釜沼山普門院長勝寺といい、真言宗の寺。釜沼山は寺の裏山で野高と呼ばれ、かつて寺領の水田があり、水田の中央には弁天様が祀られていたといわれています。現在は本堂左手の池に移されています。本尊は地蔵菩薩で、南北朝期の木造坐像。明治5(1872)年に金剛宥性(ゆうしょう)が選定した安房百八地蔵尊の第10番札所で、ご詠歌の額が掲げられています。里見氏から1石の寺領を与えられていましたが、徳川氏からは認められませんでした。墓地には中世の五輪塔の笠石が残されています。
釜沼山普門院長勝寺といい、真言宗の寺。釜沼山は寺の裏山で野高と呼ばれ、かつて寺領の水田があり、水田の中央には弁天様が祀られていたといわれています。現在は本堂左手の池に移されています。本尊は地蔵菩薩で、南北朝期の木造坐像。明治5(1872)年に金剛宥性(ゆうしょう)が選定した安房百八地蔵尊の第10番札所で、ご詠歌の額が掲げられています。里見氏から1石の寺領を与えられていましたが、徳川氏からは認められませんでした。墓地には中世の五輪塔の笠石が残されています。