なぜ館山では毎週のように祭りがあるの?

夏から秋にかけて、館山では週末ごとにお祭りに遭遇します。
神輿を担ぐ男たちの熱気、山車で奏でられる軽やかなお囃子。
この日を1年間待ちわびた思いが、見ているこちら側にも伝わってくるようです。
なぜ館山にはこんなに祭りが多いのでしょう?
今回は館山の祭りについてのレポートです。

(2012/06掲載:K)

その数80! 館山の祭り

洲崎神社のお浜出

そもそも祭りとは「五穀豊穣」や「大漁追福」、あるいは「商売繁盛」を祈願するもので、神社などが主体となって地域総出で行われるものでした。戦後の高度成長期以前は農業や漁業など、共同体内部で多くの世帯が同じ生業を営んでいたこともあり、祭りは地域の通年行事として非常に重要な役割を果たしてきました。それが、時代の移り変わりとともに共同体の人々が多様な職業をもつようになり、祭り自体も祈願の場としての意味合いが少しずつ薄れ、変わって娯楽性が追及されるようになります。それが現在各地に残る祭りです。
これらの祭りは、地区ごとに開催日が固定されており、毎年同じ日に行われるのが一般的でした。年に一度のハレの日なわけですから、当然仕事はお休み。祭りにすべてのエネルギーを捧げるということがごく普通に行われていました。ところが生活スタイルの多様化が進むにつれて、共同体すべての人が祭りを生活の中心に据えることが難しくなり、毎年固定日に行うことが難しくなります。つまり年によって固定日は平日にあたることが多いわけですが、これを誰もが休みをとりやすい週末にずらして開催するようになったのです。これは都市部では顕著に見られます。
館山市においても、平日を避け、前後の週末にずらす地域もあります。また、若者が都心に出るなどして祭りの担い手が減ったことで、人手が必要な神輿を出せなくなった地区もあります。それでも各地区が工夫を凝らしながら、その伝統の祭りは守られてきました。
現在の館山市の人口は5万人足らず。市としては決して大きくはない規模ですが、市内はいくつもの地区に分かれており、70~80の地区が独自の祭りを運営しています。ちなみに現在館山市にある神社は、伊勢神宮を本宗と仰ぐ神社庁包括神社だけで88社。全国では約40000社、千葉県だけでも3154社もあります。安房でいうと南房総市141社、鴨川82社、鋸南町21社となっており、これらと比べると、神社の数が突出して多いわけではないようです。それでもこれだけ多くの祭りを維持できているのは地域全体が豊かだったことの表れともいえるでしょう。
館山を含む安房地域は、江戸時代にすでに人口10万人ほどもいたそうです。これは現在とほぼ同じ数字であり、他の地域と比べると人口密度も群を抜いて高かったようです。このことからもこの地域の豊かさを伺い知ることができます。

勇壮な神輿、華麗な山車。祭りの花形は4種類

祭りが神事である以上、その本来の目的は神への祈願ということになりますが、祭りの花形はやはり各地区自慢の山車や神輿ということになります。館山市の祭りでは山車、神輿のほか屋台、御船があり、地区によっては複数所有しているところもあります。まずはこれらがどのようなものなのか、順に紹介していきましょう。

神輿(みこし)

洲崎神社の神輿

神の輿ですからこれは神様の乗り物で、神殿に見立てた形をしています。下部に渡された担ぎ棒に肩を入れて担ぎ、左右に大きく揺らす「もみ」、高く差し上げる「差し」などのアクションがあります。担ぎ棒2本の2点棒と、その外側に「とんぼ」と呼ばれる棒を1本ずつ挿した4点棒の2タイプあり、2点棒の方が左右の振り幅が大きく、より迫力のある「もみ」を楽しめます。また、2点棒はせまい道幅に合わせた形ともいえます。2点棒の神輿を担ぐときは担ぎ棒の内側に担ぎ手が入ることが原則です。これによって細い道を通ることも可能で、さらに万が一神輿が横に倒れたときにも神輿の下敷きにならずにすむという気遣いからです。

山車(だし)

4基の山車(館山のまつり)

