聖武天皇の天平13年(741)、国ごとに国分寺をおく詔がだされましたが、安房は天平宝字元年(757)に上総から分立した国のため、安房国分寺の創建はそれ以降の奈良時代末のことと考えられます。
発掘調査の結果金堂基檀が確認され、平瓦・軒丸瓦などのほか、三彩獣脚が出土しています。
この北方約900mのところには、「アマンボウ」という地名が残り、「尼坊」とも考えられることから国分尼寺の推定地のひとつになっています。現在の国分寺は真言宗の寺院で、山門をぬけると参道の傍らに当時用いられた円形の楚石が置かれ、本道横には南北朝時代の五輪塔があるほか、山門入口には「孝子伴直家主の碑」や「安房三義民の墓」があります。