神様」としても脚光を浴びつつあります。

布良崎神社

歴史は古く、神話の時代に阿波忌部氏とともにこの地に上陸した天富命(あめのとみのみこと)がこの地に安房神社を創建。717年に安房神社が移転したのち、その跡地に建てられたのがこの神社です。2つの鳥居の間にちょうど富士山がすっぽり収まるように設計されています。

もし時間に余裕があればハイキングがてら富士山観賞もいいかも知れません。野鳥の森はハイキングコースとしてもおすすめです。写真では富士山が写っていませんが、なかなかの絶景ですよ。

館山野鳥の森

安房神社の背後にある緑豊かな森。園内には5カ所の展望台があり、天気がよければ平砂浦海岸の向こうに富士山が見えます。


富士山の絶景スポット

より大きな地図で 富士山絶景スポット を表示

なぜ沖ノ島には歩いて行けるの?

沖ノ島
沖ノ島

 館山駅から海岸線を南西に約4キロ。海上自衛隊館山航空基地の裏手に「沖ノ島」という館山屈指の観光スポットがあります。ただこの場所、行ってみるとわかるのですが「島」といいながら陸と繋がっているんですね。見た目も島っぽいしなんだか不思議な場所だから、まぁいいか、で止まっている方いませんか?今回は、この謎をスッキリさせるとともに沖ノ島の魅力をスクープ!行ったことがある人もない人も、次回行く時は新しい沖ノ島に出会えるかも?

(2012/04掲載:H)

沖ノ島とは?

沖ノ島は、大房岬から洲崎に繋がる館山湾海岸線のちょうど中央に位置します。上からみると大きく手を広げた大房岬と洲崎の両腕に対して頭のようにも見える場所です。その海は例年行われる環境省の透明度調査においても最高レベルの水準に認定されるほど。名実ともに南房総屈指の美しい海に囲まれたフィールドであり、毎年夏にはたくさんの海水浴客で賑わいます。

歩いて行ける無人島 沖ノ島

ただし、沖ノ島の魅力は夏にとどまりません。富士山を背景に、むき出しの断層、太く生い茂った木、浜に散りばめられた美しい貝殻たちなど、手の加えられていない自然がそのままの状態で残っているんですね。
そこで今回、まずはこの沖ノ島の魅力について、長年沖ノ島を含む館山の環境保全やエコツアーを推進している「NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団」理事長 竹内聖一さんにお聞きしてみました。

海辺の鑑定団 竹内聖一さんによる3つの解説 about 沖ノ島

①サンゴの北限域 黒潮にのって流れ着く海からの贈り物

海辺の鑑定団理事長 竹内聖一さん
海辺の鑑定団理事長  竹内聖一さん

沖ノ島を含む南房総の海はサンゴが生息する北限域です。サンゴというと常夏の島をイメージしがちですが、実はこんなに緯度が高く都心から近い場所でも見られるんですね。なかでも沖ノ島では約30種類のサンゴが発見されており、いずれも比較的浅いところで観察することができます。

これには南から上がってくる黒潮が水温を高く保ってくれていることや沖の島の海がきれいで、栄養分に富んでいることが関わっているんです。沖ノ島の海は、速い流れの黒潮が通過しているため、いつもフレッシュな状態であり、また深層水によって常に栄養が補給されるなど、サンゴが生育するために必要な条件に恵まれているわけです。

奥の海で観察できるサンゴを解説する竹内さん
奥の海で観察できるサンゴを解説する 竹内さん

この黒潮によって本当にいろんなモノが漂流します。時にはサメやクジラが打ち上がったり、イノシシが流されてきたことも。日本列島を縦断して遠い旅をしてきたものばかりですが、なかでも貝殻の種類には目をみはるものがあります。

②海と森が一体となった自然との出会いの場

沖ノ島にてビーチコーミング
沖ノ島にてビーチコーミング

ビーチコーミングという言葉をご存知ですか?海辺に上がった貝殻や流木、小さな生き物たちを拾ったり、じっくり観察してみたりすることです。
漂流物は、長い年月をかけてたどり着いたものばかりで、一つ一つに歴史やストーリーが刻まれています。これはどこからきたんだろう?どうしてこんなカタチになったんだろう?なんて思いを馳せながらそれらを見つめ直してみると、改めて海辺は宝の山なんだということに気づきます。
館山の海は、全長31.5kmありますが、そのほとんどの海岸線を歩けることが大きな特徴です。中でも海と森とが一体となった沖ノ島は、生き物から岩、貝殻、砂場に至るまでみどころに溢れているので、自然との出会いを求めながら散策するにはこれ以上にはない環境といえるでしょう。

③沖ノ島海底遺跡の発見

NPO法人 たてやま 海辺の鑑定団事務局
NPO法人 たてやま海辺の鑑定団事務局

実は今から20年ほど前に、大変なものが見つかったんです。
なんと縄文時代の遺跡です。
三甁雅延さんという方が、夏休みに交換学習をしていた小学生とビーチコーミングをしている最中に偶然イルカの骨を拾い、その量が尋常ではなかったため研究員の方に調べてもらったところ縄文時代の遺跡であることがわかりました。

化石の入ったむきだしの断層
化石の入ったむきだしの断層

その後2003年から3度に渡って千葉大学考古学研究室による発掘調査が行われ、それらが考古学研究上、非常に貴重な遺跡であることが証明されたんですね。
本当に驚きです。
もともと沖ノ島は、化石を含んだむき出しの断層を見ることができるなど、地形の隆起からできる海岸段丘に囲まれていて、誰しもが地殻変動の歴史を目で見て感じることができる場所です。そのため、何か遺跡があるのではと言われていたそうですが、ここまですごい発見だとは思いもよりませんでした。
もちろん遺跡を拾って持ち帰ることはできませんが、太古の日本人の生活現場がこの下に眠っているんだということ、そして地球が生きているんだという事実を実感として学ぶことのできる場所だと思っています。

なぜ、沖ノ島には歩いていけるのか?

さて、沖ノ島がどれほど魅力的な場所であるかお話し頂いたところで、これらを踏まえて竹内さんに今回の謎について答えを教えてもらいましょう!