車輪が付いたもので、山車本体から延びた綱を引いて町を練り歩きます。いわゆる「人形せり出し型」という構造をしており、二重になったやぐらに刺繍を施した幕をめぐらし、中には人形が立っています。中央前方には囃子舞台があり、大太鼓(大胴)、小太鼓(しめ太鼓)が2つ、笛、鉦(かね)の組み合わせでお囃子を奏でます。館山市の祭りで奏でられるお囃子はだいたい共通しており、「しちょうめん」「ぴっとこ」「ばかばやし」「さんぎり」「かまくら」などがあります。

屋台(やたい)

志久の屋台(那古観音まつり)

山車と同じく車輪がついたもので、屋根があるのが山車と異なるところです。前半分に人形を飾り、あるいは踊り舞台を設置し、後ろ半分に囃子方が乗ります。これは踊りや囃子を演じる置き舞台を、いつの時代か可動式にしたのが始まりと言われています。

御船(おふね)

柏崎の曳船(館山のまつり)

車輪をもった飾り船。山車や屋台ほど多くなく、館山ではわずか5台を数えるのみとなっています。曳舟(ひきふね)ともよばれ、いずれもかつての漁師町に残ることから漁船をかたどったものだと思われがちですが、軍船やあるいは徳川時代に将軍家が舟遊びに使った「御座船(ござぶね)」をかたどったもののようです。お船ではお囃子が奏でられ「お船歌」をもつものもあります。また地区によっては青年や子供が踊りを披露しています。

このように外観上の大きな特徴だけで4種類ありますが、実際には地区それぞれの山車や神輿に個性があり、ひとつとして同じものはありません。大きさ、高さもまちまちですし、山車では大太鼓の大きさもさまざまです。これらひとつひとつの特徴に目を配ることで祭り鑑賞はさらに楽しくなるはずです。また、これらに彫り込まれた彫刻は明治から昭和にかけて活躍した「房州後藤流」と呼ばれる彫物師たちの手によるものが多く、彫刻だけでも十分に見ごたえがあります。道すがら、あるいは休憩所で休んでいる際などに、じっくりと眺めてみてください。後藤流彫刻については別の機会に紹介させていただくことにします。

こんなに多彩!館山の祭り

数多くある館山の祭りですが、7月から8月にかけて開催されるもののなかから、規模の大きなものや特徴的なものをいくつか紹介させていただきます。

那古祭礼(那古観音まつり)
7月21日(土)~22日(日)

那古祭礼

山車5台、屋台1台の計6台が引き廻され、「お寺」の山車祭りとしてはかなり珍しい祭です。かつては那古寺の寺下の各町が独自に行っていましたが、明治30年(1897)には東藤組、大芝組、柴崎組、浜組の4地区で年番を定め、那古観音の縁日である7月18日に行われるようになりました。これに寺赤組、宿組がのちに参加し、現在の構成になっています。6つの山車・屋台の連合引き廻しや大太鼓の技を競い合うお囃子が見どころで、本祭の夜に那古寺境内で行われる年番渡しの「締めことば」も有名です。現在は7月18日のすぐ後の週末に行われるようになり、今年は7月21日からの2日間が祭礼日となります。

館山のまつり(館山地区合同祭礼)
8月1日(水)~2日(木)

館山のまつり

かつては各区の神社で個別に行われていた祭礼が、大正7年より13地区11社合同で行われるようになりました。その際に祭礼日は8月1日と2日と定まりました。大正12年の関東大震災で新井、下町の祀る諏訪神社、仲町、上町の祀る諏訪神社、楠見の厳島神社、上須賀の八坂神社が倒壊したことでこの4社を合祀することになり昭和5年に館山神社が創建されます。以降このまつりは13地区8社の合同祭礼として今日まで続いています。神輿7基、曳舟2基、山車4基が各地区から出祭。1日夕方には館山神社に各地区の神輿が連合宮入します。2日の午前中には山車・曳舟が館山神社に勢揃いした後、町内曳き廻ししに出発します。

安房神社例大祭
8月9日(木)~10日(金)

安房神社例大祭

安房国一宮である安房神社の歴史ある神事。1年間の祭典のなかで最も盛大に執り行われます。8月9日には子供神輿が、翌10日には安房神社神輿が出御し、2日間にわたって境内は大いに賑わいます。かつてはこの例祭時に近郷の洲宮、下立松原(滝口)、布良崎(布良)、日吉(神余)、相浜、犬石、八坂(中里)、熊野(佐野)、浅間(白浜)の9社からの神輿が入祭していましたが、しばらくはこの伝統も途絶えていました。今年は10日に洲宮、布良崎、日吉、犬石、八坂からの神輿と八幡神社(竜岡)からの屋台が入祭、また相浜からは囃子の奉納が行われることが決まっています。

