路米(ろべい)は房州の俳諧宗匠(そうしょう)として知られた雨葎庵(うりつあん)四世で、本名は山口茂兵衛といい、小原村名主でもありました。明治34(1901)年の句碑は70歳の古希記念のもので、「出てみれは 出てよき日なり… 続きを読む 山口路米句碑
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稲原貝塚
稲原の山の頂上近くに稲原貝塚があります。発掘調査の結果、今から約8000年前の縄文時代早期の遺跡だということがわかりました。この時期の遺跡は館山平野を50m以上の高台に限って発見されています。 そのころは、このような見通… 続きを読む 稲原貝塚
菅ノ入横穴墓群
ふたつに分かれた丘陵先端部にあり、西側の丘陵先端に28基、東側の丘陵先端に6基あります。古墳時代の横穴墓で、西側には「人王六十五代天王■代天神七代」の文字が刻まれている横穴や、複室形式につくった特殊な形のものがあります。… 続きを読む 菅ノ入横穴墓群
等覚院跡
那古寺への古い参道に沿ってあった修験(しゅげん)寺院の跡。現在は安永4(1775)年に川名の行者秀善が四国八十八か所を巡礼した供養塔や、3基の庚申塔<石宮形・文化6(1809)年の青面(しょうめん)金剛の文字塔・文政11… 続きを読む 等覚院跡
里程標
明治26(1893)年の里程標(りていひょう)。東京や千葉県庁・佐倉、近隣町村などとの距離を表示しています。当時の町村ごとに建てられたもので、これは船形町の里程標。船形と那古を結ぶ道と木の根道との交点に建てられたものです… 続きを読む 里程標
木の根道切通し
房総半島をめぐる中心的な往還の一部で、千葉方面から内房を通って館山へいたる道でした。岩井の市部から八束の丹生(にう)へ出る木の根峠を経て那古へ至り、館山や府中へ向かう。船形藩陣屋や名主古屋敷がこの道に面しているのも、重要… 続きを読む 木の根道切通し
名主古屋敷
船形村の世襲名主の古屋敷で、石垣が残っています。元禄大地震後に現在地へ移転するまでの屋敷地です。地震で海岸に隆起地ができると、どんどん川の河道に古川新田を開発し、宝永3(1706)年に領主から屋敷地を拝領して海に近い現在… 続きを読む 名主古屋敷
船形藩陣屋跡
元治元(1864)年から慶応4(1868)年まであった船形藩の陣屋だった場所です。若年寄の平岡丹波守道弘が1万石で船形藩をおこしました。陣屋の建設途中で明治となり、他の大名にさきがけて領地を奉還して船形藩は廃藩となり、平… 続きを読む 船形藩陣屋跡
巴橋(国登録有形文化財・建造物)
1906年に建設されたこのアーチ橋は岩盤上につくられ、長さ11m、幅3mの大きさです。方形に整えられた比較的大きな地元産の凝灰岩質の砂岩を、目が横に通るように積み上げる布積という工法で築かれ、橋の両側にある石垣に接続して… 続きを読む 巴橋(国登録有形文化財・建造物)
鈴木家住宅(国登録有形文化財・建造物)
鈴木家住宅は、横浜の建築家が設計し、関東大震災直後の大正13(1924)年に完成しました。この時、蔵と表門も同時に完成しています。赤い門柱のある医院ということから、現在も「赤門」の名で親しまれています。 門は、目地にモ… 続きを読む 鈴木家住宅(国登録有形文化財・建造物)