なぜ伊豆大島は近くて遠いの?

館山から西南西に40キロ。
沖合に浮かぶ大きな島、それが伊豆大島です。
洲崎から布良にかけての海岸線からくっきりと見えるこの島ですが、
どういう訳か館山とはあまり交流が盛んではないようです。
なぜでしょうか?
毎年花の季節にだけ運航される館山からのジェット船。
今回はこの近くて遠い島、伊豆大島のことをおもいきり紹介しちゃいましょう!

(2012/02掲載:K)

「三原山」と「椿」、伊豆大島を知っていますか?

まず、伊豆大島について少々お勉強を。ただ「大島」と呼ばれることも多いこの島ですが、日本各地に点在するたくさんの「大島」と区別するため、正式名称は「伊豆大島」となっています。現在も活動中の活火山、三原山を島の中央にいだき、くさやの干物やツバキ、アシタバなどの特産品が有名です。縄文時代から人が住んでいたという痕跡が残っており、古くは『日本書紀』にも登場。歴史ある島であることは間違いありません。
鎌倉時代以降は流刑地としての歴史が続きます。いわゆる島流しですね。戦に敗れた源為朝や赤穂浪士の遺族たちなど、歴史上の偉人やその家族たちも数多くこの地に流されています。この流刑地としての歴史は、江戸時代後期まで続きました。

近代になってからは、文化面でもたびたび脚光を浴びることになります。たとえば波浮港(はぶみなと)は野口雨情作詞・中山晋平作曲の『波浮の港』で一躍有名になったほか、川端康成の名作『伊豆の踊子』に登場する旅芸人一座のモデルが、当時この港にあった「港屋旅館」に滞在していたことでも知られています。この旧港屋旅館は資料館として残されており、旅芸人一座の滞在当時の様子を再現した人形や、そのほかの関連資料が展示されています。

コラム「2分でわかる『伊豆の踊子』」

また、かの名曲『アンコ椿は恋の花』の舞台もこの伊豆大島です。ちなみに「あんこ」とは目上の女性に対する敬称のこと。お姉さんを意味する「姉っこ」がなまったものだとされています。椿は島の特産品で、春の椿祭りが有名なだけでなく、椿油の産地としても知られています。
ところで、伊豆大島はどの都道府県に属するかご存知でしょうか? 伊豆七島というくらいですから伊豆=静岡とお思いの方も多いでしょうが、正解は東京都です。江戸時代には伊豆国に属しており、明治の廃藩置県の際には韮山県の管轄に。その後の府県統合で明治4年に足柄県、同9年には静岡県の管轄になります。それが明治11年には東京府に移管されました。その理由としては、お金のかかる離島の統治は静岡県には荷が重く、財政的に余裕があった東京都が引き受けることになったという話もあります。現在では八丈島や御蔵島を含む伊豆諸島のほか、小笠原諸島までもが東京都になっています。

そんなこともあり、伊豆大島を走る自動車は品川ナンバー。島ののどかな風景のなかに都会を象徴するかのような品川ナンバーがずらっと並びます。ちょっとおかしな感じがしますね。

コラム「椿とくさや 島を支える名産品たち」

おこりんぼうの神様、島の歴史は噴火の歴史


伊豆大島の歴史を語る際に避けては通れないのが火山です。三原山は現在も活動を続ける活火山であり、歴史的に見ても大きな噴火を何度も経験しています。噴火の際に吹き上がる火柱は「御神火様」として信仰の対象となっているほど。そもそも島の中央にある三原山自体が1777年の安永噴火で誕生した山で、全島避難となった昭和61年(1986)の大噴火は記憶に新しい人も多いでしょう。この時には館山からも赤い溶岩がよく見え、風向きによっては火山灰が飛んでくることもあったそうです。

これまでほぼ35年以内おきに大きな噴火が起こっていますが、今のところ火山活動は落ち着いており、三原山噴火口は絶景のトレッキングコースとして親しまれています。また、島には世界でも珍しい火山博物館があり、島の火山活動の歴史や噴火のメカニズムなどをわかりやすく紹介しています。
車を走らせていると、山も海岸線も安房地域の景観とは全く異なることに気づきます。この景観を見るだけでも、島を訪れる価値はありそうです。