沖ノ島に歩いていける理由は、地震による隆起で島と陸との間にある地層が上昇し、そこに海から運ばれてきた砂がどんどん堆積することによって陸繋島になったことによります。房総半島の先端は、昔から地形の隆起が著しい場所として有名でして、これまでに縄文海進(約6000年前の縄文時代に日本で発生した海水面の上昇)後、陸地が約25メートル隆起していることが確認されているんです。

関東大震災前の沖ノ島(左)と高ノ島(右)
関東大震災前の沖ノ島(左)と高ノ島(右)<たてやまフィールドミュージアムより>

昔の写真を見てもらえばわかるように、もとは「沖」にあった島、沖ノ島だったんですね。

昭和31年の航空写真
昭和31年の航空写真

それが1923年の関東大震災で約2メートル地盤が隆起。1930年に海軍航空隊の基地が埋め立てによって出来上がり、陸地が沖ノ島へ近づきます。この時点ではまだつながっていなかったようですが、その後沿岸流によって砂が少しずつ堆積し、1948年あたりに道ができあがったということです。実は歩いていけるようになったのは、つい最近だったんですね。

 以上、海辺の鑑定団理事長竹内聖一さんのお話から、沖ノ島がどのような場所であるのか、そして沖ノ島の魅力についてよくおわかり頂けたのではないでしょうか。竹内さんは沖ノ島を観光地としての名所を越えた「フィールド」であり、地域の「宝物」なのではないか、とお話くださいました。海も美しく、景観も素晴らしい、ただ沖の島の魅力はそれに尽きることなく、「自然」という漠然とした大きなものに肌で触れ、感じて、何かを発見できる、そういった場所なのかもしれません。
また今回の謎の答えでしたが、こちらは沖ノ島の魅力が交差した賜物だったわけです。一つには南海から千葉県に向けて北上してくる黒潮の力です。地上にいては埋もれたり土に還るものたちが、どんぶらこどんぶらこ、と海に揺られて今も旅をしています。この黒潮の速い流れによって運ばれた様々な海からの贈り物たち、また浜辺に挙げられた貝殻や流木の数々。この海の力で、隆起した地盤に砂がたまり、砂州を形成し、陸繋島になった沖ノ島。今も生きる地球の中と外の力によってこの場所は変化を続けています。
昨年の震災による被害は未だ私たちの心に傷を残し続けますが、「地震」を恐怖の象徴ではなく、地球が生命活動を行なっているのだ、という事実を知らせるものとして、改めて地球との新しい付き合い方、そして防災について考えていく契機を与え、その美しさや安らぎと共に発信し続ける場所が沖ノ島なのだと、今回の取材で感じました。

ガイドさんと回る沖ノ島の探検ツアーが定期的に開催されています!

沖ノ島無人島探検

日時 主催者にご確認ください。
場所 館山市沖ノ島
定員 各20名(最少催行人数3名 前日17:00に決定)
参加費 小学生以上 1500円(小学4年生未満は保護者同伴)
服装・持ち物 季節にあった服装、帽子
砂浜・岩場を歩けて、多少濡れてもいい靴
(ウォーターシューズ可、ビーチサンダルは向きません)
飲み物、レジ袋など持参
申し込み・問合せ先 NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団 電話・FAX0470-24-7088
E-Mail umikan@lapis.plala.orjp
http://www.umikan.jp/

海辺の生き物語 刊行!
海辺の生き物語

黒潮の影響を受け、北限域のサンゴを代表とする、多くの生き物を育む、
南房総・館山の海辺のガイドブック。
海辺の「貝がら」と「生き物」と「植物」と、
マナーやオモシロ話を掲載。自然観察の入門書。
ポケットに入れて海に行こう!

ビーチコーミングにも必携書
ビーチコーミングにも必携書

さて、これほどまでに多様な顔を持ち合わせ、私たちに癒しと驚きに満ちた発見を与えてくれる沖ノ島。今回は、幼いころから沖ノ島と共に育ち、沖ノ島の神秘的な姿に幾度となく出会ってきた方々をご紹介します。

安房の海守(うみもり) 故三甁雅延さん

三瓶雅延さん
三瓶雅延さん

まず、安房館山の海といったらこの人。三甁さんです。館山出身の三甁さんは、会社員としてのお仕事をされるかたわら、「no.1 only.1」に満ちあふれたこの館山の海をたくさんの方に知ってもらいたいと休日を割いてボランティアでの体験学習を数多く開催されてきました。そんな三甁さんの活動が実を結び、今や館山の海の素晴らしさを伝える様々な機会が、多くの方々の力によって提供されています。
この三甁さん、竹内さんのインタビューにも登場しましたが、沖ノ島海底遺跡の発見者でもあるんですね。そこでその当時のお話をお聞かせ頂こうと伺ってみました。

縄文時代の遺跡を発見された時は、どんなお気持ちでしたか?

発掘調査資料を見せてくれる三瓶さん
発掘調査資料を見せてくれる三瓶さん

「ちょうど87年の夏に8月8日の花火大会に合わせて、交換学習で群馬県の小学生がこちらに来ていたんです。私は水泳指導を任されていましたので、たまたま子供たちをつれて沖ノ島に行くことになりました。ぐるっと一回りしている間に地層の中にある化石などを見せながら『もしからしたらここから古代遺跡が~』というような話をしていたんです。その日は、異様に浜砂が移動していましてね、岩盤がむきだしになっていました。そして海水浴客のパラソルの間をくぐるように進んだ時、その岩盤に骨が入っているのが目に入ったんです。『うわっ、さっきおじさんが話した話が本当になっちゃったよ!』といって大慌てで先に歩いて行った生徒を呼び戻して、みんなで大騒ぎです。人が集まってきてしまったので、大声で『きっとこれは貴重な遺跡なので、皆さん持ち帰らないようにそっとしてください!』と叫んだんですよ~。」

びっくりですね~。世紀の大発見は、交換学習に来た生徒さんたちと沖ノ島を散策している最中におきたのです。その日は普段より潮が引いていて、いつもは海の下にいる遺跡が剥き出しになっていたということが発見に繋がりました。ただそうであっても、骨を見つけることができたのは、常に沖ノ島を見守ってきた三甁さんならではの「気づき」だったのだろうと思います。

この縄文時代の遺跡は、どのような発見だと言われているんですか?

イルカの骨を説明する三瓶さん
イルカの骨を説明する三瓶さん

「はい、87年に私たちが見つけてから、すぐに研究員の方が縄文時代の遺跡であることを確認しました。その後は詳細な調査研究がなされるまではそっとしておこうということになりかれこれ16年間毎日のように沖ノ島を見回りに行ったものです。そして、2003年にようやく念願の考古学研究が始まります!これは嬉しかったですね~。千葉大学考古学研究室の岡本先生によって、合計で3度に渡って科学的な発掘調査が行われまして、つい最近研究の内容が発表されたところです。
発掘された土器や遺物によって、沖ノ島海底遺跡が1万2000年~1万年前あたりの、比較的短期間に形成された遺跡だということがわかりました。大量のイルカの骨を筆頭に、たくさんの動植物の遺跡や骨角器が発見されましたが、日本で最も古い出土例のものが何点かあり、非常に貴重な遺跡だとのことです。特に、氷河期後の地質から落葉広葉樹が見つかったことによって、これまで針葉樹の植生とされていた当時の地球環境が覆されることになったということで、考古学研究を前進させる資料となったといいます。」

考古学研究を覆す資料・・・。何気なく縄文時代の遺跡と聞いておりましたが、ここまで貴重な研究資料になっているとは知りませんでしたね。それもそのはず。研究発表として公開されて展示が始まりだしたのが、つい最近なのです。今後研究がより深まり、先史時代の様々な謎が解明されることを期待しましょう。そして、もし沖ノ島で遺跡を見つけてしまった場合は、そっとしておきましょうね皆さん! 三甁さんありがとうございました。

