毎年10月に行われている里見まつりは平成27年の10月で34回目を迎え、
館山の秋の風物詩としてすっかりおなじみになりました。
この「南総里見まつり」、かつては「城まつり」とよばれていたんです。
今回は里見まつりの歴史と、みどころについてのレポートです。
(2012/09掲載:K)
里見まつり、30年の歴史!
里見まつりの正式名称は「南総里見まつり」。戦国時代の安房の国を駆け抜けた武将、里見氏と、江戸時代の戯作者である曲亭馬琴が描いた伝記小説『南総里見八犬伝』の世界を再現した一大イベントです。地元では「城まつり」または「城まち」とよぶ人が多いので、よそから来た人は少々混乱するかもしれませんね。
このまつりの歴史は昭和57年にまで遡ります。記念すべき第1回が開催されたのは10月31日。そもそも、このまつりは城山公園の山頂にある市立博物館分館、通称「館山城」の完成を記念して開催されたのが始まりです。城山は、戦国時代に安房を治めた里見氏が居城を築き、170年にわたる安房支配の歴史の最後を飾った場所でもありました。館山城は『南総里見八犬伝』に関連する貴重な資料の数々を展示する博物館となりました。つまり、里見氏にも『里見八犬伝』にもゆかりの深い場所といえます。余談ですが、里見氏の居城とはいっても実際にはこのような天守閣はなかったようで、この建物は同時代の城である現福井県の丸岡城を模して建てられたといわれています。
そんなこともあり、この「館山城まつり」はスタートから里見氏に関わる催しが企画され、中央公園から城山公園下にかけて「里見水軍パレード」が繰り出しました。武者たちは石和町から参加した甲州武田軍団が務めたといいます。山頂では野点や協賛行事の民謡の集いなどが行われ、見物客は10万人に達したそうです。
翌年の第2回大会では山車、屋台、お船が加わり城山下に集合。また、その年のゴールデンウィークには第1回春の城まつりも開催され、平成元年までは春と秋の2回「城まつり」が開催されていました。
第9回目となった平成2年にはJR館山駅~城山公園にコースが変更。翌平成3年の第10回では房総里見氏の祖先である群馬里見氏の子孫と、房総里見氏を祖先とする土佐里見氏の子孫が参加しました。そして平成5年の第12回で「南総里見まつり」へと名称が変更。里見氏は安房地域全体に影響を及ぼした武人でもあったため、この名称変更によって「館山」という狭い地域のまつりから「安房」地域全体のまつりへと飛躍したのです。
まつりのみどころは3つ
ここで少し「祭り」と「まつり」の違いについて説明しておきます。まず、漢字で書く「祭り」ですが、これは神社などの神事の流れを汲むものです。豊作祈願だったり、雨乞いだったり、収穫祭だったりとさまざまな神事がありますが、必ず「神様にお願い、または感謝する」という意味合いが含まれています。これに対し、ひらがなの「まつり」には神事の意味合いはほとんどなく、「観光まつり」ともよばれます。その目的は、平たくいえば「多くの人を集客して地域の活性化を図る」ということに尽きるでしょう。
こうしてみると、「館山城まつり」も、今の「南総里見まつり」も、観光まつりであることに変わりありません。まつりの成否は「集客」という言葉に集約されるわけです。そうした背景もあり「南総里見まつり」も回を重ねるごとに工夫を凝らし、集客拡大を図ってきました。それはそれは試行錯誤の連続だったそうです。
「南総里見まつり」となった平成5年には30名の里見少年隊(手作り甲冑隊)が誕生し、第20回目の節目を迎えた平成13年にはパレードのコースを鶴谷八幡宮発と城山公園発の2手に分け、北条海岸で合戦が繰り広げられました。またこの年には山車・神輿の数が飛躍的に増え、総計22基が参加しています。「里見ウィーク」として実施されたこのまつりは5万人ほどを集めたそうです。
そして第30回目となった平成23年、まつりの内容に大きな変更がありました。もともとこのまつりは、さまざまな催しが並行して行われるため、昨年の里見まつりを例に簡単に説明しておきます。
まず、まつりの柱は大きく分けると3本あります。
ひとつめは武者行列。これは撮影用の甲冑に身を包んだ総勢100名ほどの武者が行列するというもの。なかにはプロの役者さんも混じっていて、合戦絵巻では迫力ある殺陣を披露してくれます。ここには、全国から募った八犬士や伏姫などの『南総里見八犬伝』の登場人物もいれば、史実の里見氏の歴代当主たちの姿もあります。森田健作千葉県知事も毎年参加してくださっており、里見義康を演じました。50名ほどの侍たちは海上自衛隊館山基地のみなさんたち。その後ろには手作り甲冑隊が続きました。
次に、山車、屋台、神輿のパレード。2011年は節目の年ということもあり総勢30基以上の山車・神輿が集結しました。それまでコースに入っていた城山公園は外され、館山駅西口と北条海岸、八幡海岸あたりの狭いエリアでのパレードとなりました。これによって、移動の不便を強いられていた観客の移動距離も少なくなり、よりじっくりとまつりを見ていただけるようになったそうです。
そして、昨年から始まり大好評だったのが「ご当地グルメ」です。震災復興の応援として被災地宮城県から「気仙沼ホルモン」などが集まり、また2日目には館山市やその周辺からのご当地グルメや物産が集合し、大変な賑わいとなりました。
こうした大きな変更が可能となった背景には、駅西口から北条海岸周辺の再開発が完了したことも無視できません。特に海岸沿いの道路にはイベントスペースに利用できる駐車場が整備され、広々とした歩道も完成しました。飲食店の屋台を駐車場に集めたことで、観客は間近でパレードを観覧できるようになったのです。
また、西口から海岸へと続く通称「夕映え通り」の完成も思わぬ効果を上げています。各町から出ている山車は、ともすればそのスピードで勇壮さを競うものですが、里見まつりでは安全上の配慮から走るのを禁止にしました。その代わりにセリ台から人形を出した状態でパレードを試みたところ、走ることに対する抑制になったばかりか、見る側引く側双方に好評だったのです。これは地上に電線がない街並みだからこそできることで、思わぬところで効果があったということです。
ずばり、今年のみどころは?
