館山観音堂旧址跡

かつて安房三十四観音第三十一番札所の観音堂がありましたが、1964(昭和39)年に仲町の長福寺に遷座され、今は碑と墓地だけが残っています。敷地入口には、沼出身の江戸時代絵師・勝山調が1814(文化11)年に描いた句碑があ… 続きを読む 館山観音堂旧址跡

やぐら(北下台)

岩壁を掘って作られた武士の墓。内部の壁面には五輪塔が浮き彫りにされ、納骨のための溝も見られる。 Tateyama Field Museum(北下台map) Tateyama Field Museum(館山市立博物館)

正木燈

正木貞蔵は海運業の発展に尽力し、晩年は北下台に暮らしました。水産業に貢献した長男・正木清一郎(船形町長)は、航海事業に生涯を賭けた父を思い、1917(大正6)年、隠宅の地に航路標識灯と公園内の照明を兼ねて燈台を建てました… 続きを読む 正木燈

坂東丸殉難碑

1906(明治39)年に那古から新井浦に移転した千葉水産試験場では、翌々年に西洋型帆船・坂東丸(19t)を建造しましたが、1910(明治43)年12月17日、銚子沖で暴風雨に遭い、11名が殉難しました。水産試験場は、19… 続きを読む 坂東丸殉難碑

順天丸殉難碑

関澤明清が設立した関澤水産製造所は、関澤の弟・鈴木余三男らによって房総遠洋漁業株式会社(後の東海漁業株式会社)として引き継がれていきます。房総遠洋漁業は、1901(明治34)年に東京市(当時)の帝国水産会社より、漁船・順… 続きを読む 順天丸殉難碑

関澤明清顕彰碑

明治末期、ウィーンやフィラデルフィアの万国博覧会に参加して欧米の進んだ水産業を見聞した関澤明清は、殖産興業を標榜する日本にとって水産業振興策は欠かせない重要施策と考え、政府に提言するとともに、自ら館山に居住して関澤水産製… 続きを読む 関澤明清顕彰碑

庚申塔(八幡)

安房高の生垣のなかに、青面金剛の像を刻んだ庚申塔が祀られています。安永5年(1776年)の申年に八幡の彦右衛門が建立したものです。

稲荷遺跡(北条)

この周辺は古墳時代から奈良・平安時代の土師器などの土器が出土する遺跡です。北条村北町中で奉納した稲荷の石宮を祀っています。