※長い間、沖ノ島の自然や縄文遺跡、そしてサンゴ礁をこよなく愛した三瓶さん。この記事は三瓶さんの在りし日の活躍を忍んで、取材当時のまま残します。(SZ)

※タイトルの「安房の海守」とは千葉大学岡本東三教授が三甁さんの功績を称えた呼び名です。(『房総半島の先端から列島史を考える』岡本東三著 2011年千葉日報社参照)

沖ノ島に一番近い宿 まるへい民宿 平塚さん

まるへい民宿 平塚さん (左)大旦那 (右)若旦那
まるへい民宿 平塚さん (左)大旦那 (右)若旦那

沖ノ島に歩いて行ける距離にある民宿がここ「まるへい民宿」さん。そんなお宿のご主人ならば、ということで「沖ノ島の楽しみ方」についてお聞きしましたところ、開けてビックリ玉手箱です。ウキウキするような楽しいお話を次々とお聞かせ頂き、さながらファンタジーに誘いこまれたようでした。
そこで、今回はお聞きしたお話より、「釣り」と「タイドプール」そして「沖ノ島の音」に絞ってご紹介します。

沖ノ島は釣りの良場

沖ノ島 良釣場=根(ネ)
沖ノ島 良釣場=根(ネ)

「沖ノ島周辺には海の中に岩場があって、そこに魚がたくさん住み着いています。これを『根』っていうんですけどね、このポイントを知っておくと釣りに役立つと思いますよ。
『ナカ根』『ガンゾウ根』『アージャ』『シマデェ(島出)』『崖ん棚』『メェ根(前根)』ってのが代表的な根でして、なんか面白い名前が多いですけど、こちらの漁師さんの方言なので、昔から知られている場所ってことです。大体スズキ・黒鯛・カサゴ・アイナメ・メバル・メジナ・ウシタナゴ・キス・シタビラメ・ベラなどが各ポイントごとに釣れますよ。」

タイドプールで生き物観察

タイドプール
タイドプール

「沖ノ島の植生はとても多彩で、周りに岩場が多いですから、干潮の時にできあがるタイドプールで生き物を観察したりするのも家族でできるとても面白い遊びです。干潮(夏だとちょうどお昼ごろ)を狙って沖ノ島の浜辺に行くと至るところにタイドプールができています。
気に入った場所を見つけて、そこの水をバケツかなんかで抜いてしまうんですね。そしたら岩場に隠れている色んな生き物たちが水を求めて出てきますので、それを捕まえてバケツにいれて観察してみましょう。イソギンチャクの仲間やアゴハゼや熱帯魚の仲間、時には得体のしれない魚まで登場して面白いですよ。」

沖ノ島で鳴り響く音

樹齢数百年の老木から珍しい昆虫まで
樹齢数百年の老木から珍しい 昆虫まで

「静かになった夜などに、沖ノ島に訪れてみると、普段聞くことの出来ないとても美しい音が聞こえます。多分これは、小さな森が海に囲まれているという不思議な場所だからでしょうけど、生き物の声や波の音、木々のせせらぎも、いつも聞こえるものとどこか違って、すごい神秘的な雰囲気に包まれています。音が共鳴しているんでしょうね。そんな沖ノ島に触れて、ここは何かのパワースポットなんじゃないかなぁって思うようになったほどです。是非一度夜の静けさの中で、沖ノ島の自然を感じてみてください。」

宿の廊下を彩るさかなクンの作品たち
宿の廊下を彩るさかなクンの 作品たち

まるへい民宿は、大旦那さんと女将さん、若旦那さんの3人で家族経営をなされているアットホームな海辺の民宿。大旦那さんは前に安房博物館の学芸員であり、また養殖の研究をなされていた人ということで、海のことなら何でも知っています。そんなことから、魚の親善大使「さかなクン」とも親しいそうで、宿の通路は魚くんの絵でいっぱいです。
大旦那さんも若旦那さんも声を合わせて言うことには、沖ノ島はただそこにあるものを見たり触れたりするだけで楽しめる場所だということ。道具を使った海の楽しみ方もたくさんありますが、思い至った時にふらっと訪れてみたり、天気が良い日に一周回ってみたり、それだけで十分「遊び」になります。そんな場所もそうたくさんはありません。海が恋しくなるこれからのシーズン、今年は新しい海辺の楽しみ方を一つ増やしてみてはいかがでしょうか。

まるへい民宿

まるへい民宿

〒294-0034 千葉県館山市沼985-10
TEL: 0470-22-2803
FAX:0470-22-2809

HP:http://www.maruhei.jp/

 

沖ノ島の動画はこちらからご覧になれます

なぜ館山ではビーチコーミングが盛んなの?

ビーチコーミングという言葉をご存知でしょうか?
直訳すると「浜辺を櫛でとく」となりますが、
海岸に流れ着いた漂着物を収集することをいいます。
じつは館山の海は、このビーチコーミングには最適な場所なのです。
今回はこの奥深いビーチコーミングの世界をご紹介いたしましょう。

(2012/05掲載:K)

海岸にはお宝がいっぱい! すばらしきビーチコーミングの世界

まずはビーチコーミングの基礎知識から。ビーチコーミングは英語で書くとBeachcombing。Combは「櫛でとく」という意味なので、直訳すると「浜辺を櫛でとく」というような意味になりますが、実際には「海岸に流れ着く漂着物を拾う」ことをいいます。単に落ちているものを拾うだけなので道具も不要。じつにシンプルな遊びです。

安藤智さん

きれいなもの、珍しいものを拾うだけでも楽しいのですが、拾ったものの背景を知るとさらに深みにはまってしまうのがビーチコーミングの世界。更に、蒐集する楽しみを知ってしまうとそれだけで趣味として成り立ってしまうほど奥深いものなのです。
今回は、この道40年という安藤智(あんどうさとる)さんに楽しみ方を聞いてみることにしました。待ち合わせ場所は坂田(ばんだ)の海岸です。実際に海岸を歩く前にどんなものが拾えるかをレクチャーいただきました。

貝殻

ビーチコーミングで人気があるのはやはり貝殻です。ざっと海岸を見渡しただけでも、大小さまざまな貝殻が落ちていることに気が付くはずです。これら多種多様な貝殻ですが、なかでも人気が高いのが「タカラガイ」の仲間。その表面は一部の種類を除いて光沢のある陶磁器のような質感をしており、これを専門に狙うマニアが全国にはたくさんいるといいます。

タカラガイは世界では200種以上。日本では88種類ほど見つかっており、そのうち51種類が館山の海で確認されているといいます。この「タカラガイ」ひとつとっても色も大きさも実にさまざま。レア度も千差万別で、ごく一般的に見られるものから、なかなかお目にかかることができない超レアアイテムまでいろいろあります。レアアイテムはマニアの間では特に人気で、ネット上などで高値で売買されているものもあります。ただし、実際には海岸で拾えるものの多くは波と砂の作用で表面が削れていることが多く、コレクションとしての価値は低いそう。それでも珍しいものに出会えた時には思わずニンマリしてしまう、そんな魅力のある貝殻なのです。

