11番 金銅寺(こんどうじ)

奇雲山金銅寺 【真言宗】 聖観世音菩薩
ご詠歌「はるばると のぼりて見ればこんどう寺 はぎのはしらは五六千本」
本尊:聖観世音菩薩 由緒によれば、和銅2(709)年に現在地より北方の小萩坂に行基が観音菩薩像を刻んで創建したという。その後荒廃し草原となってしまったが、弘安3(1280)年に僧玄助(げんじょ)が立ち昇った白雲を見て草むらを掻(か)き分けたところ金銅の聖観音像が現れ、ご詠歌にあるように萩(はぎ)を束ねて柱とし茅(かや)で屋根を葺き観音像を安置したとされている。文安5(1448)年に村人たちが力を合わせて堂宇を建立し崇拝して以来、地元民の力に支えられ現在に至っている。境内には町指定文化財で、寛政元(1789)年に大山(鴨川市)の鋳物師(いもじ)藤原忠直作の梵鐘(ぼんしょう)(願主は湯殿山講中)がある。戦時中供出されたが山梨県の長生寺にあることが判り、昭和58年に戻された。他に文政12(1829)年建立の出羽三山碑や光明真言供養塔などがある。

住所 安房郡鋸南町上佐久間1977
備考 <お問い合わせ>
〒294-0045 館山市北条1879-2
館山市観光協会 TEL:0470-22-2000

12番 福満寺(ふくまんじ)


富山諏訪坊福満寺 【真言宗】 福満寺観世音菩薩
ご詠歌「おもくとも かるくのぼれや富山へ 四方じょうどを見るもごくらく」
本尊:十一面観世音菩薩 天平3(731)年行基により開創された。はじめは1合目の大房(おおぼう)というところにあり、地蔵堂・子安社・蔵王権現等が祀られていた。その後焼失・再建を繰り返し、元治(がんじ)元(1864)年現在地に本堂が再建された。かつて観音堂は富山(とみさん)山頂にあって享保14(1729)年に再建され、寛政元(1789)年には仁王門と仁王像(宮谷(みやのやつ)村大仏師渡辺馬之助の作)も建立されたが、昭和30(1955)年の失火により全焼し聖観音像は焼失してしまった。現在は福満寺本尊十一面観音菩薩が観音巡礼にご開帳され、山頂には仮堂が建てられて石造の十一面観音像がお祀りされている。また、山頂にあった仁王像は平成10年に福満寺の山門に移された。富山は標高349.5m。曲亭馬琴著の南総里見八犬伝の舞台で有名だ。参道入口には大正元年の登山道標があり、「ふもとに伏姫籠穴(ろうけつ)あり」と八犬伝が宣伝されている。

住所 南房総市合戸569
TEL 0470-57-2846
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〒294-0045 館山市北条1879-2
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13番 長谷寺(ちょうこくじ)

鳥数山長谷寺 【真言宗】 十一面観世音菩薩
ご詠歌「わけゆきて きたりて見ればにしのやつ(西ノ谷) 長こく寺とはめいしょ(名所)なるもの」、以前は「とりすやま おく(奥)わけゆけばにしのやつ ちょうこくじとはめいしょなるもの」
由緒は不詳だが安房国三十四観音霊場の第十三番札所として知られ、口伝(くでん)によると僧行基(ぎょうき)の開基と伝えられている。当初は近くの観音山の山頂にあったが、弘化3(1846)年頃現在地へ移転されたという。現在のお堂は昭和63(1988)年に改築されたもので、中には享保15(1730)年の御詠歌額も残されている。境内には文政5(1822)年建立の光明真言塔や、寛政3(1791)年の「十三番札所道」と表示した石造の道しるべなどがある。

住所 南房総市下滝田486-1(旧三芳村)
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14番 神照寺(しんしょうじ)