ざっと昨年を振り返ってみましたが、今年はどこに注目すればいいのでしょう? 当日、進行委員長を務める畠山さんにお話をうかがってみました。
まず山車・神輿ですが、これは昨年よりも10基ほど少なくなり全部で23基。館山の神輿7基、館山の山車・お船5基、北条の山車・お船・屋台6基、那古・船形の山車・屋台5基がそれぞれ1つのグループになってパレードします。今年はコース上に整列する時間を設けますので、山車や神輿に施された彫刻などをじっくり見ていただくこともできそうとのこと。
武者関係のパレードは、ブラスバンド→武者隊→手作り甲冑隊→来賓(招待者)→わんわん八犬士→メモリアルウォークの順で練り歩きます。伏姫や八犬士は全国に募集をかけ、沖縄、岐阜、長野あたりから駆けつけてくれる方もいらっしゃいます。森田知事も義康役で参加予定です。
昨年までと異なるのは、武者関係のパレードは、神輿、山車が整列した脇を歩くということ。昨年までは山車・神輿と武者隊がすれ違うことすらなかったので、これまで担ぎ手、曳き手だった人たちも今年は武者行列を見ることができそうです。
みどころはいくつかありますが、やはり今年も西口交差点付近がみごたえがありそうです。混み合う場所なので、早めに到着するといいでしょう。
昨年好評だったご当地グルメは、1日目は被災地からの屋台が北条海岸で、2日目に城山下に場所を移しましたが、駐車場のキャパシティの問題などがあったため、今年は2日間ともに北条海岸で開催されます。すでに60以上の団体の参加が決まっており、昨年以上の盛り上がりをみせそうです。
1日目を締めくくる花火は今年は1000発ほど打ち上げる予定です。時間にして15分ほど。昨年は花火の前に神輿隊は解散となっていましたが、今年は神輿の担ぎ手にもしっかりと花火を鑑賞していただき、花火が終わってから帰路につくことになっています。
今後の南総里見まつり
ご当地グルメが好評だったこともあり、まつりの来場者は「やわたんまち」に迫るところまで来ているそうです。今年も昨年以上にPRに力を入れていることもあってか、団体の観光バスが17台来る予定で、JRも臨時快速列車を運行させます。さらに、当日はいくつかの旅行会社が視察に来ることになっていますので、来年はさらに多くを集客することが見込まれます。
畠山さんにお話しを伺っている際、山車・神輿、武者隊のパレードの、分刻みのスケジュール表を見せていただくことができました。また、当日は進行委員長の畠山さんを中心に各地区から数人ずつが進行管理の任につくことになっており、このイベントの成否は彼らの手にかかっているということがよくわかりました。まさに縁の下の力持ち。まつりが終わるとすぐに反省会をし、来年度の準備にとりかかってきたといいます。6月くらいからは月に2回~4回も会合が開かれ、打ち合わせを繰り返してきたそうです。皆さん、このまつりの準備は本業の合間のボランティアであることを思うと、本当に頭が下がる思いでした。
最後に、畠山さんに今後の展望を聞いてみました。
「おかげさまで祭りの知名度は少しずつ上がってきており、多くの人に知ってもらえるようになりました。もう少し増えれば、海岸線に桟敷席を設けたり、パフォーマンスを採点して順位をつけることもできるかもしれません。目標は「佐原のまつり」です。あれぐらいみなさんに愛されるまつりにしていきたいですね」
「館山」のまつりから「南総」のまつりへと飛躍した里見まつり。もしかしたら千葉県を、さらには関東を代表するまつりへと発展する日も近いのかもしれません。