寛永21年(1644年)に薬師堂へ奉納された鰐口があり、これは山下郡湊村と書かれた江戸初期のものであることがわかります。参道入口には順礼講中間で寄進した地蔵像が祀られています。墓地には正徳元(1711)年の北条藩万石騒動の際に刑死した三義民のひとり湊村名主秋山角左衛門の墓や、元文6年(1741年)に明神丸乗船中に遭難したと思われる7人の供養碑があります。
寛永21年(1644年)に薬師堂へ奉納された鰐口があり、これは山下郡湊村と書かれた江戸初期のものであることがわかります。参道入口には順礼講中間で寄進した地蔵像が祀られています。墓地には正徳元(1711)年の北条藩万石騒動の際に刑死した三義民のひとり湊村名主秋山角左衛門の墓や、元文6年(1741年)に明神丸乗船中に遭難したと思われる7人の供養碑があります。