タカラガイ以外でも、サザエなどの巻貝の仲間からナデシコ貝などの2枚貝まで、じつにたくさんの種類があります。ただ集めるだけでなく、これらの貝殻を使った工作も楽しいものです。

シーグラス

海岸を歩いていて次に目につくのはガラスの破片です。ビーチグラスともよばれ、波に洗われて角がとれたものはコレクションの対象になっています。さまざまな色のものを見つけることができますが、飲料ボトルの破片が多いため緑や茶色、透明などが一般的。黄色や水色、赤いものなど、珍しい色のものが見つかることもあります。表面は曇りガラスのような風合いをしていて、加工してアクセサリーなどに使われたりもします。

化石

ノジュール

化石なんかが簡単に見つかるはずがないと思いがちですが、じつは海岸には多くの化石が転がっています。数年前に流行した「イルカの耳骨(じこつ)」も化石の一種です。
イルカの耳骨はそのふくよかな形から「布袋石」とも呼ばれ、古くからお守りとして珍重されてきました。左右の耳に一つずつしかないため、1頭のイルカから2つしか取ることができません。耳骨は他の骨より固いため化石になりやすいそうで、現在見つかっているものはほとんどが化石化したものです。数年前までは館山界隈の海岸で比較的簡単に見つかったそうですが、サーファーを中心にペンダントにするのがブームになり、それ以降は探す人が増えてしまったため、今では海岸で見つけるのはかなり困難になっています。イルカの耳骨は3cm足らずの大きさですが、それより大きなクジラの耳骨が見つかることもあります。
また、馬の歯の化石も館山の海岸ではよく見つかります。その多くは鎌倉時代以降に軍馬として利用されていたものと推測されており、ひょっとしたら里見氏の時代の馬の歯も見つかるかもしれません。そう考えると歴史ロマンを感じずにはいられませんね。

そのほか、動植物の化石もよく探せば結構見つかるそうで、比較的見つけやすいのは甲殻類の化石です。特にカニの化石はハサミの形がはっきりと残っている場合が多いので、見つけやすいといえます。また、動物の姿が見えなくても、化石が入っている石は慣れるとすぐにわかるようになるそう。中に化石が入ったまん丸の石は「ノジュール」といい、これも結構見つかるようですが、中に何が入っているのかは割ってからのお楽しみです。

陶磁器

陶器の破片

どういう経緯で流れてくるのかは不明ですが、陶磁器などの焼き物の破片も多く見つけることができます。古いものから新しいものまでさまざまですが、古伊万里の破片なんかは比較的ポピュラーといえます。新しいものと古いものでは絵付けの技法も染料も違うため、慣れればいつごろの時代のものかも分かるようになります。
変わったところでは横浜のシュウマイ弁当についているしょう油の陶器製ボトル。時代によっていろいろな種類があり、これらもコレクターズアイテムとなっているようです。

縄文土器

縄文土器は今から一万年ほども前の縄文時代に使われた土器のこと。器は低温で焼成されるため、後の時代のものと比べると分厚く、比較的軟らかいのが特長です。名前のとおり縄目模様がつけられているのですが、実際に見つかるのはすり減って見えないもののほうがが多いようです。 館山では洲崎と沖ノ島などで縄文時代の遺跡が見つかっていますので、海岸で見つかる土器片も遺跡が波に洗われて露出し、海岸に流れ着いたものと推測されます。小さいものは持ち帰っても問題なさそうですが、縄目がくっきりと見えるなど状態のよいものを見つけたときは、一度博物館に連絡してみてください。

軟骨魚類の卵

エイの卵

サメやエイの卵を見たことがありますか? 彼らの仲間は胎生や卵胎生など、メスの体内である程度育ててから出産するものが多いのですが、なかには卵生のものもいます。産み落とされた卵は海藻やサンゴなどにしっかりと巻きついていますが、これらが何かの拍子に岸に打ち上げられることがあります。どれも個性的な姿をしており、たとえばナヌカザメというサメの卵は西洋では「人魚の財布」と呼ばれているそうです。なかなか見つかるものではないそうですが、知っておいて損はなさそうです。

その他

海岸には自然界で分解されにくい人工物がたくさん流れ着いています。代表的なものは空き缶、空き瓶、ペットボトルなどですが、おもちゃの類も意外にたくさんみつけることができます。
集めて楽しいものは、ゴムの人形やキャラクターの消しゴムなど。これらをカテゴリー別に集めるとちょっとしたコレクションになりそうです。また、空気銃で使うBB弾も海岸でよく見かけます。こういった人工物は、鳥や魚が食べることで生体に悪影響を及ぼしますので、ビーチコーミングの最中に見つけたらコレクションしなくても拾っておいてください。
また、これらの人工物は、黒潮に乗って海外からはるばる流れ着くものも数多くあります。たとえばペットボトルなどは遠くから運ばれやすく、中国語で書かれたものが流れ着くこともあります。

どうしてこんなにいろいろなものが拾えるの?

館山の海岸線の総延長距離は34kmほど。ここでこんなにさまざまなものが見つかるのは、地理的な立地と歴史的背景の両方の要素が絡み合っています。
海岸線で見つかるものは大きく分けると2種類あり、ひとつは海流に乗って流れてきた漂着物。貝殻なんかも漂着物に入ります。もうひとつは化石や土器などの堆積物。これらはもともと近くの海の底に沈んでいたもので、それらが波の作用で打ち上げられたものです。
館山の海岸線には黒潮が直接ぶつかりますので、漂着物が流れ着きやすい環境にあるといえます。また、昔から沈降と隆起を繰り返している土地のため、化石の類も数多く眠っています。しかも縄文時代の遺跡もあるので、これらすべてを同時に集めることができるのです。

さあ、海岸を歩いてみましょう!

タカラガイ

このように館山の海岸ではじつに多くのものを見つけることができます。どんなものが拾えるのかがわかったところで、実際に海岸を歩いてみることにしました。海岸には地形によって細かい砂が集まるところと貝殻が多く集まるところがありますので、貝殻狙いなら最初からそういう場所に狙いをつけます。目を凝らして目当ての貝殻などを探すわけですが、慣れないうちはそう簡単に見つけることはできません。素人とベテランの技量の差は歴然で、安藤さんはほんの短時間の間に、タカラガイなどの貝殻から化石、縄文土器などを次から次へと見つけてくれました。

サザエの芯棒は箸置きに使えそう

驚かされたのはその知識の豊富なこと。我々が見つけた「ちょっと変わったもの」の正体を即座に答えてくれるのです。貝殻の種類から焼き物が作られた年代、シーグラスの由来など多岐に渡り、それを聞いているだけでも、ビーチコーミングの楽しさが何倍にも広がります。これらの知識は一朝一夕で身に付くものではないので、海岸に通うたびに少しずつ学び、増やしていくしかなさそうです。

アマオブネガイ

ビーチコーミングを楽しむには、特別な準備は何もいりません。ほんの1時間ほどの時間があればそれだけで充分です。ただ、よほど珍しいものを探すなら、台風などで海が荒れた直後が狙い目だそう。そうでなければ大潮など潮の干満の差が激しい日の干潮時がいいようです。
持ち物は特に必要ないですが、強いていえば拾ったものを入れるバケツや袋があると便利。あとは季節によっては日焼け、熱中症、防寒対策などは万全に。足元はサンダルやスニーカーでも充分ですが、コケのついた岩場は滑りやすいので注意が必要です。
本格的に「ビーチコーミングをやるぞ」と気合いを入れなくても、館山を訪れた際には海岸を足元に注意しながら歩いてみてください。意外なお宝を発見できるかもしれませんよ。

なぜ平砂浦を訪れる人が増えているの?