コラム「火山活動は毎日チェック!」

館山と伊豆大島、交流の歴史を探ってみる

さてこの伊豆大島、安房地域との関わりはどれほどあるのでしょう? 後で詳しく紹介しますが、館山と伊豆大島の定期航路の運航が始まったのは平成18年2月。それまでは公共交通機関では直接行き来できなかったことになります。ただし、漁師など海を自由に行き来できる人たちの往来は少なからずあったはずです。そこで、館山と伊豆大島、思いつくままに比較してみました。

方言は?
伊豆大島の方言は北部伊豆諸島の方言とされるもので、どちらかというと伊豆方言に近いものだそう。安房方言とは似ても似つきません。料理は?
伊豆大島には同じ伊豆諸島の八丈島発祥とされる「島寿司」に似た「べっこう寿司」というものがあります。これはメダイなどの白身魚のヅケを握ったもので、辛みは青とうがらし。江戸前の流れをくむ館山の房州鮨とはまるで違うものです。干物についても大島の「くさや」は何年も使い続けている「くさや液」に漬け込みますが、これは安房地域には見られない製法です。どうやら食文化の交流はあまりなかったようです。祭りは?
館山では地区ごとの神社が神輿や山車をもち、夏は祭り一色になりますが、伊豆大島ではこのような習慣は見られません。毎年春の椿まつりでは「江戸みこし」という催しがありますが、これらの神輿は東京から運んできたもの。担ぎ手も島以外の人が多く、どちらかというと観光神輿といってもいいでしょう。また、安房地域で見られる「かっこ舞」のような雨乞いの祭りも見られません。

いかがです? 残念ながら類似性はあまり見つけることができませんでした。これだけ類似点がないということは、少なくとも双方の文化が成立する過程においては密な交流はなかったのでしょう。また、婚姻などについても、安房から大島へ、あるいは大島から安房に嫁いだという話はほとんど例がないようです。
理由のひとつは、間に横たわる海峡が海の難所だったということも考えられます。とはいえ、江戸時代後半になると伊豆大島から江戸に向けて魚を運ぶ押送船が走っていたので、漁師さんたちにとっては安房と大島の往来はお手のものだったはずです。漁師さんレベルでの交流はあったものの、文化の伝播にまでは至らなかったということでしょうか。今も昔も海で隔てられているというのは、我々が思う以上に往来が大変だということでしょう。

コラム「安房と大島 曲亭馬琴の2つの名作」

季節限定の直行便! 船が文化のかけ橋に?

さて、この近くて遠い伊豆大島ですが、毎年春の時期だけ館山からジェット船でアクセスできるようになります。正確にいうと、東京と伊豆大島を結ぶ船が館山に立ち寄り、さらには伊豆半島の下田へ向かいます。館山から伊豆大島まではわずか55分。日帰りも十分に可能な距離ですね。
館山~伊豆大島~下田を結ぶこのラインは別名「海のフラワーライン」。いずれの町も「ひと足早い春」が自慢の温暖な気候で、館山のポピーや菜の花、伊豆大島の椿、下田周辺の河津桜と、趣の異なる春の花めぐりを楽しめるというわけです。

東海汽船の航路図
 都心からなら館山と伊豆大島を組み合わせた1泊2日プランも十分可能ですし、2泊3日で下田も組み入れることも可能です。館山からでも、ちょっと忙しくなりますが、1泊2日で伊豆大島と下田を巡るスケジュールだって組めそうです。春に限っていえば「近い島」と言ってもよさそうですね。
この季節にはジェット船の運航会社である東海汽船をはじめ、旅行会社各社が海のフラワーワインを使ったツアーを企画しています。高速船の運航は4月1日までですので、興味のある方はお早目に旅行プランを練っちゃいましょう。ひょっとしたら、伊豆大島と館山の文化の意外な共通点なんかも見つけることができるかもしれませんね。

コラム「ジェット船はこうやって走ります!」

東海汽船のホームページへ

伊豆大島のみどころはこちら!