洲崎神社祭礼
8月20日(月)~22日(水)

洲崎神社祭礼

館山の南西端、御手洗山の中腹に鎮座する洲崎神社。ホンマチは21日で、148段もの石段の上にある社殿から神輿を降ろします。神輿は万が一に備えてロープで結んではいますが、斜度でいうと30度もある石段を、「もみ」「さし」しながら降ろす姿はじつに壮観。こうして山を降りた3基の神輿は浜に運ばれ、お浜出神事が厳粛に執り行われます。またこの当日、境内において県の無形文化財に指定されている「みのこ踊り」も奉納されます。


いかがでしょうか? それぞれに見どころがあり、いずれも迫力満点の祭りばかりです。機会があれば、ぜひ生の迫力をご覧ください。

祭りが危ない! 存続の危機を乗り越えて

今回は特徴的な祭りの紹介にとどめさせていただきますが、実際にはもっともっとたくさんのお祭りがあります。また、9月に入ると「やわたんまち」として親しまれる鶴谷八幡宮例祭・安房国司祭が、さらに10月には「南総里見まつり」が開催されますが、これらは別の機会にじっくりと紹介させていただきます。

那古観音まつり

さて、このように壮麗な祭りではありますが、現場ではかなり深刻な人手不足が起きています。特に多くの担ぎ手が必要となる神輿でその問題は顕著に表れているようです。
通常、神社の例祭においては神輿が練り歩くのは1日だけですが、前日の準備、翌日の片づけも含めると最低3日間は作業が必要になります。勤めに出ている人にとっては3日間も仕事を休むというのはなかなか大変なので、フルに祭りに参加できる人の数は自ずと限られてしまいます。地区によっては、既にぎりぎりの人数で祭りを存続させているケースも見られます。
そんな経緯もあって、固定日開催をあきらめ週末にずらそうとする動きが出てくるのですが、そうすると今度は別の問題が浮上してきます。つまり、これまでは開催日の異なる地区の青年団の間での相互応援が頻繁に行われていましたが、週末にずらす動きが加速すると多くの祭りが同日に開催されることになってしまうのです。同日開催のメリットもあるのですが、他地区の応援がないと神輿を出せないという地域もあるようで、祭礼の日をずらすだけで解決できる問題でもなく、人手不足の解消は一筋縄ではいかないようです。
また、担ぎ手を地域外の人に求めることもできそうですが、上述のように前日の準備から翌日の片づけまでとなると、なかなか参加者が集まりにくいことに加え、祭りの目的が地区の鎮守の神様に捧げるものという性格上、外部の人間は入り込みにくいという側面もあります。
いずれにしても、祭りを守り続けるためには、その地域のまとまりと存続させようとする強い意志が必要といえます。館山が誇るこの祭り文化。いつまでも残していきたいものです。

祭りで元気に! 南総祭礼研究会

おらがんまっち

これら館山に残る祭礼文化の歴史と伝統をあらためて調査し、後世に伝え残そうとしている皆さんがいらっしゃいます。南総祭礼研究会といい「おらがんまっち」というパンフレット作成をはじめ、さまざまな活動を行っています。発足は平成21年11月11日。東京から移住した根っからのお祭り好きの高橋猛さんと、いろんな祭りで顔を合わせていた地元の祭り好きが意気投合したのがきっかけだそうです。これまでに完成した「おらがんまっち」は全10地区。これからも地道に増やしていく予定です。また、今年の10月5日から14日まで、千葉県南総文化ホール・ギャラリーにおいて「伝えよう 安房祭百景」という企画展を開催予定。研究会の活動を紹介するとともに祭りに関わるさまざまな展示や、小学生・園児による「お祭り絵コンクール」などを計画中です。「祭り好きな人たちの心をくすぐる展示にしたい」という高橋会長。「祭りの力で館山を元気に!」を合言葉に、これからも祭礼に秘められた魅力をどんどん発信していく予定とのこと。こちらもお楽しみに。

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