白砂青松の平砂浦海岸

館山市の南西側、洲埼灯台から布良にかけて5キロほどの砂浜の海岸線、
それが平砂浦(へいさうら)海岸です。
日本の道路100選の「房総フラワーライン」に沿った弓なりの自然海岸であり、
白い砂浜とクロマツの林から「日本の白砂青松 (はくしゃせいしょう)100選」にも選ばれています。
昔からサーファーや釣り人には馴染みの深いこの海岸ですが、最近ではウォーキングに訪れる人も増えており、少しずつですが知名度は上がってきているようです。
ところが最近ちょっと気になるのが枯れた松林。
いったい何が起こっているのでしょう?
今回は平砂浦について調べてみました。

(2012/05掲載:K)

平砂浦の歴史は砂との戦いの歴史

青々とした松林

真っ青な海、延々と続く砂浜、そして背後の松林。海岸線と並行に走る房総フラワーラインにはゴルフ場やペンションが立ち並び、南房総の観光拠点のひとつとして多くの人々が訪れています。今でこそ「日本の白砂青松 100選」にも選ばれるほど風光明媚な平砂浦ですが、じつはここにいたるまでには地元の人々のさまざまな苦労がありました。それは砂との戦いの歴史でもあったのです。
南房総地域は他の関東地方同様、これまでに幾度となく巨大地震に襲われています。そしてそのたびに大規模な海底の隆起が起こり、館山の海岸線は大きく様相が変わりました。特に大きな地震としては元禄16年(1703)の元禄地震、安政2年(1855)の大地震、大正12年(1923)の関東大震災などがあり、ここ平砂浦でも津波などによる大きな被害が出たと同時に、海底の隆起によって海岸には広大な砂原が出現しました。この砂原の砂は西から吹きつける冬の季節風によって内陸へと運ばれ、形成された移動砂丘は少しずつ耕作地を飲み込んでいったのです。
村の農家の人たちは、最初は小さな竹などで柵を作っては砂を防いでいましたが、押し寄せる砂にはまるで効果はなかったようです。やがて、川を利用して大雨の時に砂を流す「砂流し」が村人総出で行われるようになり、それでも間に合わなくなった明治初頭には河川を堰き止めて水路を掘ることが考案されました。ところが、この水路を作るには莫大な費用がかかることから計画はいったん中止の憂き目に。それから十数年の歳月をかけて明治半ばにようやく完成します。しかしこの水路も、放っておくとすぐに砂に埋没してしまう状況。そこで竹を編んだ籠を少しずつ沈めて「ずい道」を作り、それを利用して砂を流す方法が考案されました。この方法は成功をおさめ、少しずつ地域一帯に広まっていきました。
そして大正10年(1921)、県の指導によって5カ年計画による砂防林の造成が着手されることになります。この砂防林は一定の成果があり、村の名所にまでなったといいます。
ところが戦争勃発によって状況は一変します。館山は地理的には首都防衛の要だったこともあり、昭和15年(1940)から平砂浦海岸は海軍用地として使用されることになったのです。館山海軍砲術学校の演習場として太平洋諸島での上陸作戦の訓練が行われ、その際にこの砂防林はすべて刈り払われてしまいました。

平砂浦砂防林造成記念碑

戦後まもなく、地域の力による砂防林の造営が試みられましたが、少ない資金と技術力ではうまくいかず県に陳情。県はこれを受けて現地調査を行い、昭和24年(1949)から県の直営による工事を実施することが決定しました。工事の主眼は「移動性砂丘を固定する」ことに置かれ、最初は国有地を約30ヘクタール、次いで約50ヘクタールの用地を県が買収し着工されました。当時の海岸砂防造林事業の第一人者である河田杰博士の指導により、埋めわら、敷きわらを行ったうえで、クロマツとグミが植えられたのですが、難航する工事によって当初計画よりも期間も予算も大幅に増大したそうです。そして昭和33年(1958)、念願の砂防林はついに完成しました。現在見られる立派な砂防林の背景には、このような苦難の歴史があるのです。

(参考資料:『平砂浦砂防史』昭和33年千葉県農地農林部林務課発行)

サーフィンの名所としての平砂浦

サーファーと富士山

こうして完成した砂防林は美しい景観を作り上げましたが、風景の美しさだけが平砂浦の魅力ではありません。たとえばサーフスポットとしては古くから有名で、現在も多くのサーファーたちが訪れています。これまでは、単なるサーフスポットでしたが、2010年からはNSA(日本サーフィン連盟)公認のサーフィン大会も開催されるようになり、その知名度は確実に上がってきています。
サーフィン大会の仕掛け人はNPO法人 平砂浦コースタルビジョン。2010年、2011年とそれぞれ2つの大会を誘致し、今年もすでに1つの大会の開催が決定しています。平砂浦のサーフィン事情について理事長の粟田和幸さんにお話を聞いてみました。
サーフィンはもともと自然のなかで行われるスポーツなので、そのための施設というのは特に必要ありません。それでも全国のサーフスポットを訪ね歩いてみると、ポイントの近くに駐車場やトイレ、シャワーなどの施設が整っているところが多く見受けられるようになり、ひと昔前に比べると随分便利になったといいます。これはつまり、地域や行政がサーファーの訪問を歓迎するようになったことの表れでもあり、そういう意味からすると平砂浦にはもう少しこれらの施設があってもいいと感じているそうです。平砂浦コースタルビジョンではサーフィンを軸にした町おこしや青少年の育成などを考えており、NSAの大会誘致もその活動の一環となります。

サーフィン大会本部

現在のところ1つの大会の訪問者数は選手や観客を合わせても500人程度ですが、さらに多くの人が訪れてくれるよう、大会そのものを盛り上げる工夫をしていく予定だそうです。また将来的には、子供たちに海との付き合い方や安全性を教える「サーフアカデミー」の創設などを通じ、今以上に海を教育の場として活用できるような取り組みも検討しています。

釣りやウォーキングも

海岸の釣り人

サーフィンだけでなく、その遠浅の海岸は釣りのスポットとしても人気です。以前からシロギスなどの投げ釣りポイントとして知られていましたが、近年ではルアーフィッシングも盛んになり、冬のヒラメや夏のマゴチを筆頭に、スズキやショゴ(カンパチの子供)、ワカシ(ブリの子供)などを狙う釣り人が大勢訪れています。特に大潮の満潮時間帯と朝まづめが重なる週末には海岸線には多くの釣り人が並びます。