最後になりましたが伊豆大島のみどころを紹介しておきます。どうです、館山に劣らず魅力的な島だと思いませんか?

三原山

島の中央に位置する標高758mの活火山。平成10年(1998)5月に噴火口を一周する「おはち巡りコース」が開通し、ここから見る深さ200mの噴火口は圧巻です。三原山頂口から噴火口までは、徒歩45分~60分ほど。お鉢めぐりは45分ほどかかります。


都立大島公園

東京ドーム1.5倍の園内に8700本ものツバキが咲き誇る国内最大規模の椿の公園。海側の海岸遊歩道からは房総半島も一望。65種の動物を飼育する動物園では伊豆諸島に生息するキョンなどを見ることができます。椿のさまざまな用途を斬新な展示で紹介する椿資料館も併設。


波浮港(はぶみなと)

かつては遠洋漁業の中継地として栄え、旅館前の町並みは情緒たっぷり。
見晴台からは港の風景を一望でき、『伊豆の踊子』の主人公たちのモデルとなった旅芸人一座が
実際に滞在していた港屋旅館は、資料館として公開されています。


郷土資料館

大島の自然や文化を300点ほどの貴重な資料で紹介。海との関わり、火山活動、土器・石器、民家と民具など幅広く、付近には当時の暮らしを再現した古民家もあります。


ふるさと体験館

椿油搾り体験、草木染め体験、あした葉摘み取り体験など、大島の自然や文化の体験施設。一番人気は椿油の搾油。種をつぶす、蒸す、絞るの各工程を順に体験できます。田舎ならではのゆとりある休日を楽しめます。


火山博物館

世界でも数少ない火山専門の博物館。三原山はもちろん、
日本や世界の他の火山についてさまざまな展示で解説。大島の自然風土を映像で紹介するコーナーもあります。


椿花ガーデン・リス村

広大な敷地に椿の花が咲き乱れる椿園。リスやウサギの餌やり体験では、
体にまとわりつく愛らしいリスたちと戯れることができます。芝生広場からは伊豆方面の眺望が抜群。


筆島

海上から30mほど突き出した筆のような形の岩山。200万年ほど前の火山活動で、溶岩が冷えて固まったものだとされています。周辺はサーフスポットとしても人気。


地層切断面

高さ30m、幅600mもあるむき出しの地層面。度重なる噴火による堆積物が造り上げた自然の造形美で、地元では「バウムクーヘン」とも呼ばれています。そのダイナミックな景観は世界中の火山研究家たちにも広く知られています。


コラム「椿とくさや 島を支える名産品たち」

伊豆大島の名産品としては筆頭にあげられるのは「椿油」でしょうか。椿の実の中の黒い種を搾ったもので、食用に使われるほか、歴史的には平安時代から黒髪の手入れに使われていたという記録があります。また、最近では優れた保湿力から化粧品としても注目を浴びています。体にやさしい天然油で、皮膚にしっとりと馴染みます。
 食べもので有名なのは「くさやの干物」です。これはくさや液」に漬け込んだ生魚を干したもので、独特のにおいが特徴です。「くさや液」は各店秘伝のもので、店によっては数百年前から続く液に塩を足しながら伝統の味を守り続けています。魚はムロアジやトビウオなどが使われています。
また、手軽なおみやげには牛乳せんべいはいかがでしょう。伊豆大島はかっては良質なバターの生産地として知られるほど牛乳の生産が盛んでした。消費しきれない牛乳の有効利用として始まったという牛乳せんべい。素朴な味わいが人気です。
いずれも島内の土産店で買うことができます。ぜひ郷土の物産をお試しください。※2012年7月追記
読者より、「牛乳せんべいは大正の中頃、昭和天皇が御来島なさるのに献上するために発案されたもの」との情報をお寄せいただきました。

