川名の鎮守で、山王権現と呼ばれていました。那古寺の旧本堂から東北に位置して、那古寺の鬼門除けであったといい、那古寺の境内にある日枝神社はこれを分祀したものといわれています。石灯篭1組は似た形をしていますが、文化14(1817)年と明治4(1871)年のものです。
川名の鎮守で、山王権現と呼ばれていました。那古寺の旧本堂から東北に位置して、那古寺の鬼門除けであったといい、那古寺の境内にある日枝神社はこれを分祀したものといわれています。石灯篭1組は似た形をしていますが、文化14(1817)年と明治4(1871)年のものです。