安房開拓神話にまつわる神社で、安房神社の祭神天太玉命の后神天比理乃咩命を祀っています。西岬の洲崎神社と同神で、洲崎神社が拝所、当社が奥宮であるともいいます。もとは県道をはさんで反対側の魚尾{トオ}山に鎮座していましたが、文永10年(1273年)の火災で焼失したため、現在地に移転しました。しかし現在の境内からも土製の鏡や勾玉・高坏などの祭祀土器が出土しており、遷座した現在地も古代祭祀遺跡であったことがわかります。社領は里見氏の時代に洲宮村に3石、洲崎村に4石を寄進され、江戸時代も幕府から洲宮村で7石を寄進されていました。境内出土の祭祀用土製模造品と洲宮神社縁起、南北朝時代の木造天部立像が市の文化財に指定されているほか、室町時代の御正体(懸仏)の像の部分が伝えられています。また毎年1月1日に農耕神事として行われる御田植神事も市の無形文化財になっています。