Category Archives: 歴史

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みささぎ島


紀元111年景行天皇より東国平定の命を受け、子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が相模の国から上総の国へ船で渡るとき、海が突然荒れ、船が沈没寸前になりました。妃の弟橘姫(オトタチバナヒメ)は「海神の心をお鎮(しず)め申し上げましょう」と言い残して海に身を投げました。するとそれまでの嵐が嘘のように止みました。妃のなきがらは「みささぎ島」に漂着しました。近くに碑もあったとされています。

住所 千葉県安房郡鋸南町勝山地先
TEL 0470-55-1560
備考 お問い合わせ:鋸南町地域振興課
メールアドレス machidukuri@town.kyonan.chiba.jp

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浮島


浮島は、勝山漁港の目の前にある周囲約780mの無人島です。浮島には次のような伝説が存在します。東国平定を成し遂げた日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の死後、父の景行天皇は皇子と同じ旅路をたどり、弟橘姫の供養も兼ね、浮島に着いた。浮島がとても気に入った天皇は、しばらく滞在したと言われます。この時、天皇に同行していた磐鹿六雁命(イワカムツカリノミコト)が浜辺でとれた大きな蛤や、角で作った弓の先で釣り上げた堅魚(鰹)を料理して天皇に差し上げたところたいそう喜ばれ、以来、天皇家の料理番となりました。後に料理の神様としても祭られるようになったのです。

住所 千葉県安房郡鋸南町勝山地先
TEL 0470-55-1560
備考 お問い合わせ:鋸南町地域振興課
メールアドレス machidukuri@town.kyonan.chiba.jp

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醍醐新兵衛




醍醐家は、関東(房総)捕鯨の祖と云われ、初代定明の時に勝山組と岩井袋組の船団を組織化し、江戸湾でツチクジラを捕獲した。定明以来代々醍醐 新兵衛を称し、捕鯨業の総網元・大名主として村を指導した。近代になると製油産業や缶詰工業を興し、盛大ならしめたが、嫡子がなく11代目で廃絶してしまった。

TEL 0470-55-3691
備考 お問い合わせ:鋸南町商工会

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夏目漱石


明治の文豪、夏目漱石は、学生時代の夏休み、明治22年(1889)に保田に海水浴にやって来ました。友達5人と、昼は海水浴や鋸山散策、夜は酒盛りに囲碁、カルタと楽しく過ごしました。その時の紀行文「木屑録」によると、日増しにまっ黒に日焼けしていく自分を鏡で見てびっくりする漱石が描かれています。後に、小説「こころ」にも保田が舞台として登場しています。

TEL 0470-55-1560
備考 お問い合わせ:鋸南町地域振興課
メールアドレス machidukuri@town.kyonan.chiba.jp

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源頼朝


源頼朝は、治承4年(1180年)8月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、相州石橋山の合戦で敗れ、28日に同国土肥郷の真名鶴岬(現真鶴岬)から小船で脱出し安房の国房総へと逃れます。翌29日、わずかな供を連れて、鋸南町竜島に上陸しました。竜島の村人たちは、頼朝を歓迎して、いろいろと世話を焼いたと伝えられています。源氏にゆかりのある安房の武将・安西景益は、頼朝を護るため自分の館に招きいれます。頼朝はそこから、房総の有力豪族に使者や手紙を送り味方を募り、勢力を盛り返しました。上陸したとされる場所には、碑が建てられており、再起再生の地として注目を集めています。

住所 千葉県安房郡鋸南町竜島地先
アクセス方法 JR安房勝山駅から徒歩で10分
TEL 0470-55-4061
備考 お問い合わせ:鋸南町教育委員会・歴史民俗資料館
メールアドレス shiryoukan@town.kyonan.chiba.jp

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小高記念館


千葉県議会議員・衆議院議員でもあった小高熹郎は、詩人のサトウハチローや白鳥省吾らとも親交が深く、自らも『里見節』『館山音頭』『南極観測隊の歌』など多くの作詞を手がけています。『里見節』は城山公園に、『鏡ケ浦』は本蓮寺の小高墓所に、それぞれ記念碑が建立されています。水産業界での貢献も大きく、戦前には館山市館山漁協組合長や北洋漁業挺身団長、戦後には千葉県・日本旋網漁協組合長や全国漁連理事などを歴任しました。晩年は93歳から、北下台ふもとの近代化遺産(大正期建造の旧古川銀行鴨川支店を昭和初期に移築)を活用し、地域の文化向上を目指して’94~’97年にわたり、「小高資料館」を開館していました。

住所 館山市館山95
TEL 0470-22-8271
備考 <お問い合わせ>館山市立博物館
  〒294-0036 館山市館山351-2

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館山観音堂旧址跡


かつて安房三十四観音第三十一番札所の観音堂がありましたが、1964(昭和39)年に仲町の長福寺に遷座され、今は碑と墓地だけが残っています。敷地入口には、沼出身の江戸時代絵師・勝山調が1814(文化11)年に描いた句碑があります。裏面に狂歌を描いた狂歌師・絵具皿丸とは同一人物といわれています。1886(明治19)年に療養できた山口県士族の金近虎之丞は、北下台に屋敷を構えました。当時、国内外の医師により海水浴療法が提唱されたのを受け、金近は海水と真水による「汐湯」という浴室つきの下宿「金虎亭」をつくり、一般にも開放しました。この頃から、避暑避寒や転地療養の適地として、鏡ケ浦は注目されていきます。

住所 館山市館山
TEL 0470-23-5212
備考 <お問い合わせ>館山市立博物館
  〒294-0036 館山市館山351-2

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正木燈

正木貞蔵は海運業の発展に尽力し、晩年は北下台に暮らしました。水産業に貢献した長男・正木清一郎(船形町長)は、航海事業に生涯を賭けた父を思い、1917(大正6)年、隠宅の地に航路標識灯と公園内の照明を兼ねて燈台を建てました。花崗岩2枚の基台に柱を挿入した高さ7間の柱頭には、百蜀のアーク燈が輝き、正面には書家・小野鵞堂の揮毫により「正木燈」ときざまれています。管理は館山町に委託したと言われていますが、灯火は1951(昭和26)年に廃止されました。戦後の港湾法では、この正木燈を基点として半径3kmの範囲が館山港と指定されています。

住所 館山市館山
TEL 0470-23-5212
備考 <お問い合わせ>館山市立博物館
  〒294-0036 館山市館山351-2

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坂東丸殉難碑


1906(明治39)年に那古から新井浦に移転した千葉水産試験場では、翌々年に西洋型帆船・坂東丸(19t)を建造しましたが、1910(明治43)年12月17日、銚子沖で暴風雨に遭い、11名が殉難しました。水産試験場は、1974(昭和49)年に千倉(現 南房総市千倉町)へ移転となりますが、館山時代は職員が供養参りをしていたといわれています。

住所 館山市館山
TEL 0470-23-5212
備考 <お問い合わせ>館山市立博物館
  〒294-0036 館山市館山351-2

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