正木の川崎地区の堂。嘉永7年(1854)の百八十八ケ所供養碑があります。四国霊場・坂東・秩父の名観音霊場を巡礼した記念の塔です。そのほか出羽三山碑や明治31年(1989)の線刻六地蔵碑、寺子屋の師匠だった徳誉教善の筆子塚があります。筆子塚は文政9年(1826)に筆弟子26人と念仏講の仲間が建てたものです。また川崎では、昭和20年(1945)5月19日に空襲を受けて27人がその犠牲となっており、その記念碑も建てられています。
正木の川崎地区の堂。嘉永7年(1854)の百八十八ケ所供養碑があります。四国霊場・坂東・秩父の名観音霊場を巡礼した記念の塔です。そのほか出羽三山碑や明治31年(1989)の線刻六地蔵碑、寺子屋の師匠だった徳誉教善の筆子塚があります。筆子塚は文政9年(1826)に筆弟子26人と念仏講の仲間が建てたものです。また川崎では、昭和20年(1945)5月19日に空襲を受けて27人がその犠牲となっており、その記念碑も建てられています。