朝日山神照寺 【曹洞宗(元真言宗)】 十一面観世音菩薩
ご詠歌「朝日さす 夕日かがやく神照寺 たのみをかくる伊予のゆうだち」
ご詠歌にある伊予ヶ岳は夕日がいつまでも照り映える雨乞いの山としても知られている。神照寺は伊予ヶ岳の麓にある。創建された時期は不明だが、文和(ぶんな)2(1353)年に平久里郷鎮守の天神社が細川相模守によって京都天満宮から勧請(かんじょう)されたとき、その本地仏(ほんじぶつ)である十一面観音菩薩像が安置され、隣接の神照寺が別当寺になったという。修験の寺であったため明治5(1872)年に廃寺となり、同14年に観音堂と十一面観音像は泉龍寺(平久里中)の管理となった。観音堂内の御詠歌額は享保15(1730)年奉納、境内右手には天保14(1843)年建立の「南無遍照金剛」の弘法大師供養塔がある。神社参道には市の天然記念物である夫婦クスノキと呼ばれる巨樹がある。手前は「女木」で樹高15m、神社寄りが「男木」で樹高25m、千年前に地元住民が植えたと伝えられている。

住所 南房総市平久里中205 (旧富山町)
TEL 0470-58-0444(泉龍寺)
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15番 高照寺(こうしょうじ)


大嶺山高照寺 【曹洞宗】 十一面観世音菩薩
ご詠歌「大杉へ きいてたずねてきて見れば ほとけのちかいあらたなるもの」
十一面観音菩薩像は元来大椙山椙福寺(しょうふくじ)の本尊で、椙福寺の衰退に伴い一時平久里中(へぐりなか)・上の台にあった常光院へ移され、さらに大正3(1914)年、高照寺へ移されて現在まで安置されている。椙福寺の仏具として永享(えいきょう)3(1431)年の銘がある鰐口(わにぐち)も当寺に残されている。高照寺の入口には、嘉永6(1853)年に建立された高さ2m程の「国札所十五番大杉山」の石の標柱がある。別当(べっとう)浄光院(常光院)が建立したと書いてあり、この時期に札所が常光院に移っていたことがわかる。高照寺は長享(ちょうきょう)3(1489)年頃創立され、本尊は地蔵菩薩。牛の安産寺といわれる。境内には蓬莱(ほうらい)稲荷が祀られている。

住所 南房総市山田1162 (旧:富山町)
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16番 石間寺(せきがんじ)


石間寺(東陽山小原寺) 【真言宗】 十一面観世音菩薩
ご詠歌「石のつま 峰よりおつるたきの水 むすぶこころはすずしかるらん」
かつては嶺岡山系に連なる山の頂上にあったが火災で伽藍(がらん)を焼失し、その後観音台と称する場所に再興したという。江戸時代の元文年間にも火災があり宝暦年間に再建されたが、さらに明治33年の火災で焼失すると、同39(1906)年に同地の西福院(さいふくいん)と合併して小原寺(しょうげんじ)と改称し、翌年に再建したのが現在の観音堂である。お堂の向拝(ごはい)には龍の彫刻があり、作者は後藤義光の弟子で国分の後藤義信。小原寺(しょうげんじ)は真言宗に属し、本尊は不動明王(西福院)と十一面観世音菩薩(石間寺)。西福院の創建の年は不詳であるが、不動明王像は奈良時代の高僧良弁(ろうべん)僧正の作、十一面観音菩薩像は弘法大師の作とする伝承がある。良弁(ろうべん)僧正は、奈良時代の高僧の一人で、東大寺創建の中心人物。平塚の大山寺の創建者とも伝えられている。

住所 鴨川市下小原374
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17番 清澄寺(せいちょうじ)

千光山清澄寺 【日蓮宗】 十一面観世音菩薩
ご詠歌「ふきはらう 月きよすみの松風に はまよりおきにたつはしらなみ」
本尊:虚空蔵菩薩 宝亀(ほうき)2(771)年不思議法師が自刻の虚空蔵(こくうぞう)菩薩をこの地に安置し、のち慈覚大師がこの像の前で21日間の修行を行って以降天台宗となった。戦国時代から度重なる火災や戦で寺は衰退するが、江戸時代の初め真言宗の僧頼勢(らいせい)が徳川家からこの寺を賜り再興した。十万石の格式があったが、明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で再び衰退した。日蓮が12才で入山修行したことで知られ、建長5(1253)年に旭が森で初めてお題目を唱えて、日蓮宗の布教活動を始めている。そのため昭和24(1949)年に真言宗から日蓮宗に改宗した。観音堂の十一面観音菩薩像は行基の作であるという。境内には国指定天然記念物の大杉や県指定文化財の中門・宝篋(ほうきょう)印塔・石幢(せきどう)・梵鐘・経塚遺物や県指定天然記念物のモリアオガエル等多くの文化財がある。