海岸沿いの遊歩道

また最近では、ウォーキングを楽しみに訪れる人も増えています。フラワーラインから海岸へは館山ファミリーパークや南房パラダイス、いこいの村などの各施設の前から海岸へ抜ける遊歩道が延びており、松林の先には広々とした砂浜が広がっています。海へと流れ込む川を迂回するために部分的にフラワーラインに架けられた橋を渡る必要がありますが、ほとんどの場所で海岸線や背後に設けられた土手の上を歩くことができます。冬から春にかけては旅行会社などが主催するウォーキングツアーも少しずつ増えてきており、今後ますます人気が出ることが予想されます。

海辺に咲くハマヒルガオ

浜辺には四季折々の海浜植物の花が咲き誇り、もちろん貝殻拾いなどのビーチコーミングも可能です。ちょっとした空き時間に散歩するだけでもいいですし、半日、1日コースを設定して歩いても楽しめます。自分のペースで平砂浦ウォーキングを楽しんでみてはいかがでしょうか。

枯れた松が目立つのは…

枯れた松林

このように平砂浦はさまざまな人たちに愛され、年間を通じて多くの人が訪れるようになりました。この松林は砂を防ぐ以外にも防風、防潮作用をもつ保安林であると同時に、人々に癒しを与える保安林でもあります。ところが最近、この砂防林に異変が起きています。何やら元気がないのです。フラワーラインから眺めるだけでも一目瞭然なのですが、一歩林に足を踏み入れてみるとその異変にすぐに気づくはずです。そう、松が枯れているのです。
これは、現在千葉県のみならず日本各地の松林で問題になっている「松くい虫」の被害によるもの。この松くい虫とはどのようなものなのでしょう。実は、松くい虫という虫は存在せず、松に直接作用しているのは「マツノザイセンチュウ」という長さ1ミリにも満たないセンチュウの仲間。このセンチュウが繁殖した木はわずか1年で枯れてしまうのです。詳しいことは分かっていないのですが、松が水を吸い上げる仮道管を詰まらせるのが原因ではないかと言われています。このセンチュウは自力で他の松へと移動することはできませんが、このセンチュウを健康な松に運んで被害を拡大させているのがマツノマダラカミキリという昆虫です。
ではそのメカニズムを簡単に解説してみましょう。

1 カミキリ飛翔
春から初夏にかけて、マツノマダラカミキリは成虫になり幼虫、蛹時代を過ごした木から脱出し健康な松へと移動。マツノザイセンチュウは飛び出す前のカミキリの体に乗り移る。
2  センチュウ侵入
5月~7月ごろ、成虫となったカミキリは健康な松へと飛び移り若い枝の樹皮を食べる。この際カミキリの体にいたセンチュウが松のかみ傷から木の内部へと侵入。
3 松枯れ
松に侵入したセンチュウは驚くほどのスピードで繁殖。松を急激に弱らせ枯らしてしまう。
4 カミキリ産卵
センチュウによって弱った松がカミキリの産卵の場。夏になると樹皮に産卵管を差し込み内部に産卵。
5 枯れた松で幼虫越冬
松の内部でふ化したカミキリの幼虫は夏の終わりから秋にかけて松を食べながら成長。そのまま越冬し木の中で蛹になる。
1 カミキリ飛翔に戻る
マツノザイセンチュウに侵された松

いかがです? この見事な共生関係。マツノザイセンチュウはマツノマダラカミキリによって他の松の木へと運んでもらうことができ、マツノマダラカミキリはマツノザイセンチュウが枯らしてくれるおかげで産卵できる松を簡単に見つけることができるのです。現在、センチュウが繁殖してしまった木を救う方法は見つかっておらず、対策としては予防と駆除ぐらいしかありません。今後この平砂浦はどうなっていくのか、林を直接管理している南部林業事務所にお邪魔して現状と対策について伺ってみました。
まず、平砂浦で松枯れ被害がここまで深刻化したのは昨年のことだそう。場所にもよりますが、30%~70%ほどの松がわずか1年で枯れてしまいました。被害量は前年度の約10倍となっており、状況は思った以上に深刻です。
今後の対策としてはまずは駆除が挙げられます。これはすでに着手されていますが、被害木を切り倒して細かく破砕することで、木の中にいるカミキリの幼虫や蛹を殺すというものです。そして初夏には予防策としての薬剤散布が計画されています。これは健康な松に薬剤を散布することで松に飛来したカミキリを殺すのが目的です。
その後の方針は、上で挙げた防除の効果を見たうえで検討することになりますが、現在行っている被害木討伐駆除を行った跡地の状況によっては植栽などの早急な対応が必要になってきそうです。

地域でできることを考える

遊歩道入口

このように、あっという間に拡大してしまった松くい虫の被害。まだ成り行きを見守る必要がありますが、この保安林を復旧するためには新たな植樹や植樹した苗木を育てるための下草刈り、つる切りなどのさまざまな作業が必要となることは想定しておかなければなりません。松林の再生には莫大な費用と人出がかかり、長い年月も必要です。既に松林の再生事業が始まっている他地区の保安林では、企業などが名乗りを上げ民間が協力しての再生が行われているという事例があります。
平砂浦についても同様で、松枯れ被害がどのような形であれ収束した次には、植樹やそれに伴う長期間にわたる作業のための費用や人出の負担をどうするかが問題になってきそうです。場合によっては行政だけでは到底賄いきれないので、我々市民が何かを負担することになるかもしれません。たとえば、苗木は行政で負担して植樹は市民の手で行うなど。いろいろな方法が考えられますが、平砂浦再生に市民の協力は不可欠となりそうです。
市民の参加・協力が必要となった場合には取りまとめ役がどうしても必要になりますが、たとえば上述のNPO平砂浦コースタルビジョンでは、地域の住民主導による再生の方法を模索しています。砂防林としての機能を維持しつつ、さらなる付加価値をもった林の創出。「保養」としての役割、つまり人々が楽しめる場所としての新しい平砂浦の創出です。もちろん林の維持管理には莫大なエネルギーが必要ですし、費用だってかかります。そこを行政とうまく調整できれば、これまで以上に身近な平砂浦が誕生することだって十分に考えられます。
平砂浦を襲った松枯れ被害は、館山にとって大きな損失であることは間違いありません。それでも、新しい平砂浦に向けての一歩踏み出すための大きなきっかけになるのかもしれません。

(取材協力:千葉県南部林業事務所)

NPO法人 平砂浦コースタルビジョン

サーフィン大会の誘致など、サーフィンを通じた地域おこしや環境保全を目的として2011年に設立。サーフィン大会の誘致のほか、定期的に平砂浦のビーチクリーン活動なども行っています。今年度はすでに第3回目となる「平砂浦コースタルフェスタ」の開催が決定しており、平砂浦の利活用をさまざまな角度から考えています。
住所 千葉県館山市大神宮116-5 SURFCO Ocean side内
電話 0470-28-2666

平砂浦コースタルフェスタ(NSA公認大会)

日時
場所 館山市平砂浦海岸
エントリー期間
問合せ先 NPO法人 平砂浦コースタルビジョン

NSA(日本サーフィン連盟)ホームページへ

なぜ館山にサンゴがあるの?