コラム「2分でわかる『伊豆の踊子』」

 ノーベル文学賞作家、川端康成の自伝的小説。これまでに何度もテレビドラマや映画の題材としても取り上げられているので、ご存じの方も多いと思います。
孤独感を抱える第一高等学校の学生(私)は伊豆への一人旅に出かけ、天城越えの途中、峠の茶屋で出会った旅芸人の一行と出会います。学生は道中何度も顔を合わせることになった旅芸人たちと次第に言葉を交わすようになり、彼らとの交流のなかで14歳の薫という踊子に次第に心魅かれていきます。結局「私」のお金の都合により、下田で別れ別れになってしまいますが、あどけない少女へと寄せる淡い恋心が、せつなく伝わってきます。
物語の中には伊豆の名所が次々に登場し、それらの舞台は観光名所にもなっています。学生にもう少しお金があれば旅芸人たちと一緒に伊豆大島に来ることになっており、そうすると伊豆大島にも「名作の舞台」がいくつか増えていたに違いありません。

コラム「火山活動は毎日チェック!」

 これまでに何度も大きな噴火を経験している大島では、火山活動の動向は日常生活に想像以上に深く関わっています。
まず、天気予報ならぬ噴火予報。これは噴火災害軽減のために気象庁が発表しているもので、平成19年(2007)から始まりました。また、三原山を含む活火山の活動状況は噴火警戒レベルで表示され、1(平常)~5(避難)まで5段階表示。現在の三原山は警戒レベル1。「火山活動は静穏」ですので、火口近くへの登山なども許されています。
当然といえば当然なのですが、島民の噴火への意識は相当高く、1986年の噴火の際には、避難勧告が出る以前にかなりの世帯が避難所へと向かったそうです。

コラム「安房と大島 曲亭馬琴の2つの名作」

 江戸時代の戯作者、曲亭馬琴の傑作として知られる『南総里見八犬伝』は、館山では知らない人はいないほどの人気の作品です。じつはこの曲亭馬琴、伊豆大島を舞台にした作品も残しているのです。タイトルは『椿説弓張月(ちんせつ ゆみはりづき)』。『南総里見八犬伝』の少し前に発行されており、これも馬琴の代表作のひとつに数えられています。
題材となったのは、大島に流された源為朝(みなもとのためとも)の物語。大島に流されたあと琉球に渡り、初代琉球王舜天(しゅんてん)になるまでの話が、壮大なスケールで描かれています。馬琴の出世作ともなったこの作品。当時は『南総里見八犬伝』よりも人気があったとも伝えられています。大島と安房の国、意外なところで共通点を見つけることができました。

コラム「ジェット船はこうやって走ります!」

館山と伊豆大島をわずか55分で結ぶジェット船。ほかの船とどう違うんでしょうか?
ジェット船は「水中翼船」と呼ばれるもので、文字通り水中に翼をもつ船です。推進力はスクリューではなくジェットエンジン。後方に海水を吹き出すことで高速での移動を可能にしています。
図のように停泊時と低速度時は通常の船と同じく海に浮かんだ状態。水中翼は前方の海上に出ています。速度を上げるにつれて水中翼は海中に沈み、やがて離水。船体は完全に海面から離れ、快適な翼走状態に入ります。こうなると非常に安定していて揺れはほとんど感じないほどです。これなら船酔いに弱い方も安心ですね。ただし、低速度時はほかの船と同じように揺れます。船に弱い方は最後に乗船し最初に下船するなど、できるだけ船の中にいる時間を少なくするといいでしょう。
ジェット船には飛行機と同じような座席が付いていて全席指定席です。もし窓側の席に座ることができたら、出航後船が水を切るときにできる白い泡に注目してみてください。最初は船の前の方で水を切っていますが、徐々に後ろに下がり、やがて見えなくなります。それが離水の瞬間です。ふわっと浮き上がる感覚こそありませんが、なかなか珍しい体験といえるでしょう。

(資料提供:(株)東海汽船)