住所 鴨川市清澄322 (旧:天津小湊町)
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18番 石見堂(いしみどう)


石見堂 【真言宗】 如意輪観世音菩薩
ご詠歌「石見堂 まいりて沖をながむれば ふねにたからをつむぞうれしき」
正暦(しょうりゃく)4(993)年行基廻国の際、自作の観音像を安置し堂宇を創立したと伝えられている。はじめ西浜の海面に浮かぶ岩山にあったが、天保年間(1830~1844)に現在地へ移された。現在のお堂は明治15(1882)年に再建されたもの。観音像は戦時中に艦砲射撃を避けて、近所の女衆のリヤカーに乗せられて10㎞先の山中にある白滝不動まで疎開したそうである。北小町の佐生(さしょう)勘兵衛が奉納した享保15(1730)年のご詠歌額が掲げられている。向拝(ごはい)の龍彫刻は二代目武志(たけし)伊八郎信常のもの。境内には磯村の医師であり常盤(ときわ)連(れん)を主宰した俳人尾崎鳥周(ちょうしゅう)の句碑や寛文12(1672)年建立の庚申塔(こうしんとう)、慶応元(1865)年奉納の手水(ちょうず)石などがある。眼下に鴨川漁港・鴨川松島などを臨み眺めがよい。石見堂は現在500mほど離れた金剛院の境外仏堂になっている。

住所 鴨川市貝渚2261-1
TEL 04-7092-1793 (金剛院)
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19番 普門寺(ふもんじ)

補陀洛山普門寺(正文寺しょうぶんじ) 【日蓮宗】 聖観世音菩薩
ご詠歌「ふもん寺へ ひばらまつばら分けゆけば めぐみも深き岩やなりけり」
観音像は天平(てんぴょう)19(747)年行基の作と伝え、古くは字寺谷(てらやつ)の山中にあって岩戸観音と呼ばれた。岡本兵庫が寄進した懸造(かけづくり)の観音堂があったといい、天保15(1844)年に改築され、飛騨の石工仁兵衛が9年をかけて堂を巡る参道を整備し信仰を集めたが、江戸時代末に無住となって盗賊赤忠(あかちゅう)の一味が根城にしたことがあり、観音像は大正6(1917)年に正文寺(しょうぶんじ)祖師堂へ移された。普門寺への旧入口に宝暦4(1754)年の「壱拾九番普門 三原」の石柱がある。正文寺の本尊は日蓮聖人奠定(てんてい)大曼荼羅(だいまんだら)。当地の豪族真田氏の菩提寺として創建された禅宗の寺だったが、天正(てんしょう)2(1574)年に勝浦城主正木頼忠が父時忠の菩提寺として日蓮宗に改めた。境内には市指定史跡の中世のやぐら内の磨崖(まがい)五輪塔、正木氏由縁(ゆかり)の供養塔などがある。

住所 南房総市和田町中三原270(正文寺)
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20番 石堂寺(いしどうじ)


長安山東光院石堂寺 【天台宗】 十一面観世音菩薩
ご詠歌「ただたのめ 千手のちかい両だすけ 二世(にせ)あんらく(安楽)をかけてたのめよ」
1300年程前、奈良の僧恵命(えいみょう)・恵照(えいしょう)がインドの阿育(あしょか)王(おう)の仏舎利(ぶっしゃり)を携えて当地を訪れ草庵を結んだことに始まり、神亀(じんき)3(726)年に行基が自刻の十一面観音菩薩像を本尊とする堂宇を建立したという。仁(にん)寿(じゅ)元(851)年には慈覚大師が本尊前立を彫刻して百日間の護摩祈祷を行ったといい、以降信者が増え隆盛を極めた。文明19(1487)年に野盗の失火で全山焼失したが、当地の豪族丸氏や里見氏の援助で再建された。その時の本堂や多宝塔はじめ、本尊の十一面観音菩薩像と厨子(ずし)、薬師堂・庫裏(くり)及び旧尾形家住宅は国の重要文化財であり、他に県指定の山王宮、市指定の鐘楼(しょうろう)等が建ち並んでいる。多宝塔修復の際取り外した脇間彫刻は江戸後期の彫物師初代武志(たけし)伊八郎の作品で、現在は庫裏に保存展示してある。

住所 南房総市石堂302 (旧:丸山町)
TEL 0470-46-2218
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