イボサンゴの仲間
イボサンゴの仲間

館山の海にサンゴが生息しているなんて言ったらビックリする方もいるかもしれませんね。
海水浴の場としては有名であっても、サンゴの存在を知っている方はあまり多くはないようです。
実は館山の海では南国の象徴ともなっているサンゴや熱帯魚が見られます。今回は、知る人ぞ知る館山の海の中へとご招待します。

(2012/7掲載:H)

サンゴについて

見た目も美しく、海の中に広がる世界に色彩を与え続けているサンゴですが、どんな生物なのか見聞きすることは意外に少ないようです。サンゴってどんな生き物なのでしょうか。

サンゴは植物ではなく実は動物

サンゴは動物
サンゴは動物

海中の鮮やかな花のように生息しているサンゴですが、写真などを通して見られるサンゴはいかにも植物のようですよね。しかし、サンゴの生物学的な分類は動物で、餌を捕食して生きています。
ただし、常に褐虫藻と呼ばれる植物プランクトンと共生しており、それらの光合成によって栄養分を得ているため、その意味では動物でもあり、植物のようでもあると言えるのかもしれませんね。

サンゴとサンゴ礁は異なる意味

サンゴ礁は地形の名前
サンゴ礁は地形の名前

サンゴと呼ぶ時とサンゴ礁と呼ぶ時では意味が変わってくるんです。サンゴ礁というのは、サンゴを中心とした海中の生物たちが作る地形のことを指す言葉なんですね。
サンゴの中でも造礁サンゴと呼ばれるサンゴは、海中からカルシウムを固定させ硬い石灰質の骨格を広げていきます。彼らによって作られた岩のような地形をサンゴ礁といいます。つまり、サンゴのすべてがサンゴ礁になるとは限らないということです。

海の中におけるサンゴの役割

海を豊かにするサンゴと共生藻
海を豊かにするサンゴと共生藻

サンゴが生育する熱帯の海が透明清澄であるのは、温帯や亜寒帯の海に比べて、栄養が少なく、プランクトンも少なく、いわゆる生産性が低い海であるからです。ところが、サンゴが発達している地域だけは、例外的に生産力の高い海域を形成します。
これはなぜかというと、サンゴ体内の共生藻が光合成によって海中の汚染をきれいにしていること、そしてその複雑な体の形から多様な生物が育つ環境を提供しているからです。またサンゴ礁ともなれば、波浪から海岸の侵食や崩壊を防ぐことにも役立っています。

このように、サンゴは美しさだけではなく、意外にも海にとっても貴重な役割を果たしていたのですね。そのため、現在公私を問わず多くの団体がその重要性に気づき、サンゴの保全運動に参画しています。

では、世界全体におけるサンゴの生息地帯はどのようなところなのでしょうか?環境省が発行しているサンゴの分布図をみてみましょう。

サンゴ礁分布図(環境省発行)
サンゴ礁分布図(環境省発行)

多くのサンゴが、赤道近くの東南アジア周辺に集まっていることがわかります。島嶼部において青々とした海の中に大小さまざまなサンゴ礁が群生している写真やイラストはこの地域のトレードマークともいえるのではないでしょうか。(他にも大西洋や東アフリカ沿岸でサンゴが確認されています)
そのまま緯度を北のほうに移動していきますと、小笠原諸島を北限としてマークが途絶えることがわかります。つまりサンゴ礁の北限は小笠原諸島ということになるんですね。

ただし、これはサンゴ礁の話。上に説明した通りサンゴとサンゴ礁は意味が異なります。館山のサンゴはサンゴ礁を作ってはおりませんのでここには表示されていませんが、サンゴの北限域として調査は定着しています。(『珊瑚』鈴木克美著 法政大学出版1999年p61)こうしたことも館山のサンゴがあまり知られていない理由なのかもしれません。

館山(沖ノ島)のサンゴ

それでは、館山ではどんなサンゴが見られるのか見ていきましょう。

スノーケリング体験(寒い時期なのでウェットスーツを着ていますが通常は水着です。)
スノーケリング体験(寒い時期なのでウェットスーツを着ていますが通常は水着です。)

 

今回体験させて頂いたのは、NPO法人たてやま海辺の鑑定団によるスノーケリングです。館山には数々のダイビングショップもあり、海へ潜る方法も数々のコースがありますが、浅い海でのスノーケリングは初心者にも比較的安心して取り組むことができます。

 

 

トゲイボサンゴの仲間
キクメイシの仲間
イボサンゴの仲間

 

 

 

 

これはほんの一部で、他にもサンゴの調査研究によって現在館山を含む南房総一帯には約30種類ものサンゴが生息していることが知られています。(西平守孝・Veron JEN(1995)『日本の造礁サンゴ類』 海游舎)

沖ノ島の海の中撮ってきました!クリックすると短い動画が再生されます。

歩いて行ける無人島として有名な沖ノ島(沖ノ島についてはコチラ)ですが、この場所の周辺では水深2mほどの浅瀬でサンゴを見ることができます。また、サンゴ以外にも温帯や亜熱帯にいる魚やその他多種多様な生き物たちが見られるんですね。
そのため小さなお子様でもサンゴを観察できることから自然学習の場として最適なスポットとなっています。ぜひ一度沖ノ島の海の中を体験してみてください。ご興味のある方は、以下NPO法人たてやま海辺の鑑定団まで。

沖ノ島・サンゴに出会えるスノーケリング体験プログラム概要

日時 7月中旬~8月下旬まで
対象 小学生以上…小学4年生未満は保護者同伴で参加
☆健康な方
定員 10名程度 最低催行人数5人
定員になり次第または、申込み開催日3日前まで
催行決定開催日3日前
参加費 1人3,000円(スノーケル、マスク、フィン、ジャケットレンタル料、ガイド料 等)
服装・持ち物 水着(長袖Tシャツ着用,スイムウェア尚可)
マリンシューズ・手袋(軍手など)
詳しくは NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団 電話・FAX0470-24-7088
E-Mail umikan@lapis.plala.orjp
URL http://www.umikan.jp/

なぜ館山にサンゴがあるの?

それではなぜ、こんなにも高緯度の館山でサンゴが見られるのでしょうか?

