この弁天の池の奥は鍾乳洞になっていて、白岩の名は鍾乳石のことだと思われます。徳川家光の頃に津波があり、その時小川をさかのぼってきた白蛇がこの池に入ったため宮を建てたと言われています。また昔はこの池の水が目薬などに使われたとも。力石が2個奉納されています。手水石は天保11年(1840)のもので、裏山の中腹には那古に昔あった富士講の「山三」講中で建てた浅間様の石宮があります。
この弁天の池の奥は鍾乳洞になっていて、白岩の名は鍾乳石のことだと思われます。徳川家光の頃に津波があり、その時小川をさかのぼってきた白蛇がこの池に入ったため宮を建てたと言われています。また昔はこの池の水が目薬などに使われたとも。力石が2個奉納されています。手水石は天保11年(1840)のもので、裏山の中腹には那古に昔あった富士講の「山三」講中で建てた浅間様の石宮があります。