館山海軍航空隊赤山地下壕

建設時期については、1930年代半ば頃に工事がはじめられたとする説もありますが、この地下壕の建設に携わった旧館山海軍航空隊兵士の複数の証言から、1944(昭和19)年以降に建設工事が開始されたことや、1945(昭和20)年8月15日の終戦の日まで工事が行われ、未完成であること等が明らかになってきています。 館山海軍航空隊赤山地下壕が防空壕として建設され、かつ一部が使用されていたことは、防衛庁防衛研究所所蔵の「館山航空基地次期戦備施設計画位置図」の赤山地下壕の位置に「館空自力発電所」「工作科格納庫」「館空応急治療所」という記載があることや、内部にある発電施設跡、終戦間際にこの壕の中で実際に館山海軍航空隊の事務を行った、あるいは、病院施設があったなどの証言から、知ることができます。