館山の海に詳しい御二方にその理由をお聞きしました。

珊瑚館 故三甁雅延さん(2012年6月頃取材)

三甁雅延さん(珊瑚館にて)
故三甁雅延さん(在りし日の珊瑚館にて)

「それは、とってもシンプルなことだと思います。館山の海には約6000年も前からサンゴが生息していたんですよ。数々の隆起によって今ではそれらが陸の上で見られるのですが、館山では『沼サンゴ層』として有名なスポットになっています。
もちろん今とは気候も変化していますが、化石にみられる多くのサンゴが、現在も館山周辺の海で確認されています。サンゴは同じ個体が分裂して数が増えるものもありますので、そんなサンゴの場合今見られるものは6000年前に生きていたものと同じものなんですよね。」

そうなんです。この沼サンゴ層、平成天皇が皇太子の頃何度も行幸されたほどに多くのサンゴの化石が見られる地帯として有名です。この付近はウォーキングコースともなっており、お散歩がてら「光藻」や「ビャクシンの木」など他にも多くの見所を巡りながらサンゴの化石を楽しむことができます。

「この化石群を見ると、昔はこの地域は亜熱帯~熱帯と同じくらいの水温があったことが推測されます。この後気温が下がった現在でもサンゴが見られる理由としては、やっぱり黒潮なんですね。サンゴの北限域といいますが、これは黒潮の北限域と同じなんです。」

水温が18℃から30℃くらいまでの暖かい海に生息すると言われるサンゴですので、もちろん緯度の高い地域では容易に見られることはありません。ここ館山でサンゴが見られるのは暖流の暖かい海水が南から北へ上がってくるからなんですね。
それでは、暖流沿いには至るところでサンゴが見られるのでしょうか?というと、上の図でみたようにそうでもないことがわかります。それでは黒潮流域の中で館山にサンゴがみられる理由は他にもあるのでしょうか。

NPO法人たてやま海辺の鑑定団理事長 竹内聖一さん

竹内聖一さん(たてやま海辺の鑑定団理事長)
竹内聖一さん(たてやま海辺の鑑定団理事長)

「暖流の黒潮は暖かいのですが、潮の流れが速いことで有名です。それに対してここ館山の海は周囲を陸に囲まれた入江となっていますので、鏡ヶ浦と呼ばれるほどに波静かな海です。強い流れで北上してくる黒潮ですが、館山湾周辺の海流やこの入江によって抑えられ一転、穏やかな海に変わります。
この点が、サンゴの産卵と関わっていると考えられます。産卵後サンゴの子どもは2~6週間海中に浮遊し、その後岩場に固着することで成長していきますので、この時点で海の流れが早ければ生育に不適切な海まで連れ去られてしまうこともあるでしょう。館山の海は穏やかですので、サンゴの赤ちゃんをゆっくり育てることができるのではないでしょうか。」


いかがでしたでしょうか?浜辺での海水浴はもとより、海の中まで見所満載の館山。この海中の世界を創り上げてくれていたのは、暖流の黒潮と彼らを包み込む館山湾の入り江にあったのですね。こうしたことから、サンゴのみならず海の生き物が多種多様であることにも繋がっているようで、館山の海の中を愛する人々が多いことも納得です。

海の神秘に魅せられて

館山の海岸沿いを歩くジャック・マイヨール氏
館山の海岸沿いを歩くジャック・マイヨール氏

その中での有名人といったら、なんといってもジャック・マイヨール氏でしょう。フリーダイビングの世界記録を次々と塗り変えた超人的な肉体を備え、波瀾に満ちた数奇な人生を辿る中、地球環境の保全やイルカとの共生を求める数々の格言を残した伝説的な人物。リュックベッソン監督による映画『グランブルー』などをみて知っている方も多いのではないでしょうか。
このジャックマイヨール氏、実は晩年の9年間を館山で過ごしていたんですね。「ジャックスプレイス」と呼ばれた古民家での思い出は、数々の遺品とともにさまざまな場所で紹介されておりますので、下記に催されている「館山を愛した ジャックマイヨール展」などにも足を運んでみてはいかがでしょうか。

成田均さん(ダイビングスクールsea crop代表)
成田均さん(ダイビングスクールsea crop代表)

さて、なんとこのジャック・マイヨール氏が館山に住む大きなきっかけになった人がいました。海の中が多種多様な生物で溢れる館山は、ダイビングの名所としても知られています。数々のダイビングショップやスクールがあり、海中神社やマンボウなど海の中のスポットもたくさんあるんですね。
そんなダイビングショップの一つ「シークロップ(sea crop)」を営む成田均さんという方、この方がジャックマイヨール氏と深い親交を育んでこられた張本人です。
ジャック・マイヨール氏の人生、また成田さんとの数々の感動的なエピソードについては、この場でご紹介するには余りありますのでまたの機会に譲らせて頂きます。ご興味ある方は、ジャックマイヨール氏の関連図書や『潜る人』を読んでみてください。

今回は最後に、この成田さんから伝説的なフリーダイバーをも魅了した館山の海についてお話を伺ってみました。

ズバリ館山の海の魅力って何でしょうか?

「南房総全体に言えることですけれども、ここは昔から陸の孤島だったんです。私も27年前に移住してきた者なんですが、温かくて澄んだ海にすっかり惚れ込んでしまいました。海というのはどうしても人が入りすぎると汚れますので、やたらと人の手が加えられていないところが魅力的ですよね。」

館山でのダイビングは他と比べてどうですか?

「館山の海はもとにある海と黒潮がぶつかる海流の影響か、各地でみられるさまざまな魚や生き物が一手に集まっているように思います。88年から91年まで魚種についての国勢調査がありまして、私たちシークロップチームは1日で203種見つけて全国で2位になったこともあるんですよ。」

深い海の中のサンゴはどうですか?

「スキューバダイビングで見られるサンゴは浅瀬のものとはまた違った種類がみられます。ただ、前に海外のサンゴ研究団体が来られた時に始め深海のサンゴは7種類と記述されていました。そこで私たちが調査を行うと24種類発見できたということもあります。なかなかすぐにはすべて見つけにくいと思いますので、是非館山のダイビングショップに遊びに来てください。海の神秘へ招待しますよ!」

館山は、鮨の街としても知られていますが、この理由もこの魚種の多さにあるのかもしれませんね。海の中の生き物たちが創り上げる陸とは全く異なった別世界、一度見てみたいものです。シーンと静まり返った海中から見上げる太陽の光、自然と一体化するような感覚、そんな知られざる館山の魅力に足を踏み入れてみませんか?

館山市のダイビング

館山市にはその海の見せる美しい素顔を生かして、海岸沿いにいくつものダイビングスクールやショップがあります。
ダイビングのライセンスが取得できる他、体験ダイビングや様々なワークショップを行なっておりますので、以下のページからご覧ください。

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海の写真家kumako

海の写真家kumako
海の写真家kumako

館山の美しい海の中を紹介しているkumakoという写真家の方がいます。海に潜ることができない方でも、館山の海の中がどんな様子なのか伺うことができますので、以下のWeb siteにアップされたお写真を是非ご覧ください。

umino kumako’s stream

館山を愛したジャック・マイヨール展  2012年7月開催の様子!

ジャック・マイヨール氏が生前日本における通訳を頼んでいた飯島マルティーヌさんによる、ジャックマイヨール展が「渚の駅」にて開催されました。ジャック・マイヨール氏の残した遺品や数々の言葉、そして写真集、貴重な資料の数々。

飯島マルティーヌさん 開催時の展覧会にて
ジャック・マイヨール展